第11章 人種と民族性

図11.1 | 怒りと希望の並存。ヴァージニア州リッチモンドの抗議行動で割れた窓の上に、事業主が「あなたは大切であると知っていましたか。あなたは美しい。あなたには意義がある。あなたは何でもできる。あなたは大切だ」という文言と対応する聖書の節が添えられた看板を設置しました。(Credit: I threw a guitar a him/flickr)

図11.1 | 怒りと希望の並存。ヴァージニア州リッチモンドの抗議行動で割れた窓の上に、事業主が「あなたは大切であると知っていましたか。あなたは美しい。あなたには意義がある。あなたは何でもできる。あなたは大切だ」という文言と対応する聖書の節が添えられた看板を設置しました。(Credit: I threw a guitar a him/flickr)

この章の概要

11.1 人種集団、民族集団、および少数派集団
11.2 人種と民族性に関する理論的視点
11.3 先入観、差別、人種差別
11.4 集団間の関係性
11.5 米国における人種と民族性

はじめに

トレイヴォン・マーティンは17歳の黒人ティーンエイジャーでした。2012年2月26日の夜、彼は父親と父親の婚約者が住むフロリダ州サンフォードの多民族のゲーテッドコミュニティーを訪れていました。トレイヴォンは、近くのコンビニエンスストアでお菓子を買うために徒歩で外出しました。その帰り道、白人のヒスパニック系男性で、この地域の自警団プログラムのコーディネーターであるジョージ・ジマーマンが、彼に気づきました。最近、不法侵入が多発していることから、ジマーマンは、それまでも何度も行ってきたように、不審な行動をしている人物を通報するために警察に電話しました。通話の最中、ジマーマンは不審な人々を指して「[罵り言葉]ガキ。あの[罵り言葉]、あいつらは、いつも逃げ出す」と言いました。緊急通報のオペレーターは、ジマーマンに10代の若者についていかないようにと指示しました。また、それはジマーマンに提供されていた警察の自警団ガイドラインにも記載されていました。しかし、ジマーマンはこの10代の若者についていき、その直後、彼らは身体的に対立しました。地域住民の何人かが怒鳴り声、助けを求める叫び声を聞き、地面の上で取っ組み合っている二人を見ました。ジマーマンによると、マーティンは彼に襲いかかり、続くもみ合いの中で、ジマーマンはマーティンを射殺しました(CNN Library, 2021)。

マーティンの死後、世間は大騒ぎになりました。人種プロファイリング(人種だけを用いて人を拘束したり、捜査したりすることを決めること)の疑いがありました。最初の捜査の一環として、ジマーマンは警察から広範な事情聴取を受けましたが、フロリダ州の「スタンド・ユア・グラウンド」[正当防衛]法に基づいて釈放されました。この法律によれば、警察は彼の行動に対して逮捕できないことが示されました。約6週間後、ジマーマンは逮捕され、フロリダ州知事が任命した特別検察官アンジェラ・コリーによって第二級殺人罪で起訴されました。その後の裁判で、彼は無罪を言い渡されました(CNN Library, 2021)。

この銃撃事件、世間の反応、そしてその後の裁判は、人種についての社会学のスナップショットを提供してくれます。あなたはマーティンの死に人種が役割を果たしていると思いますか?ジマーマンを逮捕しなかった最初の決定や、後の無罪判決に、人種が影響していると思いますか?社会は黒人男性を恐れ、制度レベルでの人種プロファイリングに繋がっているでしょうか?

11.1 人種集団、民族集団、および少数派集団

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 人種と民族性の違いを理解する
  • 多数派集団(支配集団)を定義する
  • 少数派集団(被支配集団)を定義する

社会学の教室に初めて入った多くの学生は、「人種」、「民族性」、「少数派集団」という用語を混同することに慣れていますが、社会学者にとってこれら3つの用語は異なる意味を持ちます。人種という考え方は、特定の社会が重要視する表面的な身体的差異を指す一方で、民族性は共有された文化を記述します。そして、「少数派集団」という用語は、肌の色や出身国に関係なく、社会の中で被支配的な、あるいは力を持たない集団を表します。例えば、アメリカの近代史において、高齢者は、彼らに対する大衆的な先入観や差別から生じる地位の低下のために、少数派集団とみなされるかもしれません。老人介護施設の職員の10%が過去1年間に高齢者を身体的に虐待したことを認め、40%が心理的虐待を行ったことを認めています(World Health Organization, 2011)。この章では、私たちは人種的・民族的少数派に焦点を当てます。

人種とは何でしょうか?

人種とは、共有された身体的または社会的な特質に基づく人類のグループ分けのことで、社会によって異なる場合があります。

歴史的に見ると、人種という概念は文化や時代によって変化しており、やがて先祖や家族の絆とはあまり関係がなくなり、表面的な身体的特徴に対してより関心が集まるようになりました。過去には、理論家たちは、さまざまな地理的地域、民族性、肌の色などに基づいて、人種のカテゴリーを発展させました。人種集団に対する彼らのラベルは、例えば、地域や肌の色などを含意するものでした。

ドイツの医師、動物学者、人類学者のヨハン・フリードリッヒ・ブルーメンバッハ(1752-1840)は、人間の頭蓋骨を研究して、有名なグループ分けの1つを発表しました。ブルーメンバッハは、人間を5つの人種に分けました(MacCord, 2014):

  • コーカシアンまたは白色人種:ヨーロッパ、中東、北アフリカ出身の人々
  • エチオピアンまたは黒色人種:サハラ砂漠以南のアフリカ出身の人々
  • マラヤンまたは褐色人種:東南アジア出身と太平洋諸島の人々
  • モンゴリアンまたは黄色人種:東アジアと中央アジア出身の人々
  • アメリカンまたは赤色人種:北アメリカ出身とアメリカン・インディアンの人々

時が経つにつれ、ブルーメンバッハのような人種の記述は使われなくなりました。そして、人種の社会的構築が、人種カテゴリーを理解するのにより受け入れられた方法となっています。アメリカ人類学会、アメリカ社会学会、アメリカ心理学会などの社会科学団体はみな、上で列挙したような人種に関する説明を公式に否定しています。この学派の研究によると、人種は生物学的に識別できるものではなく、以前の人種カテゴリーは疑似科学に基づくもので、しばしば人種差別的な慣行を正当化するために使われていました(Omi and Winant, 1994; Graves, 2003)。例えば、以前は人種の遺伝が知能を決定すると考える人がいました。この考え方は20世紀後半にはほとんど廃れましたが、広く読まれ引用された1994年の本『ベルカーブ』など、過去50年間に何度か再浮上してくることもありました。その後、研究者たちは、黒人が教育を受ける機会が増えるにつれてIQの格差が広範囲で縮まっていることなど、知能の生物学的・人種的根拠を否定する実質的な証拠を提示してきました(Dickens, 2006)。この研究やそれを確認する他のいくつもの研究は、ある人種集団で一般的にIQが低いのは、「社会化」の章で言うところの「生まれ」よりも「育ち」の問題であることを示しています。

人種についての歴史的な考察の多くは、より正確で繊細な記述を支持するように修正されてきましたが、古い用語のいくつかは残っています。例えば、アジア系の人々やネイティブ・アメリカンの人々を色に基づく用語法で指し示すことは一般的に受け入れられず侮辱的ですが、白人や黒人の人々をそのように指し示すことは許容されています。2020年、多くの出版物が人種名の大文字表記を開始すると発表しましたが、すべての人が同じアプローチを用いたわけではありません(Seipel, 2020)。この慣行は、社会学者で指導者のW・E・B・デュボイスが、当時広く使われていた「ニグロ」を大文字にするようニュースルームに働きかけてから約100年後にやってきました。そして最後に、人種集団(あるいは後述する民族集団)のメンバーの中には、以前自分たちを侮辱するために使われていた用語を「取り戻す」人がいます(Rao, 2018)。これらの例は、人種の社会的構築、そして人々や集団の間における私たちの進化する関係のさらなる証拠です。

民族性とは何でしょうか?

民族性は、人種と交換可能な形で使われることがありますが、両者はまったく異なる概念です。民族性は、共有された文化(共有された言語、宗教、伝統などの共通点を含むことのある集団の実践、規範、価値観、および信念)に基づいています。人種と同様、民族性という言葉は説明するのが難しく、その意味は時代とともに変化してきました。また、やはり人種と同様に、個人は複雑で、矛盾することすらある方法で民族性を識別したり、自認したりすることがあります。例えば、アイルランド系、イタリア系アメリカ人、ロシア系、ユダヤ系、セルビア系などの民族集団は、いずれもそのメンバーが「白人」という人種カテゴリーに主として含まれるような集団かもしれません。民族性は、人種と同様に、国勢調査であれ、多様性イニシアティブであれ、差別禁止法であれ、あるいは単に個人的な日常生活の関係の中であれ、今日でも個人や組織が用いる識別方法であり続けています。

いくつかの場合では、民族性は、出身国の同義語として誤って使用されることがありますが、これらの構築物は厳密には異なるものです。出身国(それ自体が国籍と混同されることもあります)は、その人の出生地や居住地の地理的・政治的な関連性に関係しています。しかし、ある国の出身者にはさまざまな民族性を持つ人がおり、それはしばしばその地域以外の人々には知られていないため、誤解を招くことがあります。例えば、アメリカにいる人は、悪気はないのですが、ベトナム人全体を1つの民族集団と呼んでしまうことがあります。しかし、ベトナムには公式に認められた54の民族集団が存在します。

さらに複雑さを加えているのは、時に、民族集団間に橋を架けるため、公民権を促進するため、認知度を高めるため、あるいはその他の理由で、多様だが密接に関連するいくつかの民族集団が1つの「汎民族」集団を形成することがある、ということです。例えば、ベトナム、カンボジア、ラオス、および隣接する国々のさまざまな民族集団やさまざまな出身国の人々は、文化的、言語的、またはその他の価値観を共有している可能性があり、集合的アイデンティティーの中で自分たちをまとめることがあるかもしれません。彼らがそうする場合、彼らは個々の民族性を消そうとはしていないかもしれませんが、正しい描写や関連性を見つけるのは難しく、文脈に左右されることもあり得ます。アジア系アメリカ人のコミュニティーを構成する多くの人々は、米国という文脈の中で、自分たちの集合的アイデンティティーを受け入れているのかもしれません。しかしながら、その受け入れ方は人々の年齢によって異なり、異なる集団と話すときには異なる表れ方になるかもしれません(Park, 2008)。例えば、ヒューストンの自宅にいるときにアジア系アメリカ人であると自認する人が、日本の親戚を訪ねたときには、自分のことをそうは呼ばないかもしれません。同様に、メキシコ、中央アメリカ、南アメリカ出身の人々をひとまとめにすること(しばしばラティンクス、ラティーナ、あるいはラティーノと呼ばれます)は、その集団の中の一部の人には受け入れられ、別の人には拒否されるかもしれません(Martinez, 2019)。

少数派集団とは何でしょうか?

社会学者ルイス・ワース(Wirth, 1945)は、少数派集団を「その身体的または文化的特徴のために、自分たちの住む社会で他の人々から区別されて差異のある不平等な扱いを受け、それゆえに自分たちを集合的差別の対象とみなしている人々の集団」と定義しました。少数派という用語は差別を含意し、社会学的な用法では、被支配集団という用語は少数派集団という用語と交換可能な形で使用することができ、支配集団という用語は、しばしばある社会で支配者を表す集団や権力や特権にアクセスできる多数派である集団と置き換えられます。これらの定義は、ある社会で最も力を持つのが支配集団であり、支配集団に比べて力を持たないのが被支配集団であるという概念と関連しています。

数的少数であることが少数派集団であることの特徴ではない、ということに注意してください。時には、より大きな集団が力の欠如のために少数派集団とみなされることもあります。少数派、つまり被支配集団の顕著な特徴であるのは、力の欠如です。例えば、南アフリカ共和国で少数派の白人によって、数的多数派(この国の黒人の住人)が搾取され、抑圧されていたアパルトヘイトのことを考えてください。

チャールズ・ワグレーとマーヴィン・ハリス(Wagley and Harris, 1958)によれば、少数派集団は、次の5つの特徴によって区別されます:(1)不平等な扱いを受け、彼らの生活に対する力が弱い、(2)肌の色や言語などの際立った身体的・文化的特徴がある、(3)集団への加入が非自発的である、(4)被支配を自覚している、(5)集団内結婚の割合が高い。少数派集団のさらなる例としては、LGBTQコミュニティー、住んでいる場所で信仰が広く行われていない宗教を実践する人、障害を持つ人などが挙げられるでしょう。

スケープゴート理論とは、当初はダラード(Dollard, 1939)の欲求不満-攻撃理論から発展したもので、支配集団が焦点のずれた攻撃を被支配集団に加えることを示唆しています。歴史は、被支配集団のスケープゴート化について多くの例を示しています。前世紀の例では、アドルフ・ヒトラーがドイツの社会的・経済的問題についてユダヤ人集団を非難したことが挙げられます。アメリカでは、最近の移民が国家の(あるいは個人の)問題のスケープゴートにされることがよくあります。多くの州で移民の権利を剥奪する法律が制定されています。こうした法律は、支配集団が被支配集団をスケープゴートにすることができるため、人気があります。

複数のアイデンティティー

図11.2 | ゴルファーのタイガー・ウッズは、中国、タイ、アフリカ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、オランダの血を引いています。複数の民族的背景を持つ個人は一般的になってきています。(Credit: familymwr/flickr)

図11.2 | ゴルファーのタイガー・ウッズは、中国、タイ、アフリカ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、オランダの血を引いています。複数の民族的背景を持つ個人は一般的になってきています。(Credit: familymwr/flickr)

20世紀以前は、人種間の結婚(ミセジェネーションと呼ばれます)は極めてまれで、多くの場所で違法とされていました。奴隷にされた人々が性的従属を強いられた結果、混血児が生まれましたが、これらの子供は通常、黒人とみなされ、したがって所有物でした。クレオールというあり得る例外を除いては、複数の人種的アイデンティティーを持つという概念はありませんでした。クレオール社会は、港町ニューオリンズで発展し、そこではフランス人とアフリカ人の住民からなる人種の入り混じった文化が育まれました。この国の他の地域とは異なり、「有色のクレオール」はほとんどのアフリカ系アメリカ人よりも社会的、経済的、教育的な機会に恵まれていました。

現代の時代では次第に、混血法の撤廃や人種差別に対抗する平等な権利と法的保護へ向けた傾向によって、人種的な族外婚(族外婚とは、ある人の中核となる社会単位の外での結婚を指します)が持つ社会的不名誉が着実に減少しています。現在では、人種的に入り混じった両親を持つ子供たちが、自分たちのさまざまな民族的アイデンティティーを認め、称賛することが一般的になっています。例えば、ゴルファーのタイガー・ウッズは、中国、タイ、アフリカ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、オランダの血を引いており、彼は冗談で自分の民族性を「カブリナシアン」と呼んでいます(これは、いくつかの民族的背景を組み合わせた彼の造語です)。このような傾向がある一方で、社会のあらゆる場面でそれが顕著に表れているかというと、まだそうではありません。例えば、アメリカの国勢調査が非白人ヒスパニック系などといったような、人々が自分を識別する追加のカテゴリーを加えたのはつい最近のことです。2020年の国勢調査では、自分のことを表すのに複数の人種を選択する人が増えており、個人が複数のアイデンティティーを持つことが示されています。

11.2 人種と民族性に関する理論的視点

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 社会学の主要な視点が人種と民族性をどのように見ているかを記述する
  • 先入観の文化の例を特定する

人種と民族性に関する理論的視点

私たちは、機能主義、紛争理論、シンボリック相互作用論という3つの主要な社会学的視点を通して、人種と民族性を検討することができます。あなたがこれらの理論を読み進めるに際して、どの理論が最も理にかなっているのか、またその理由を自問してみてください。

機能主義

機能主義は、社会のすべての要素が連帯を促進し、社会の秩序と安定を維持する機能を持つことを強調します。したがって、私たちは、さまざまな人種的・民族的背景を持つ人々が、社会的なバランスのとれた状態で調和的に相互作用しているところを観察することができます。問題は、1つまたは複数の人種集団や民族集団が不平等や差別を経験するときに生じます。これにより、緊張と対立が生じ、社会システムが一時的に逆機能に陥ります。例えば、2020年に起きた白人警察官による黒人男性ジョージ・フロイドの殺害事件は、米国における人種的正義と警察活動の変革を求める抗議行動を引き起こしました。社会が乱れる前の状態に戻すため、あるいは新たな均衡を求めるためには、警察機構やシステムのさまざまな部分に変化や代償的な調整が求められます。

機能主義の視点を人種と民族性に適用するもう1つの方法は、人種差別が、外集団のメンバーを排斥することを通じて内集団のメンバー間の紐帯を強めることにより、社会の機能に肯定的に寄与することがあると論じることです。部外者の立ち入りを拒否することによって、共同体が連帯感を高めるかもしれないやり方を考えてみてください。一方、ローズ(Rose, 1951)は、人種差別に伴う逆機能では、被支配集団の才能を生かすことができず、人為的に構築された人種間の境界を維持するために必要な時間や労力を社会が他の目的から転用しなければならないことを示唆しました。公民権運動以前、分離された不平等な教育システムを維持するために、どれだけの資金、時間、労力が費やされたかを考えてみてください。

機能主義の考え方では、人種や民族の不平等がこれほど長く存在するためには、何らかの重要な機能を果たしていなければなりません。この考え方は、時に、問題含みになることがあります。人種差別や差別は、どのようにして社会に積極的に貢献できるのでしょうか?ナッシュ(Nash, 1964)は、例えば、人種差別が人種的に不平等な社会を道徳的に正当化すると示唆して、人種差別が支配集団にとって機能的であることに議論の焦点を当てました。奴隷所有者が、黒人は白人より根本的に劣っており、自由より奴隷を好むと示唆することによって、南北戦争以前の南部において奴隷制度を正当化していたやり方のことを考えてみてください。

相互作用論

シンボリック相互作用論者にとって、人種と民族性はアイデンティティーの源となる強力なシンボルを提供します。実際、人種そのものではなく、人種のシンボルが人種差別に結びつくものだとする相互作用論者もいます。有名な相互作用論者のハーバート・ブルーマー(Blumer, 1958)は、人種的先入観は支配集団のメンバー間の相互作用を通じて形成されることを示唆しました。このような相互作用がなければ、支配集団に属する個人が人種差別的な見解を持つことはないでしょう。それらの相互作用は、支配集団が被支配集団に対して持つ見解を支持し、現状を維持することを可能にするような被支配集団の抽象的な描き方に貢献しています。この例として、ある特定の集団についての信念が大衆メディアで伝えられるイメージに基づいており、その集団のメンバーに個人的に会ったことがないため、疑う余地もなく信じている人を挙げることができるかもしれません。

相互作用論の視点を適用するもう1つの方法は、人々が自分の人種と他人の人種をどのように定義するかを見ることです。白人のアイデンティティーを主張する人の中には、黒人のアイデンティティーを主張する人よりも皮膚の色素沈着が多い人がいますが、彼らはどのようにして自分を黒人または白人と定義するようになったのでしょうか?

紛争理論

紛争理論は、ジェンダー、社会階級、教育、人種、民族性の不平等に対してしばしば適用されます。米国の歴史における紛争理論の視点は、白人支配階級と人種的・民族的少数派との間の過去から現在までの数多くの闘争を検証し、支配集団が少数派集団の脅威を感じたときに発生した特定の紛争を指摘するでしょう。19世紀後半、南北戦争後の黒人アメリカ人の台頭により、黒人の政治的・社会的権力を厳しく制限する過酷なジム・クロウ法が施行されました。例えば、「青い乳児」[メトヘモグロビン血症の乳児]の命を救う画期的な手術法の開発に貢献した黒人外科技師ヴィヴィアン・トーマス(1910-1985)は、複雑な外科実験を行っていたという事実にもかかわらず、長年にわたって清掃員に分類され、そのように給与を支払われていました。南北戦争以降の年月には、少数派が多く住む地域を狙った不利な選挙区境界線改定や有権者弾圧の取り組みなど、権利剥奪を企てるパターンが見受けられます。

インターセクション理論

フェミニスト社会学者のパトリシア・ヒル・コリンズ(Collins, 1990)は、1989年にキンバリー・クレンショーが初めて提唱したインターセクション理論をさらに発展させました。この理論は、私たちが人種、階級、ジェンダー、性的指向、その他の属性による影響を分離できないことを示唆しています(図11.4)。人種と、それがどのように私たちに利益と不利益の両方をもたらすかとについて私たちが検討するとき、私たちが人種を経験する方法は、例えば、私たちのジェンダーと階級によって形成されていることを認めることが重要です。幾重にも折り重なった不利益が交差して、私たちが人種を経験する方法が生み出されているのです。例えば、もし私たちが先入観を理解したいのであれば、ジェンダーを理由に白人女性に向けられる先入観と、貧困にあえぐアジア人女性に向けられる積み重ねられた先入観とはまったく異なるものであり、そのアジア人女性は貧困、女性、民族的地位に関連する固定観念の影響を受けていることを理解しなければなりません。

図11.3 | 私たちのアイデンティティーは、何十もの要因によって形成されており、時にはインターセクションの輪で表現されることもあります。ここで表現されたアイデンティティーの要素の小集団を考えてみましょう。一般に、外側の輪には比較的頻繁に変化する可能性のある要素が含まれ、内側の輪の要素はより永続的なものとみなされることが多いです。(もちろん例外もあります。)それぞれは、あなたが何者であるかにどのように寄与しているでしょうか?また、起こりうる変化によって、あなたの自己定義されたアイデンティティーはどのように変化するでしょうか?

図11.3 | 私たちのアイデンティティーは、何十もの要因によって形成されており、時にはインターセクションの輪で表現されることもあります。ここで表現されたアイデンティティーの要素の小集団を考えてみましょう。一般に、外側の輪には比較的頻繁に変化する可能性のある要素が含まれ、内側の輪の要素はより永続的なものとみなされることが多いです。(もちろん例外もあります。)それぞれは、あなたが何者であるかにどのように寄与しているでしょうか?また、起こりうる変化によって、あなたの自己定義されたアイデンティティーはどのように変化するでしょうか?

先入観の文化

先入観の文化とは、先入観が私たちの文化の中に埋め込まれているという理論を指します。私たちは、さまざまな固定観念の図像や、人種差別や先入観をさりげなく表現するものに囲まれて育ちます。食料品店の棚にあるさりげない人種差別的な表現や、人気のある映画や広告にあふれる固定観念について考えてみてください。アメリカ北東部に住んでいて、メキシコ系アメリカ人を個人的に一人も知らない人が、スピーディー・ゴンザレス[誇張されたメキシコなまりでしゃべるネズミのアニメキャラクター]やタコベルのしゃべるチワワなどの情報源から、固定観念的な印象を受けるであろうことは容易に想像がつきます。私たちは皆、こうした図像や思考にさらされているため、それらがどの程度、私たちの思考過程に影響を及ぼしているかを知ることはできません。

11.3 先入観、差別、人種差別

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 固定観念、先入観、差別、人種差別の違いを説明する
  • 異なる種類の差別を識別する
  • 社会学的なレンズを通して、人種間の緊張を見る

日常会話ではしばしば交換可能な形で使われる先入観、差別、人種差別という言葉を議論する前に、固定観念について学ぶことが重要です。固定観念とは、人々の集団についての過剰に単純化された一般化のことです。固定観念は、人種、民族性、年齢、ジェンダー、性的指向など、ほとんどすべての特徴に基づくことができます。固定観念は、肯定的な場合もありますが(通常は自分自身の集団について)、しばしば否定的な場合もあります(支配的な人種集団のメンバーが、被支配的な人種集団は愚かか怠け者であると示唆する場合など、通常は他の集団に対して)。いずれの場合も、固定観念は個人差を考慮しない一般化です。

固定観念はどこから来るのでしょうか?実際のところ、新しい固定観念が作り出されることはほとんどなく、むしろ、それらは社会に同化した被支配集団からリサイクルされ、新たな被支配集団を表現するために再利用されます。例えば、新しい移民を特徴付けるために現在使われている多くの固定観念は、アメリカの歴史の中で、以前はアイルランドや東欧の移民を特徴付けるために使われていました。

先入観

先入観とは、ある人がある集団に対して抱いている信念、思考、感情、態度のことを指します。先入観とは、個人的な経験に基づくものではなく、実際の経験以外に由来する予断です。「逸脱、犯罪、社会統制」に関する章で、大麻の犯罪化が反移民感情に基づいていたことを思い出してください。推進派は、新しい法律と大麻使用者に対する厳しい扱いを正当化するために、「リーファー・マッドネス(大麻の狂気)」とスペイン語を話す人々の間に蔓延する不道徳で違法な行為という架空の、恐怖心を掻き立てる話を使いました。大麻の犯罪化を支持する人々の多くは、大麻を使用していると噂される新しい移民に会ったことがなく、その考えは先入観に基づくものでした。

先入観は経験以外の信念に基づくものですが、人々は経験によって自分の先入観が確認された、あるいは正当化されたと感じることがあります。これは確証バイアスの一種です。例えば、もしある人が、ある民族集団は否定的な性質を持っていると信じるように教え込まれている場合、その集団の誰かが犯した否定的な行為はすべて、先入観を裏付けるものとみなすことができます。横断歩道を渡らずに道路を横切る、バスの中で大声で話すなど、その民族集団のメンバーが犯した小さな社会的迷惑行為でさえも、先入観を裏付けることになり得ます。

先入観は多くの場合、経験以外に由来するものですが、それは本能的なものではありません。先入観と、それにつながる固定観念、そしてそこから派生する差別は、しばしば教え込まれ、学習されます。教え込みは、直接的な指導や教化、観察、社会化など、さまざまな形で行われます。映画、本、カリスマ性のある話し手、そして他人に感銘を与えたいという願望ですらも、すべて先入観の発達を後押しします。

図11.4 | 固定観念や先入観は根強いもので、ほとんどすべてのカテゴリーの人々に適用されます。また、それらは確証バイアスの影響を受けやすく、少しでも裏付けとなる証拠があれば、人は自分の信念により自信を持ちます。例えば、もしあなたが高齢者は運転が下手だと考えている場合、高齢の運転手が関係する事故を見るたびに、あなたの固定観念への確信が強まる可能性があります。たとえ、年配のドライバーよりも若者のドライバーの方が事故を多く起こしているという統計を聞いたとしても、自分の固定観念の充足を克服するのは困難です。(Credit: Chris Freser/flickr)

図11.4 | 固定観念や先入観は根強いもので、ほとんどすべてのカテゴリーの人々に適用されます。また、それらは確証バイアスの影響を受けやすく、少しでも裏付けとなる証拠があれば、人は自分の信念により自信を持ちます。例えば、もしあなたが高齢者は運転が下手だと考えている場合、高齢の運転手が関係する事故を見るたびに、あなたの固定観念への確信が強まる可能性があります。たとえ、年配のドライバーよりも若者のドライバーの方が事故を多く起こしているという統計を聞いたとしても、自分の固定観念の充足を克服するのは困難です。(Credit: Chris Freser/flickr)

差別

先入観が偏った考え方を指すのに対し、差別はある人々の集団に対する行為からなります。差別は、人種、民族性、年齢、宗教、健康、その他さまざまなカテゴリーに基づくことがあります。例えば、人種や民族性に基づく差別は、レッドライニング[特定の住所の人に対する異なる融資の取り扱い]のような不公正な住宅慣行や偏った雇用制度など、さまざまな形をとることがあります。あからさまな差別は、長い間、米国の歴史の一部でした。19世紀後半には、事業主が「従業員募集:アイルランド人は応募の必要なし」と書かれた看板を掲げることも珍しくありませんでした。また、南部のジム・クロウ法は、「白人限定」の標識とともに、今日では容認されないようなあからさまな差別を例示しています。

また、差別はさまざまな形で現れます。上記のシナリオは個人的な差別の例ですが、他のタイプも存在します。制度的差別は、ある集団の権利剥奪が埋め込まれたまま社会システムが発展した場合に発生します。例えば、米軍は少数派のセクシュアリティーを歴史的に受け入れていません(「聞かない、言わない」政策はこの規範を反映しています)。

差別の形態や深刻さは大きく異なりますが、これらは抑圧の形態とみなされています。制度的差別には、ある集団の地位の向上も含まれることがあります。例えば、支配集団の一員であることだけによって人々が受けられる利益である特権の場合などです。

健康、能力、人種、あるいはジェンダーに関するものであれ、ほとんどの人がある程度の特権を持っています。人種について議論する場合、しばしば白人の特権に焦点が当てられます。これは、米国を含むいくつかの社会で、非白人よりも白人、または白人と認識される人々に恩恵がある社会的特権のことです。ほとんどの白人の人々は、非白人の人々が肌の色による一群の不利益を背負って生きていることを認めるのにやぶさかではありません。しかし、彼らがそれなりの自覚を持つまでは、支配集団の一員であることによって自分自身が受けている利益を認めようとする人はほとんどいません。なぜでしょうか?ある人は自分の功績が減じられると感じるのかもしれず、別の人はある程度の罪悪感を感じるのかもしれず、また別の人は特権を認めると自分が悪い人間や卑劣な人間に見られると感じるのかもしれません。しかし、白人(あるいは他の支配的な人)の特権は制度的な条件であり、個人的なものではありません。本人がそれを求めようと求めまいと、特権は存在します。実際、このトピックに関する先駆的な思想家であるペギー・マッキントッシュは、自分が特権を認識できなかったのは、実際にはそれが卑劣さに基づくものではなかったからだと述べています。そうではなくて、その特権は「目に見えない、重さのないナップサックに詰まった特別支給品」であり、頼んだわけではないものの、それでもそこから彼女が恩恵を受けていたものでした(McIntosh, 1989)。この参考文献が示すように、マッキントッシュによる白人の特権についての初めての主要な出版物は1989年に発表されたものであり、多くの人がこの言葉になじむようになったのは近年になってからのことです。

先入観と差別は、さまざまな形で重なり合い、交錯することがあります。説明のために、先入観と差別がどのように発生し得るか、4つの例を挙げます。先入観のない非差別者は、心が広く、寛容で、受け入れることができる人たちです。先入観のない差別者は、女性や特定のジェンダーに当てはまらない人を、伝統的に男性が担ってきた特定の立場の選考において考慮しないことにより、職場において性差別を何も考えずに実践する人たちかもしれません。先入観のある非差別者は、人種差別的な信念を持ちながら、それを行動に移さない人たちです。例えば、少数派の顧客にサービスを提供する人種差別的な店主のような人です。先入観のある差別者には、積極的に他人を見下す発言をしたり、ヘイトクライムを蔓延させたりする人たちが含まれます。

人種差別

人種差別とは、ある人種カテゴリーが他よりも何らかの形で優れている、あるいは劣っていると主張することによって、個人に対する不平等を正当化するために用いられる先入観と差別の強いタイプです。それは、人種的な支配集団が、人種的な少数派集団を不利にすることによって自らの利益を最大化するために用いる一連の慣行です。このような慣行は、貧富の差、雇用、住宅差別、政府の監視、収監、薬物逮捕、移民逮捕、乳幼児死亡率など多くのことに影響を与えています(Race Forward, 2021)。

大まかに言えば、少数派集団に属する個人は、生涯にわたって個人的な人種差別とシステム的な人種差別の両方を経験します。以下の人種差別の一般的な形態のいくつかを読みながら、「自分はこの人種差別の一部なのだろうか?」「人種差別を止めるために、私はどのように貢献できるだろうか?」と自問してみてください。

  • 個人的な人種差別または対人的な人種差別とは、個人が意識的または無意識的に実行する先入観や差別で、個人間で発生するものを指します。例としては、人種差別的なジョークを言うことや、白人の優越性を信じることなどです。

  • システム的な人種差別とは、構造的な人種差別や制度的な人種差別とも呼ばれ、人種的少数派集団に不利益を与える手続きやプロセスを持つシステムや構造のことです。システム的な人種差別は、人種に基づく差別的な扱いや不公平な政策として組織内で発生し、その結果、有色人種よりも白人の方を優遇する不公平な結果をもたらします。例えば、有色人種の生徒が資金不足の学校に配属され、しっかりと設備の整った学校から排除されるような学校システムが挙げられます。

  • 人種プロファイリングは、システム的な人種差別の一種で、人種的少数派を選び出して異なる取り扱い方をすること、通常はより厳しい取り扱い方をすることを含みます。法執行機関職員による人種的少数派に対する異なる扱いは、米国における人種プロファイリングの一般的な例です。例えば、2008年から2010年にかけて行われたミネソタ州の全住民に対する運転免許特権に関する調査では、逮捕されたラティーノの割合が不釣り合いに高いことが判明しました(Feist, 2013)。同様に、逮捕、起訴、有罪判決を受けた黒人男性の不釣り合いな数は、人種プロファイリングを反映しています。

  • 歴史的な人種差別とは、過去の人種差別によって引き起こされた経済的不平等や社会的格差のことです。例えば、アフリカ系アメリカ人は、奴隷制時代や奴隷制後の時代に彼らの祖先が不当な扱いを受けたために、富や教育、雇用などの機会において悪影響を及ぼされてきました(Wilson, 2012)。

  • 文化的な人種差別は、ある社会の文化の中に、何らかの人種が劣っているという前提が組み込まれている場合に起こります。例えば、ヨーロッパ文化は、他の文化よりも成熟し、進化し、合理的であると考えられていることがあります(Blaut, 1992)。ある研究によると、高いGPA[優秀な成績]を得た白人やアジア系アメリカ人の学生は社会的に受け入れられやすい一方で、高いGPAを得た黒人やネイティブ・アメリカンの学生は仲間から拒絶されるということが示されています(Fuller-Rowell and Doan, 2010)。

  • カラリズムは人種差別の一形態です。この形態では、ある人種集団の中で、あるタイプの肌の色合いが他のものより優れている、あるいは劣っていると考える人がいます。例えば、もしある雇用主が、肌の色が濃い黒人従業員は、肌の色が薄い黒人従業員より能力が低いと考えている場合、それはカラリズムです。研究では、肌の色が濃いアフリカ系アメリカ人は、肌の色が薄いアフリカ系アメリカ人に比べて、より多くの差別を経験していることが示唆されています(Herring, Keith, and Horton, 2004; Klonoff and Landrine, 2000)。

  • カラーアヴォイダンス[色を避ける]人種差別(「カラーブラインド[色を意識しない]人種差別」と呼ばれることもあります)とは、ヨーロッパ系アメリカ人が、人種差別はもはや問題ではないとして、人種的な言葉を避けることです。一般に個人的な人種差別に焦点を当てた米国の文化的な物語では、システム的な人種差別を認識することができません。この形態の差別は公民権時代以降に生じたもので、人種への言及を避けながら人種差別を支持しています(Bonilla-Silva, 2015)。

反人種差別主義者になるには

米国では、ほぼすべての主流派の声が人種差別に反対しています。にもかかわらず、人種差別はいくつかの形で蔓延しています。例えば、新聞社が犯罪で告発された個人を特定するために人々の人種を使用する場合、特定の少数派に対する固定観念を強化するかもしれません。また、人種差別的な慣習の例として、不動産業者が人種に基づき住宅購入希望者を特定の地域へ誘導したり、遠ざけたりする人種ステアリングがあります。

人種差別的な態度や信念は、具体的な人種差別的行為よりも陰湿で、突き止めることが難しい場合が多いです。それらは暗黙の偏見のためにより複雑になります。暗黙の偏見(無意識の偏見とも呼ばれます)とは、意識的に気づくことなく人々のカテゴリーに対する固定観念や態度を連想するプロセスであり、その結果、公正や平等についての意識的な信念とは相反する不公平な行動や決定が生じることがあります(Osta and Vasquez, 2021)。例えば、学校では、「優等生」や「英才教育」のクラスが白人の生徒ですぐに埋まる一方で、黒人やラティーノの生徒の大半が下位のクラスに入れられる光景をよく目にします。その結果、私たちの心は、意識的にか無意識的にか、黒人やラティーノの生徒は知能が低い、能力が低いものと連想し始めます。オスタとバスケス(Osta and Vasquez, 2021)は、有色人種の生徒をより下位の、より厳格でないコースに配置することで、私たちは不公平を再生産しており、構造的な人種差別と暗黙の偏見の悪循環が続くと主張しています。

図11.5 | 暗黙の偏見と構造的な人種主義。(Osta and Vasquez, 2021)

図11.5 | 暗黙の偏見と構造的な人種主義。(Osta and Vasquez, 2021)

誰もが反人種差別主義者になれば、構造的な人種差別と暗黙の偏見の悪循環を断ち切ることは遠くないかもしれません。反人種差別主義者になることは、歴史を前にした根本的な選択であり、私たちの意識の徹底的な方向転換を必要とします(Kendi, 2019)。反人種差別の支持者は、地域、国、世界レベルでの人種差別に挑戦するために、私たち自身、私たちの制度、私たちのネットワークの中で協働しなければならないと示しています。反人種差別の実践とは、誰もが少なくとも以下のことを追求すべきな、あらゆる人の継続的な取り組みです(Carter and Snyder, 2020):

  • 私たちが社会化されてきた人種差別的な考え方と、その考え方が私たち一人ひとりの中に作り出した人種差別的な偏見を理解し、認める。
  • 人種差別的な政策、実践、手続きを特定し、反人種差別的な政策、実践、手続きと置き換える。

反人種差別は、人と直接論争したり、自分の特権についてみじめに感じたり、自分の必要性や成功を否定したりといった意味で、対立的である必要はありません。実際、少数派の一員である多くの人々は、支配集団からの味方の必要性を認めています(Melaku, 2020)。人種差別的な考えを理解し、認め、自分の特権を認識することは、良いことであり、勇気あることです。

人種差別は、教育、経済、犯罪、政治、その他の社会システムに関連する複雑な現実の中に埋め込まれているため、私たちは単純に人種差別を廃止する法律を制定することによって人種差別を消し去ることはできません。重要なのは、誰もが日々意識的な選択をすることで、反人種差別主義者になれるということです。人種差別主義者であるか反人種差別主義者であるかは、あなたが何者であるかということではなく、あなたが何をするかということです(Carter and Snyder, 2020)。

あなたにとって「反人種差別主義者」であることは何を意味するでしょうか?あなたの地域や国、あるいはどこかでの最近の出来事や抗議活動をどのように見ていますか?それらは、何か望ましい変化をもたらしているでしょうか?

大局的な観点

米国における人種的緊張

2014年8月9日にミズーリ州ファーガソンで起きたマイケル・ブラウンの死は、米国における人種的緊張と、先入観、差別、および制度的な人種差別の重なりを示しています。その日、武器を持たない黒人青年ブラウンは、ダレン・ウィルソンという白人の警察官に殺されました。この事件の際、ウィルソンはブラウンとその友人に、道路ではなく歩道を歩くように指示しました。目撃者の証言はさまざまですが、ウィルソンとブラウンの間で口論が起こったという点では一致しています。ウィルソンの証言では、ブラウンが自分に暴行を加えた後、自己防衛のためにブラウンを撃ったことになっていますが、同じく当時居合わせたブラウンの友人であるドリアン・ジョンソンは、ブラウンはまず逃げ、次に両手を上げて降参して振り向き、その後ウィルソンが彼を繰り返し撃ったと主張しました(Nobles and Bosman, 2014)。3つの検死では、ブラウンが6回撃たれたことが独立して確認されました(Lowery and Fears, 2014)。

この銃殺事件は、米国における人種に関連する多くの緊張に注意を向けさせました。まず、黒人の多いコミュニティーのメンバーは、ブラウンの死を、白人の警察官が黒人男性を人種的にプロファイリングした結果だと考えました(Nobles and Bosman, 2014)。その数日後、この町の53人の警察官のうち、黒人は3人しかいないことが明らかになりました(Nobles and Bosman, 2014)。その後数週間の間に全米の対話は変化し、一部のコメンテーターは、全国的な人種的不平等の堆積を指摘し、地域社会、地元の政治機構、警察組織における偏った人種構成の原因として、ファーガソンにおけるレッドライニングを指摘しました(Bouie, 2014)。レッドライニングとは、少数派が多い地域にある家庭や企業への融資を常習的に拒否する行為であり、人種的不平等の堆積とは、黒人の富を蓄積する能力を制限する、実際上のものと法律上のものの両方の人種差別の世代間の影響のことを表します。

ファーガソンの人種的不均衡は、2010年には人口の約63%しか黒人がいなかったにもかかわらず、2013年には制止の86%、捜索の92%、逮捕の93%において黒人が拘束された理由の一部を説明しています(Missouri Attorney General’s Office, 2014)。さらに、ファーガソンの学校における事実上の隔離、人種による貧富の差、都市の無秩序な拡大、白人の失業率の3倍にものぼる黒人の失業率は、ファーガソンの既存の人種的緊張を悪化させるとともに、全米の人種的不平等を反映していました(Bouie, 2014)。

米国では、この状況はあまり変わっていません。マイケル・ブラウン以降、何十人もの武器を持たない黒人が警察によって射殺されています。いくつかの研究では、警察による殺傷力の行使における人種間格差に変化がないことを見出しています(Belli, 2020)。あなたは、人種的少数派に対する警察の行動を止めることによって、人種的緊張を減らすことができると思いますか?人種的緊張を緩和するためには、どのような種類の政策や実践が重要でしょうか?誰が責任を負うでしょうか?それはなぜですか?

11.4 集団間の関係性

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 集団間の異なる関係を、その相対的な寛容度の観点から説明する
  • それぞれのタイプの集団間の関係の歴史的および/または現代的な例を挙げる

集団間の関係(異なる集団の人々の間の関係性)は、寛容と不寛容の間のスペクトルに沿って広がっています。最も寛容な集団間の関係は多元主義で、そこでは少数派集団と多数派集団の区別はなく、対等な立場があります。連続体のもう一方の端部には、不寛容な集団間の関係の極端な例である融合、追放、さらにはジェノサイドがあります。

多元主義

多元主義とは、米国が「サラダボウル」のようなもので、異なる文化が混ざり合い、それぞれの文化が独自のアイデンティティーを保ちながら、全体の風味を引き立てるという理想を表しています。真の多元主義は、支配的な文化も従属的な文化も含めて、すべての文化が相互に尊重され、多文化を受け入れる環境を作り出すことを特徴とします。現実には、真の多元主義は到達するのが難しい目標です。米国では、多元主義に必要な相互の尊重がしばしば欠けており、また、メルティングポット[人種のるつぼ]と呼ばれるこの国の過去のモデルは、文化の違いを受け入れるのではなく、消し去る社会を想定しています。

同化

同化とは、少数派の個人または集団が、支配的な文化の特徴を取り入れることによって、自らのアイデンティティーを放棄するプロセスを表します。異なる土地からの移民を受け入れ、吸収してきた歴史を持つアメリカでは、同化は移民の役割でした。

図11.6 | アメリカに移住した多くの人にとって、自由の女神は自由と新しい生活のシンボルです。残念ながら、彼らはしばしば先入観や差別に遭遇します。(Credit: Mark Heard/flickr)

図11.6 | アメリカに移住した多くの人にとって、自由の女神は自由と新しい生活のシンボルです。残念ながら、彼らはしばしば先入観や差別に遭遇します。(Credit: Mark Heard/flickr)

アメリカでは、ほとんどの人には移民の祖先がいます。比較的最近の歴史では、1890年から1920年の間に、米国は約2400万人の移民の故郷となりました。それ以来、何十年にもわたってさらなる移民の波が岸辺に押し寄せ、時には長い期間の先入観や差別に直面しながらも、最終的には米国の文化に吸収されてきました。同化は、支配的な文化に吸収されることで少数派集団の文化的アイデンティティーの喪失につながる可能性があります。しかし、同化では、多数派集団の文化的アイデンティティーへの影響は、最小限であるか、あるいはまったくありません。

いくつかの集団は、もともとの民族性を象徴するような仕草だけを残していることもあります。例えば、アイルランド系アメリカ人の多くは聖パトリックデーを祝い、ヒンドゥー系アメリカ人の多くはディワリの祭を楽しみ、メキシコ系アメリカ人の多くはシンコ・デ・マヨ(プエブラの戦いでメキシコがフランス帝国に勝利したことを5月5日に記念する)を祝うかもしれません。しかしながら、1年の残りの時間では、彼らの原点である文化の他の側面は忘れられてしまうかもしれません。

同化は、多元主義が生み出す「サラダボウル」と正反対のものであり、従属的な文化は、自らの文化の風味を維持するよりも、新しい環境に同調するために自らの伝統を放棄します。社会学者は、社会経済的地位、空間的集中、言語の同化、異なる集団の人との結婚という4つの指標を用いて、移民が新しい文化にどの程度同化しているかを測定します。人種的・民族的な差別に直面した場合、新しい移民が完全に同化するのは困難になることがあります。特に言語の同化は、雇用や教育の選択肢を狭め、社会経済的地位の向上を阻害する手ごわい障壁となり得ます。

融合

融合とは、少数派集団と多数派集団が合体して新しい集団を形成するプロセスです。融合は、古典的な「メルティングポット[人種のるつぼ]」の比喩を作り出します。それぞれの文化が個性を保つ「サラダボウル」とは異なり、「メルティングポット」の理想は、文化の組み合わせによってまったく新しい文化が生まれると見るものです。

人種間の婚姻によって達成されるのがミセジェネーションという形態の融合です。アメリカでは、ジム・クロウ時代の南部で、異人種間の結婚を犯罪とする反異人種間結婚(アンチ・ミセジェネーション)法が盛んに制定されました。1967年のラヴィング対ヴァージニア州裁判によって、ようやく最後の反異人種間結婚法が削除され、これらの法律が違憲とされました。

ジェノサイド

ジェノサイドとは、標的となる(通常は被支配)集団を意図的に消滅させることであり、最も有害な集団間の関係性です。歴史的に見ると、ジェノサイドには、ある集団を絶滅させる意図と、意図的かどうかにかかわらず集団を絶滅させる機能の両方が含まれていることがわかります。

ジェノサイドの事例としておそらく最もよく知られているのは、20世紀前半にヒトラーが行ったユダヤ人絶滅の試みでしょう。これはホロコーストとしても知られており、ヒトラーの「最終的解決」の明確な目的は、ヨーロッパのユダヤ人の根絶であり、それとともにカトリック教徒、障害を持つ人々、LGBTQの人々など他の少数派集団も破壊することでした。強制移住、強制収容所、ガス室での大量処刑など、ヒトラーのナチス政権は1200万人の死者に対する責任を負っており、そのうち600万人はユダヤ人でした。ヒトラーの意図は明白であり、ユダヤ人の死者数の多さは、ヒトラーとその政権がジェノサイドを行ったことを確かに示しています。しかし、それほどあからさまで意図的でないジェノサイドについては、私たちはどのように理解すればよいのでしょうか?

ヨーロッパの入植者によるネイティブ・アメリカンの扱いは、先住民の人々に対して行われたジェノサイドの一例です。一部の歴史家は、1500年には約1200万人いたネイティブ・アメリカンの人口が、1900年にはわずか23万7000人にまで減少したと推定しています(Lewy, 2004)。ヨーロッパからの移住者は、アメリカン・インディアンを彼ら自身の土地から力ずくで追い出し、チェロキー族やポタワトミ族の涙の旅路で起きたように、強制移住の際に数千人の死者を出すこともしばしばありました。移住者たちはまた、ネイティブ・アメリカンを奴隷にし、彼らの宗教的・文化的慣習を放棄するよう強制しました。しかし、ネイティブ・アメリカンの死の主な原因は、奴隷制度でも戦争でも強制移住でもなく、ヨーロッパから伝わったさまざまな病気と、それらに対するインディアンの免疫力不足でした。天然痘、ジフテリア、麻疹は、これらの病気にかかったことがなく、病気と闘う能力もないアメリカの先住民族の間で蔓延しました。端的に言えば、これらの病気が部族の大部分を殺戮しました。このジェノサイドがどのように計画されたものであったかは、今でも議論の的となっています。一部の人々は、病気の蔓延は征服の意図せぬ結果であったと主張しており、他の人々は、天然痘に感染した毛布が部族に「贈り物」として配られたという噂を引用して、病気の蔓延が意図的であったと考えています。

ジェノサイドは単なる歴史上の概念というわけではありません。それは、21世紀になってからも行われています。例えば、スーダンのダルフール地方では、民族的・地理的な対立が数十万人の死者につながっています。スーダン政府と国が支援する民兵組織ジャンジャウィードは、現在も続く土地紛争の一環として、ダルフールの人々を殺害し、強制移住させ、組織的にレイプする行動を展開しています。2011年に条約が締結されましたが、この和平は脆弱なものです。

追放

追放とは、支配集団によって、被支配集団が特定の地域や国からの退去を強制されることを指します。涙の旅路やホロコーストの例に見られるように、追放はジェノサイドの一要素となることがあります。しかしながら、追放は、破壊的な集団の相互作用として単独で成立することもあります。追放は、歴史的に見て民族的、あるいは人種的な根拠をもってしばしば行われてきました。アメリカでは、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が、日本政府による真珠湾攻撃の後、1942年に大統領命令9066号を発布しました。この命令は、日本人の祖先が8分の1でもいる人(つまり、日本人の曾祖父母が一人でもいる人)に対する収容所の設置を許可しました。12万人以上の合法的な日本人居住者と日系アメリカ市民(その多くは子供)が、共謀やスパイの証拠がまったくないという事実にもかかわらず、最長4年間これらの収容所に収容されました。(実際、多くの日系アメリカ人は、戦争中に米軍に従軍することにより、米国への忠誠を示し続けました。)1990年代、アメリカ行政府はこの追放について正式な謝罪を発し、賠償の努力は今日も続いています。

隔離

隔離とは、特に住居において、また職場や社会的機能において、2つの集団が物理的に分離されることを指します。デジュール隔離(法律によって強制される隔離)とデファクト隔離(法律がなくても他の要因のために発生する隔離)を区別することが重要です。デジュール隔離の顕著な例は、1948年から1994年まで存在した南アフリカ共和国のアパルトヘイト運動です。アパルトヘイトの下で、南アフリカの黒人は公民権を剥奪され、白人の同国人と物理的に隔離された地域に強制的に移動させられました。数十年にわたる不名誉、暴力的な反乱、国際的な反対活動を経て、ようやくアパルトヘイトが最終的に廃止されました。

アメリカでは、南北戦争後、長年にわたってデジュール隔離が行われていました。この期間、多くの旧南部連合の州では、黒人と白人のための隔離された施設を義務付けるジム・クロウ法が制定されました。これらの法律は、「分離すれども平等」な施設は合憲であるとした1896年のプレッシー対ファーガソン事件の画期的な最高裁判決によって法典に組み入れられました。その後50年間、黒人は合法化された差別を受け、分離された(不平等な)施設で生活し、働き、学校に通うことを強いられました。1954年になって、ブラウン対教育委員会事件で、最高裁は「分離された教育施設は本質的に不平等である」と宣言し、アメリカにおけるデジュール隔離は終了しました。

図11.7 | 「ジム・クロウ」時代の南部では、黒人と白人のために「分離すれども平等な」施設を設けることが合法でした。(Credit: Library of Congress/Wikimedia Commons)

図11.7 | 「ジム・クロウ」時代の南部では、黒人と白人のために「分離すれども平等な」施設を設けることが合法でした。(Credit: Library of Congress/Wikimedia Commons)

しかしながら、デファクト隔離は、いかなる裁判所の命令によっても廃止することはできません。ブラウン判決の結果として人種隔離を撤廃した施設はほとんどありませんでした。実際、判決を執行するためには、政府や軍の介入さえ必要であり、平等を正式に実現するために公民権法やその他の法律が制定されました。アメリカでは、人種隔離はまだ健在であり、異なる人種や民族の集団が、近隣地域、区、あるいは教会区ごとに隔離されていることがしばしばあります。社会学者は、異なる地域における異なる人種の人種的隔離を測定するために隔離指数を使用しています。この指数は、0から100までの尺度を用いており、0が最も統合されており、100が最も統合されていないことを示しています。例えば、ニューヨークの大都市圏では、2005年から2009年の間、黒人と白人の隔離指数は79でした。これは、それぞれの地域が都市圏全体と同じ人種バランスになるためには、黒人または白人の79%が移動しなければならないことを意味します(Population Studies Center, 2010)。

11.5 米国における人種と民族性

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 米国におけるさまざまな民族集団の異なる経験を比較対照する
  • 集団間の関係、人種、民族性の理論をさまざまな被支配集団に適用する

新世界にやってきた植民者たちは、「発見する」必要のない土地に出会いました。なぜなら、そこにはすでに人が住んでいたからです。最初の移民の波は西ヨーロッパから来ましたが、やがて北米に入る人の大半は北ヨーロッパ、次に東ヨーロッパ、そしてラテンアメリカとアジアから来るようになりました。そして忘れてはならないのが、奴隷にされたアフリカ人の強制移民です。これらの集団のほとんどは、社会のヒエラルキーの最下層に追いやられた後、(可能な人は)社会的移動性をなんとか獲得するという、権利剥奪の時期を経験しました。このような実績があるため、米国は、他の国に住む何百万人もの人々にとって、今でも「夢の目的地」です。子供も含め、毎年何千人もの人々が、正規の方法と滞在許可を取らない方法の両方でここに到着しています。ほとんどのアメリカ人は、新しい移民を心から歓迎し、支援しています。例えば、2001年に提出された外国人未成年者のための発達・救済・教育(DREAM)法案は、子供の頃に米国に到着した滞在許可を持たない移民が永続的な法的地位への道筋を得るための方法を提供するものです。同様に、2012年に導入された幼年期に到着した移民のための延期措置(DACA)は、若い滞在許可を持たない移民に就労許可と強制送還からの保護を与えています(Georgetown Law, 2021)。今日、米国社会は、複数の出身国の人々で構成される多文化、多人種、多民族の社会です。

米国国勢調査局は、米国行政管理予算局が提供するガイドライン(OMB, 2016)に従って、人種データを収集しています。これらのデータは自認に基づくものであり、一般に、人種や出身国、社会文化的集団を含む、この国で認められている人種の社会的定義を反映しています。人々は、「アメリカン・インディアン」と「白人」のように、自分の人種的な混合を示すために複数の人種を報告することを選択することができます。自分の出身をヒスパニック、ラティーノ、またはスペイン系とする人は、どの人種でもかまいません。OMBは、最低5つのカテゴリーを要求しています。それは、白人、黒人またはアフリカ系アメリカ人、アメリカン・インディアンまたはアラスカ・ネイティブ、アジア系、そして、ネイティブ・ハワイアンまたはその他の太平洋諸島民です。2019年7月1日時点の米国国勢調査局の速報によると、さまざまな人種集団を表す3億2800万人以上が米国に住んでいることが示されました(表11.1)。

表11.1 | 人種とヒスパニック系出身者の人口割合、2019年(表の提供は米国国勢調査局)。

表11.1 | 人種とヒスパニック系出身者の人口割合、2019年(表の提供は米国国勢調査局)。

表の用語を明確にするために、米国国勢調査局は人種集団を以下のように定義していることに留意してください:

  • 白人 - ヨーロッパ、中東、または北アフリカのいずれかの出身の人々に起源を持つ者。
  • 黒人またはアフリカ系アメリカ人 - アフリカのいずれかの黒人の人種集団に起源を持つ者。
  • アメリカン・インディアンまたはアラスカ・ネイティブ - 南北アメリカ(中央アメリカを含む)のいずれかの出身の人々に起源を持ち、部族への所属またはコミュニティーへの愛着を維持する者。
  • アジア系 - 例えばカンボジア、中国、インド、日本、朝鮮、マレーシア、パキスタン、フィリピン諸島、タイ、ベトナムなどを含む、極東、東南アジア、インド亜大陸のいずれかの出身の人々に起源を持つ者。
  • ネイティブ・ハワイアンまたはその他の太平洋諸島出身 - ハワイ、グアム、サモア、その他の太平洋諸島のいずれかの出身の人々に起源を持つ者。

人種に関する情報は、多くの連邦政府のプログラムで必要とされ、特に人種的正義を含む公民権に関する政策決定を行う上で重要です。各州は、選挙区の再編成の原則を満たすためにこれらのデータを使っています。人種データはまた、雇用機会の均等を促進するためや、この多文化性がどの程度受け入れられているかを示すような健康や環境リスクにおける人種格差を評価するために使用されています。多文化主義のさまざまな現れ方は、政治的に非常に大きな影響をもたらします。以下では、いくつかの集団がどのようにして米国社会の一部となったかを説明し、各群の集団間の関係の歴史を論じ、それぞれの集団の今日の地位を評価します。

ネイティブ・アメリカン

ネイティブ・アメリカンとは、先住民の人々のことで、米国で唯一の非移民の人々です。アメリカン・インディアン国民会議によると、ネイティブ・アメリカンとは、「米国およびその信託統治領のすべての先住民(すなわち、アメリカン・インディアン、アラスカ・ネイティブ、ネイティブ・ハワイアン、チャモロ人、アメリカ領サモア人)、およびカナダのファースト・ネーションとメキシコ・中米・南米の先住民コミュニティー出身者で米国に居住する者(NCAI 2020, p. 11)」とされています。ネイティブ・アメリカンはかつては数百万人いましたが、2010年には米国人口の0.9%を占めるに過ぎませんでした(上記の(U.S. Census, 2010)を参照してください)。現在、約290万人がネイティブ・アメリカンであると自認しており、さらに230万人がネイティブ・アメリカンと他の民族集団との混血であると自認しています(Norris, Vines, and Hoeffel, 2012)。

現実世界における社会学

ネイティブ・アメリカンの名前を持つスポーツチーム

図11.8 | 多くのネイティブ・アメリカン(およびその他の人々)は、インディアンス、ブレーブス、ウォリアーズといった名称のスポーツチームが、歓迎されない固定観念を永続させていると考えています。「ノット・ユア・マスコット」の抗議活動は、当時のワシントン・レッドスキンズに向けられた多くの抗議活動の1つで、このチームは最終的に名称が変更されました。(Credit: Fibonacci Blue/fickr)

図11.8 | 多くのネイティブ・アメリカン(およびその他の人々)は、インディアンス、ブレーブス、ウォリアーズといった名称のスポーツチームが、歓迎されない固定観念を永続させていると考えています。「ノット・ユア・マスコット」の抗議活動は、当時のワシントン・レッドスキンズに向けられた多くの抗議活動の1つで、このチームは最終的に名称が変更されました。(Credit: Fibonacci Blue/fickr)

スポーツの世界には、インディアンス、ウォリアーズ、ブレーブス、そしてサヴェージズやレッドスキンズといったチーム名があふれています。これらの名称は、ネイティブ・アメリカンを獰猛で、勇敢で、強靭だとする歴史的な先入観のある見方から生まれたものです。そのような属性はスポーツチームにとっては有益かもしれませんが、それ以上のものとして見られるべき米国の人々にとっては、必ずしも有益ではありません。

1960年代の公民権運動以来、アメリカン・インディアン国民会議(NCAI)はこのようなマスコットの使用に反対するキャンペーンを展開しており、「戦士の野蛮さという神話は、インディアンは未開で教育を受けていないという人種差別的見解を強化し、強制的な同化政策やインディアン文化の破壊の正当化に使われてきた」(NCAI Resolution #TUL-05-087, 2005)と主張しています。このキャンペーンは、限られた成功しか収めていません。一部のチームが名称を変更したとはいえ、何百ものプロ、大学、幼稚園から高校までの学校のチームが、いまだにこの固定観念に由来する名称を使用しています。また、アメリカン・インディアン文化サポート(AICS)という別の団体は、幼稚園から高校までの学校でこのような名前が使われていることを特に懸念しており、本来なら子供たちがこのような固定観念が与えるものではなく、ネイティブ・アメリカンのより完全で現実的な理解を得るべき時に、子供たちに影響を与えていると考えています。

長年にわたる圧力と、社会正義や文化的感受性についての感覚がより広がった結果、ワシントン・フットボール・チームは2020年シーズン前に侮辱的な名前を削除し、メジャーリーグベースボールのクリーブランド・チームは2021年シーズン後に名前を変更すると発表しました。

このような名称について、あなたはどう考えますか?それらは許可されるべきでしょうか、それとも禁止されるべきでしょうか?シンボリック相互作用論者なら、このトピックについてどのような議論をするでしょうか?

集団間の関係の歴史

ヨーロッパ人が入植する以前のネイティブ・アメリカンの文化は、プレ・コロンビアン(つまり1492年にクリストファー・コロンブスが来訪する以前のもの)と呼ばれています。コロンブスは、東インド諸島に上陸したと勘違いして、先住民の人々を「インディアン」と名付けました。この名称は、地理的に誤った名付け方であり、何百もの主権を持つ部族ネーションに対して一律に使われているにもかかわらず、何世紀にもわたって存続しています(NCAI, 2020)。

ヨーロッパの植民者とネイティブ・アメリカンとの間の集団間の関係の歴史は、残酷なものです。ジェノサイドの項で議論したように、南北アメリカ大陸へのヨーロッパ人の入植の影響は、先住民をほとんど壊滅させるようなものでした。ヨーロッパ人の病気に対するネイティブ・アメリカンの免疫力の欠如が最も多くの死者をもたらしましたが、ヨーロッパ人によるネイティブ・アメリカンのあからさまな虐待や虐殺もまた壊滅的なものでした。

最初のスペイン人入植者から、それに続くフランス人、イングランド人、オランダ人に至るまで、ヨーロッパ人入植者は自分たちが望む土地を手に入れ、大陸上で自由に拡張していきました。もし先住民が土地の管理権を保持しようとすれば、ヨーロッパ人は優れた武器で彼らを撃退しました。ヨーロッパ人の南北アメリカ大陸支配は、まさに征服でした。ある学者は、アメリカの少数派集団の中で、純粋に支配集団による征服によって従属が生じたのは、ネイティブ・アメリカンだけであると指摘しています(Marger, 1993)。

アメリカ合衆国政府の設立後、ネイティブ・アメリカンに対する差別は、彼らを従属させ、権力を獲得させないことを目的とした一連の法律として成文化され、正式な形で制定されました。最も影響力のある法律のいくつかは以下の通りです:

  • 1830年のインディアン移住法は、ミシシッピ川以東の先住民族を強制的に同川以西の土地に移転させました。
  • インディアン資金割り当て法はさらなる移住に資金を提供し、いかなるインディアン部族も、米国政府が条約を結ばなければならない独立ネーション、部族、勢力として認めないと宣言しました。これによって、アメリカ政府が望む土地を奪うことがさらに容易になりました。
  • 1887年のドーズ法では、ネイティブ・アメリカンを居留地に隔離する政策を改め、白人入植者と混在する個々の土地に強制的に移住させ、それにより集団としての力を削ぐことになりました。

ネイティブ・アメリカンの文化は、19世紀後半に設立された寄宿学校によって、さらに侵食されました。これらの学校はキリスト教の宣教師とアメリカ合衆国政府によって運営され、ネイティブ・アメリカンの子供たちを「文明化」し、白人社会に同化させるという明確な目的を持っていました。寄宿学校は、子供たちを家族や文化から確実に切り離すために、居留地外に設置されました。これらの学校は、子供たちに対して髪を切り、英語を話し、キリスト教を実践することを強制しました。身体的、性的虐待は何十年にもわたって横行し、1987年になってようやく、インディアン事務局から寄宿学校における性的虐待に関する方針が出されました。今日のネイティブ・アメリカンが直面している問題の多くは、ほぼ一世紀にわたる寄宿学校での虐待の結果であると主張する学者もいます。

現在の地位

ネイティブ・アメリカンの文化の根絶は、ネイティブ・アメリカンが公民権運動に参加し、その恩恵を受けることができるようになった1960年代まで続きました。1968年のインディアン公民権法は、インディアン部族にアメリカ合衆国権利章典の権利のほとんどを保証しました。1975年のインディアン自己決定法、同年の教育支援法などの新しい法律は、部族政府を認め、より大きな権限を与えました。インディアンの寄宿学校は数少なくなり、ネイティブ・アメリカンの文化的集団は、古い伝統が永遠に失われることのないよう、保存と維持に努めています。今日、ネイティブ・アメリカンは、彼らの部族ネーション、アメリカ合衆国、そして居住する州という3つの主権領域の市民です(NCAI, 2020)。

しかしながら、ネイティブ・アメリカン(そのうちの一部の人は、「ネイティブ」という言葉が持つ「野蛮」という意味合いを避けるため、アメリカン・インディアンと呼ばれることを望んでいます)は、何世紀にもわたるひどい扱いの影響に今も苦しんでいます。長期にわたる貧困、不十分な教育、文化的な疎隔、高い失業率は、ネイティブ・アメリカンの人々が経済領域の底辺に沈む原因となっています。また、ネイティブ・アメリカンは、米国の他のほとんどの集団よりも短い平均余命のために不釣り合いに苦しんでいます。

アフリカ系アメリカ人

人種の項で述べたように、アフリカ系アメリカ人という言葉は、多くの人にとって誤解を招く可能性があります。肌の色が黒い人の多くは、より最近のルーツをヨーロッパまたはカリブ海に持つことがあり、自分たちのことを、例えば、ドミニカ系アメリカ人またはオランダ系アメリカ人であると考えるかもしれません。さらに、アフリカからの実際の移民は、元々この国に来た祖先から何世代も隔たった人よりも、アフリカ系アメリカ人という言葉に対してより強い主張を持っていると感じるかもしれません。

米国国勢調査局(U.S. Census Bureau, 2019)は、米国の人口の少なくとも13.4%が黒人であると推定しています。

どのように、そしてなぜやって来たのか

アフリカ系アメリカ人は、その祖先が選んでこの国に来たわけではない、アメリカにおける少数派集団の典型です。1619年に、あるオランダ人の船長が最初のアフリカ人たちをヴァージニア植民地であるジェームズタウンに連れてきて、彼らを年季奉公人として売りました。(年季奉公人とは、一定期間働くことを約束させられた人々のことで、通常、正式な報酬はありませんでした。)これは黒人にとっても白人にとっても珍しい行いではなく、年季奉公人には高い需要がありました。その後の一世紀の間、黒人と白人の年季奉公者は肩を並べて働きました。しかし、農業経済の発展により、より多く、より安い労働力が求められるようになり、1705年にはヴァージニアで、いかなる外国生まれの非キリスト教徒も奴隷とすることができ、奴隷にされた人は財産とみなされると宣言する奴隷規約が制定されました。

その後150年間、アメリカの奴隷制度は興隆し、アフリカの黒人は自らの土地から誘拐され、中間航路として知られる大西洋横断の旅で新大陸に送られました。アメリカ大陸に到着すると、黒人の人口は増加し、アメリカ生まれの黒人がアフリカ生まれの黒人を上回るまでになりました。しかし、植民地の(後に米国の)奴隷法は、奴隷にされた人の子供もまた奴隷であると宣言し、奴隷階級を作り出しました。1808年には、アメリカ国内でも奴隷貿易が行われるようになり、家畜のように州境を越えて奴隷が売買されるようになりました。

集団間の関係の歴史

奴隷制度ほど、支配集団と被支配集団の関係性を端的に表しているものはありません。奴隷主やその支持者たちは、自分たちの著しい差別的行為を正当化するために、黒人を生まれつき劣等であるとみなしました。奴隷にされた人々は、市民権(奴隷所有者とその支持者にとっては極めて重要な要素)という最も基本的な権利さえも否定されました。奴隷制度は、人種関係に対する紛争理論の視点を示す優れた例です。支配集団は、その力を維持するために、被支配集団を完全に統制する必要がありました。鞭打ち、処刑、強姦、学校教育や医療の拒否は広く行われていました。

奴隷制度は、やがてそれをめぐって国家が地理的、思想的に異なる派閥に分かれる問題となり、南北戦争へと至りました。道徳的な理由による奴隷制度の廃止が戦争のきっかけの1つになったことは確かですが、それだけが原動力だったわけではありません。米国史を学ぶ学生は、南部経済における米、綿花、たばこなどの農作物の生産が、奴隷制度の提供するほとんど無限の安価な労働力に依存していたため、奴隷制度が南部経済にとって極めて重要であったことを学ぶことになるでしょう。対照的に、北部では奴隷制度による経済的な恩恵は受けられず、その結果、人種的・政治的な問題と結びついた経済格差が生じました。

一世紀のちの公民権運動は、ボイコット、行進、座り込み、フリーダムライドなど、被支配集団とその支持者が、もはや支配に屈しないという意思表示をすることによって特徴付けられました。アメリカの公式に制度化された人種差別に大きな打撃を与えたのは、1964年の公民権法でした。この法律は、人種、肌の色、宗教、性別、または出身国に基づく差別を禁止するもので、今日でも重要な法律です。

現在の地位

アフリカ系アメリカ人に対する政府主導の公式化した差別は違法化されましたが、真の平等はまだ存在しません。全国都市同盟の2020年平等指数では、黒人の白人に対する全体的な平等度は概ね改善されてきていると報告されています。市民としての関与、経済、教育、その他の基準を測定すると、2010年の黒人の平等度は71%、2020年の平等度は74%であるとしています。2005年から発表されているこの指数では、特に失業、保険加入、収監の分野で、白人との不平等が拡大する傾向にあることが指摘されています。また、経済、健康、教育の分野でも、黒人は白人にかなり差をつけられています(National Urban League, 2020)。

人種差別と先入観は、この継続的な不平等にどの程度寄与しているのでしょうか?その答えは複雑です。2008年、この国初のアフリカ系アメリカ人大統領が選出されました。バラク・オバマです。オバマ大統領は、一般的に黒人と認識されていますが、彼には同程度に白人であるという混在した背景があることに私たちは留意すべきです。すべての大統領は、時に公に嘲笑されてきましたが(ジェラルド・フォードは間抜け、ビル・クリントンは性欲をコントロールできない人物として描かれました)、オバマに対する批判の驚くべき割合は、彼の人種に基づいていました。他の多くの章において、私たちは医療、教育、収監、その他の分野における人種間格差について論じています。

黒人は奴隷制度から長い道のりを歩んできましたが、何世紀にもわたる無力化の残響は、いまだ明白です。

現実世界における社会学

黒人は今も人種的正義を求めています

図11.9 | このジョージ・フロイドの死亡現場での集会は、彼が殺害された5日後に行われました。ミネアポリスのシカゴ・アベニューと38番通りの交差点であるこの場所は、記念の場となりました。(Credit: Fibbonacci Blue/flickr)

図11.9 | このジョージ・フロイドの死亡現場での集会は、彼が殺害された5日後に行われました。ミネアポリスのシカゴ・アベニューと38番通りの交差点であるこの場所は、記念の場となりました。(Credit: Fibbonacci Blue/flickr)

2020年、人種的正義の運動は、黒人に対する警察の残虐行為やあらゆる人種的動機による暴力の事件に対抗して、その抗議活動を拡大しました。ジョージ・ジマーマンの無罪判決を受けて2013年に設立された団体ブラック・ライブズ・マター(BLM)は、ジョージ・フロイド、ブレオナ・テイラー、その他警察の暴力による黒人被害者の殺害に抗議する運動の中核を担いました。あらゆる人種的背景を持つ何百万人もの人々が直接または間接的にこの運動に参加し、被害者とその家族のための正義を要求し、より全体的でコミュニティー主導の法執行を推進するために警察組織の資金を再分配し、システム的な人種差別に対処し、無実の人々を殺した警察官を罰する新しい法律を導入しました。

人種的正義の運動は、これらの要求のいくつかを達成することができました。例えば、ミネアポリス市議会は2021年3月、ジョージ・フロイドの遺族に対する2700万ドルの和解金を全会一致で承認しました。これは、黒人の命に関する不法死亡事件における裁判前の和解金としては過去最大です(Shapiro and Lloyd, 2021)。和解金のうち50万ドルは、フロイドが亡くなった地域のビジネス街を強化することを意図したものです。46歳の黒人男性であるフロイドは、2020年5月25日にミネアポリスで逮捕・殺害されました。あなたは、このような和解金が、恐ろしい人種差別の影響を受けた被害者やその家族、地域社会に正義を提供するのに十分なものだと思いますか?また、もっとやるべきことは何でしょうか?望ましい変化をもたらすために、あなたはどのように貢献できますか?

アジア系アメリカ人

アジア系アメリカ人は、非常に多様な文化や背景を持つ人々です。家族が三世代にわたって米国にいる日系アメリカ人の経験は、米国に数年しかいないラオス系アメリカ人の経験とは大きく異なるでしょう。この項では、主に中国、日本、朝鮮、ベトナムの移民を取り上げ、彼らの経験の違いを示します。米国国勢調査局(U.S. Census Bureau, 2019)の最新の推計によると、人口の約5.9%が自らをアジア系と認識していることが示唆されています。

どのように、そしてなぜやって来たのか

アジア系アメリカ人の移民史における国や民族の多様性は、米国社会に加わる際の彼らの経験の多様性に反映されています。アジア系移民は、さまざまな時期に、さまざまな理由で、波状的に米国にやって来ています。

19世紀半ば、米国に最初にやってきたアジア系移民は中国人でした。これらの移民は主に男性で、中国にいる家族を養うための収入を得るために、数年間働くことを目的としていました。彼らの主な目的地はアメリカ西部であり、そこではゴールドラッシュによってもたらされた豊富な資金の魅力が人々を引きつけていました。この頃、大陸横断鉄道の建設が進んでおり、セントラル・パシフィック鉄道区間では、険しいシエラネバダ山脈へのレール敷設を完遂するために、何千人もの中国人移民男性を雇いました。また、中国人男性は、鉱山や農作業などの他の肉体労働にも従事しました。労働は過酷で賃金も低かったですが、多くの移民がそうであったように、彼らは辛抱強く働きました。

1882年の中国人排斥法の後、1880年代には日本人の移民が始まりました。多くの日本人移民がハワイに到来して製糖業に従事し、他の日本人はアメリカ本土、特にカリフォルニアに移住しました。しかしながら、中国人と違って、日本人はアメリカ政府と交渉して自国の移民の福利を保証する強力な政府を持っていました。日本人男性は妻や家族を連れて渡米することができたため、中国人と比べてより早く日系二世、三世のアメリカ人を誕生させることができました。

最近の大規模なアジアからの移民は、朝鮮とベトナムからのもので、その多くは20世紀後半に行われました。朝鮮からの移民はかなり緩やかでしたが、ベトナムからの移民は、サイゴン陥落後、ベトナムに制約の多い共産主義政策が確立された1975年以降に主に起こりました。多くのアジア系移民がより良い経済機会を求めて米国にやって来たのに対し、ベトナム系移民は祖国の厳しい環境からの亡命を求める政治難民として渡ってきました。1980年に制定された難民法は、彼らが米国で定住する場所を見つけるのに役立ちました。

図11.10 | 35人のベトナム難民が米軍水陸両用艦USSブルーリッジ(LCC-19)に収容されるのを待っています。彼らは8日間海上で過ごした後、ベトナムのカムラン湾の北東350マイルの地点で35フィートの漁船から救助されるところです。(Credit: U.S. Navy/Wikimedia Commons)

図11.10 | 35人のベトナム難民が米軍水陸両用艦USSブルーリッジ(LCC-19)に収容されるのを待っています。彼らは8日間海上で過ごした後、ベトナムのカムラン湾の北東350マイルの地点で35フィートの漁船から救助されるところです。(Credit: U.S. Navy/Wikimedia Commons)

集団間の関係の歴史

中国からの移民は、1882年に制定された中国人排斥法によって唐突に途絶えました。この法律は、経済不況と雇用の喪失によって高まった反中国人感情の結果でした。白人労働者は、中国人移民が仕事を奪っていると非難し、この法律の成立によって、中国人労働者の数は減少しました。中国人男性たちは中国に帰国する資金も家族をアメリカに呼び寄せる資金もなかったため、彼らは大都市のチャイナタウンに物理的にも文化的にも隔離されたままでした。その後、1924年に制定された移民法によって、中国からの移民はさらに制限されました。この法律には、人種に基づく出身国法が含まれており、これは「好ましくない」移民を減らすことで、米国の民族構成をできるだけ純粋なままに保つことが目的でした。中国からの移民が再び増加するのは1965年の移民および国籍法以降のことであり、多くの中国人家族が再会を果たしました。

日系アメリカ人は米国に深く長く根を下ろしていますが、その歴史は必ずしも平坦ではありませんでした。1913年のカリフォルニア外国人土地法は、彼らや他のアジア系移民に向けられたもので、移民が土地を所有することを禁止しました。また、さらに醜悪な行為は第二次世界大戦中の日本人収容所であり、これについては、以前に追放の一例として議論しました。

現在の地位

アジア系アメリカ人は、モデル・マイノリティー(模範的な少数派)という一見したところ肯定的な固定観念にもかかわらず、確かに相応の人種的先入観にさらされてきています。モデル・マイノリティーの固定観念は、既存の体制に異議を唱えることなく、教育的、職業的、社会経済的に重要なレベルに達しているとみなされる少数派集団に適用されます。

この固定観念は、典型的には米国のアジア系集団に適用され、期待に応えられない集団のメンバーに汚名を着せることによって、非現実的な期待をもたらす可能性があります。また、すべてのアジア人が賢く有能であるという固定観念は、必要な政府の援助の欠如と、教育や職業上の差別にもつながることがあります。

現実世界における社会学

アジア系アメリカ人に対するヘイトクライム

図11.11 | アジア人とCOVID-19パンデミックに関する誤った連想が一因となって、アジア人に対する攻撃が広まったことを受け、国内および世界各地の団体が、カナダで行われたこの集会のようなストップ・アジアン・ヘイト(アジア人へのヘイトをやめよう)集会を開催しました。(Credit: GoToVan/flickr)

図11.11 | アジア人とCOVID-19パンデミックに関する誤った連想が一因となって、アジア人に対する攻撃が広まったことを受け、国内および世界各地の団体が、カナダで行われたこの集会のようなストップ・アジアン・ヘイト(アジア人へのヘイトをやめよう)集会を開催しました。(Credit: GoToVan/flickr)

全米のアジア系アメリカ人は、COVID-19のパンデミックの蔓延に結び付けられるヘイトクライム、ハラスメント、差別の大幅な増加を経験しました。地域共同体で記録をつけている人たちは、2020年中に全国で3000件以上の反アジア人の攻撃を記録しましたが、それ以前の数年間は毎年約100件のこうした事件が記録されていました(Abdollah, 2021)。アジア系アメリカ人の指導者たちは、地域住民にあらゆる犯罪事件を報告するよう促し、地元の法執行機関に既存のヘイトクライム法の執行拡大を要求してきました。

アジア系アメリカ人の多くは、自分たちが「モデル・マイノリティー」として考えられているにもかかわらず、自分たちの共同体が政治、メディア、エンターテインメントの主流から長い間無視されてきたと感じています。最近では、アジア系アメリカ人のジャーナリストたちがソーシャルメディア上で自らの差別の話を共有し、連邦議員の高まる声が行動を要求しています。あなたは、アジア系アメリカ人に対する暴力を止めるために、何かできると思いますか?あなたの行動は、アジア系アメリカ人だけでなく、米国のより広い範囲の人々を助けることができるでしょうか?

白人アメリカ人

白人アメリカ人は、米国で支配的な人種集団です。米国国勢調査局(U.S. Census Bureau, 2019)によると、現在、米国の成人の76.3%が自分自身を白人のみであると認識しています。この項では、私たちはドイツ、アイルランド、イタリア、東欧の移民に焦点を当てます。

なぜやって来たのか

19世紀初頭から20世紀半ばにかけて、白人民族のヨーロッパ人は第二、第三の移民の大波を形成しました。彼らは、イングランドから来た白人プロテスタントを中心に構成された新生アメリカ合衆国に加わりました。ほとんどの移民はより良い生活を求めてやってきましたが、彼らの体験はすべて同じではありませんでした。

ヨーロッパからの移民の最初の大きな流入は、1820年代に始まるドイツとアイルランドから来たものでした。ドイツ人は、経済的な機会を求めて、また、特に1848年の革命後の政情不安や軍隊への徴兵から逃れるためにやってきました。この時期のドイツ人移民の多くは政治難民であり、抑圧的な政府から逃れようとする自由主義者でした。彼らは十分に裕福であったため、内陸部にも進出し、中西部に今日まで続くドイツ人の多い飛び地を形成しました。

同時代のアイルランド人移民は、特に1845年のアイルランド・ジャガイモ飢饉の後では、経済的に必ずしもそこまで恵まれていたわけではありませんでした。アイルランド人移民は主に東海岸の都市に定住し、そこで彼らは労働者として雇用されましたが、大きな差別に直面しました。

ドイツ人とアイルランド人の移住は19世紀後半から20世紀初頭にかけても続きましたが、そのころには南欧や東欧からの移民の数も増え始めました。1890年代には、主としてイタリア南部出身のイタリア人が大量に到着し始めました。また、ロシア、ポーランド、ブルガリア、オーストリア=ハンガリーの人々からなる東欧系移民も同時期に流入が始まりました。東欧の人々の多くは、祖国で厳しい生活を強いられていた小作農であり、政情不安や土地不足、不作などの理由から、より良い機会を求めてアメリカに渡ってきました。また、この東欧からの移住の波には、東欧のポグロム(ユダヤ人排斥のための虐殺)や、当時のポーランドとロシアにあったユダヤ人居住区から逃れてきたユダヤ人も含まれていました。

集団間の関係の歴史

広い意味では、ドイツ人移民は、本節で取り上げる他の被支配集団の多くと同程度の被害を受けてはいません。両手を広げて歓迎されることはなかったかもしれませんが、彼らは飛び地に定住して根を張ることができました。これの顕著な例外は、第一次世界大戦勃発前から第二次世界大戦にかけてであり、この時期には反ドイツ感情が敵意に満ちたものとなりました。

アイルランドからの移民は、その多くが非常に貧しい人々であり、ドイツ人よりも底辺層に近い状態でした。アイルランドでは、イングランド人が何世紀にもわたってアイルランド人を抑圧し、彼らの言語や文化を根絶やしにして、彼らの宗教(カトリック)を差別していました。アイルランド人はイングランド人よりも人口が多かったにもかかわらず、彼らは被支配集団でした。このような動態は新世界にも及び、イングランド系アメリカ人はアイルランド人移民のことを、汚く、野心に欠け、最も単調な仕事しかできない、人種的に隔たったものとみなしました。実際、アイルランド人移民は、支配集団がアフリカ系アメリカ人を評するのと同じような批判にさらされました。必然的に、アイルランド人移民は、イングランド系の隣人からは隔離された緊密なコミュニティーを形成しました。

のちの南欧や東欧からの移民の波もまた、激しい差別と先入観にさらされることになりました。特に、このころにはドイツ人やアイルランド人の二世、三世を含むようになった支配集団は、イタリア人移民をヨーロッパのくずとみなし、アメリカの人種の純度を心配しました(Myers, 2007)。イタリア人移民は、北東部の都市にある隔離されたスラムで暮らし、アフリカ系アメリカ人が耐え忍んでいるのと同じような暴力やリンチの犠牲となるケースもありました。彼らは他の労働者よりも低賃金で肉体労働を行い、しばしば土木や建設など、他の労働者が引き受けたがらない危険な仕事もこなしました。

現在の地位

ドイツ系アメリカ人は、国内の白人民族のアメリカ人の中で最も大きな集団です。長年にわたり、ドイツ系アメリカ人は強い文化的アイデンティティーを維持しようと努力してきましたが、現在では支配的な文化の中へと文化的に同化しつつあります。

米国には現在、アイルランドにいるアイルランド人の数より多いアイルランド系アメリカ人がいます。この国最大の文化的集団の1つであるアイルランド系アメリカ人は、徐々に支配集団の中へと受け入れられ、同化してきました。

マイヤーズ(Myers, 2007)は、イタリア系アメリカ人の文化的同化は「ほぼ完了したが、民族性の名残がある」と述べています。「リトル・イタリー」地区(元々は19世紀にイタリア人が集まった隔離されたスラム街)の存在感は、今日でもあります。リトル・イタリーの聖人のお祭りに観光客が押し寄せる一方で、ほとんどのイタリア系アメリカ人は、他の白人集団と同じような割合で郊外に移動しています。第二次世界大戦後、イタリア系アメリカ人がより受け入れられるようになったのは、部分的には他の新しい移民集団のためであり、また部分的には50万人以上のイタリア系アメリカ人が軍隊に入り、イタリア自体を含む枢軸国と戦うという戦争努力に大きく貢献したためでもあります。

あなたが「宗教」の章で見ることになるように、ユダヤ人もまた、アメリカへの移民の中心的な集団でした。彼らは、イタリア人と同じような形で、結束の固い地域にしばしば居住しました。ユダヤ人のアイデンティティーは、多くのユダヤ人が自分を宗教と同時に集合的な民族集団の一員であると考えている点において、また、多くのユダヤ人が宗教だけでなく祖先とのつながりを感じているという点において、興味深く多様です。実際、ユダヤ系アメリカ人の数をめぐるデータの多くは、ユダヤ人であるとはどういうことを意味するかについてのさまざまな定義や識別事項に関する注意書きとともに提示されています(Lipka, 2013)。

これまで見てきたように、簡単に1つのカテゴリーに収まる少数派集団や、簡単に記述できる少数派集団は存在しません。社会学者は、個人の経験は社会的特性(人種、階級、ジェンダーなど)に照らして理解できることが多いと考えていますが、私たちはこの視点と、どの人も個人的な経験は異なるものだという認識とのバランスをとらなければなりません。一般化することは、固定観念や先入観につながる可能性があります。多様な背景を持ち、多種多様な経験をしてきた白人民族のアメリカ人にも同じことが言えます。

社会政策とディベート

白人民族のアメリカ人について考える:アラブ系アメリカ人

図11.12 | ミシガン州ディアボーンにあるアメリカ・イスラムセンターは、アメリカ最大のモスク(イスラム教の礼拝所)です。イスラム教徒の女性や少女はしばしば頭部を覆う服を着ており、これにより彼女たちは時に嫌がらせの標的になることもあります。(Credit A: Ryan Ready/flickr; B: U.S. Department of Agriculture/flickr)

図11.12 | ミシガン州ディアボーンにあるアメリカ・イスラムセンターは、アメリカ最大のモスク(イスラム教の礼拝所)です。イスラム教徒の女性や少女はしばしば頭部を覆う服を着ており、これにより彼女たちは時に嫌がらせの標的になることもあります。(Credit A: Ryan Ready/flickr; B: U.S. Department of Agriculture/flickr)

19世紀末から20世紀初頭にかけて、初めてアラブ人移民がこの国にやって来ました。彼らは主にシリア、レバノン、ヨルダンのキリスト教徒で、迫害から逃れ、より良い生活をするために来ました。これらの初期移民とその子孫は、自分たちのことをアラブ人ではなくシリア人やレバノン人だと考える傾向が強く、現在のアラブ系アメリカ人の人口のほぼ半分を占めています(Myers, 2007)。1920年代から1965年までの移民制限政策により移民は抑制されましたが、1965年以降のアラブ人移民は安定しています。この時期の移民は、イスラム教徒で、より高い教育を受けた人であることが多く、政情不安から逃れ、より良い機会を求めています。

米国は2001年9月11日の同時多発テロ攻撃によって甚大な影響を被り、それ以来アラブ系アメリカ人に対する人種プロファイリングが進行しています。特に飛行機での移動の際、若くてアラブ系の見た目をしているというだけで、特別な検査や拘束を受けるには十分です。このイスラム嫌悪(イスラム教徒に対する不合理な恐怖や憎悪)は収まる気配がありません。すべてのアラブ系の人々がイスラム教を信仰しているという固定観念がありますが、アラブ系アメリカ人はすべての宗教的実践を表しています。地理的には、アラブ地域は中東と北アフリカの一部(MENA)を構成しています。この地域に祖先を持つ人や、主にアラビア語を話す人は、自分をアラブ人だとみなすかもしれません。

米国国勢調査は、アラブのアイデンティティーの問題に苦慮してきました。2020年の国勢調査では、例年通り、人種に関する質問の下に(MENA)カテゴリーを設けませんでした。アメリカ政府は、アラブ系アメリカ人の支持者や団体による新しいカテゴリーの追加の求めを拒否しました。これは、アラブ地域に由来する人々が「白人」として数えられることを意味します(Harb, 2018)。アラブ系アメリカ人に対する先入観や差別を減らすために、MENAのカテゴリーを追加することは適切だと思いますか?米国における人種的正義を促進するために、他にどのようなカテゴリーを追加すべきでしょうか?

ヒスパニック系アメリカ人

米国国勢調査局は、データの収集と報告において2つの民族性を使用しています:「ヒスパニックまたはラティーノ」と「ヒスパニックまたはラティーノでない」です。ヒスパニックまたはラティーノとは、人種に関係なく、キューバ人、メキシコ人、プエルトリコ人、南アメリカまたは中央アメリカ人、またはその他のスペイン文化や起源を持つ人のことを指します。ヒスパニック系アメリカ人の背景や国籍は多岐にわたります。

2019年の米国人口のうち、ヒスパニックを自認する層は、最近では全体の18.5%であると推定されました(U.S. Census Bureau, 2019)。2010年の米国国勢調査によると、ヒスパニックと自認する回答者の約75%が、メキシコ、プエルトリコ、キューバに起源をもつと報告しています。米国国勢調査では、人は複数の民族性であると報告することができることを忘れないでください。

ヒスパニック系アメリカ人人口を構成するさまざまな出自の間には大きな違いがあるだけでなく、このグループ自体の呼び名にも違いがあります。それゆえ、これほど多様な集団に対してヒスパニックやラティーノというのが正しい用語なのか、あるいは、例えばメキシコ系アメリカ人やドミニカ系アメリカ人など、具体的に自分の出自を用いて自分たちのことを指し示す方が人々にとって良いのか、ということをめぐって意見が分かれています。この項では、メキシコ系アメリカ人とキューバ系アメリカ人の経験を比較します。

どのように、そしてなぜやって来たのか

メキシコ系アメリカ人は最大かつ最古のヒスパニック系の下位集団を形成します。メキシコ人の米国への移住は、安価な農業労働力の必要性に応えて1900年代初頭に始まりました。メキシコ人の移住は、しばしば出稼ぎ型でした。労働者は数年間滞在した後、出身国で稼げたであろうお金よりも多くのお金を手にメキシコに戻りました。メキシコは米国と長い国境を接しているため、他の多くの移民集団と比較して移住が容易です。

キューバ系アメリカ人は二番目に大きなヒスパニック系の下位集団であり、その歴史はメキシコ系アメリカ人とはまったく異なるものです。キューバから米国への移民の主な波は、1959年にフィデル・カストロが政権を握った後に始まり、1980年のマリエル難民で頂点に達しました。カストロのキューバ革命は、今日まで続く共産主義の時代を切り開きました。裕福で教育を受けたキューバ人の多くは、政府による資産の差し押さえを避けるため、北の方、主としてマイアミ周辺に移住していきました。

集団間の関係の歴史

数十年の間、メキシコ人労働者は長い国境を越えてアメリカに渡り、「書類を持つ[滞在許可を取る]」方法と「書類を持たない[滞在許可を取らない]」方法の両方で、発展途上のアメリカに農産物を供給する畑で働いていました。西部の生産者は安定した労働力の供給を必要としており、1940年代と1950年代には、メキシコ人臨時労働者を保護する連邦政府のブラセロ・プログラム(ブラセロはスペイン語で強い腕という意味)が公式に実施されました。興味深いことに、1954年には「ウェットバック作戦」も実施され、何千人もの不法滞在のメキシコ人労働者が強制送還されました。これらの例から、メキシコからの移民に対する米国の扱いは、よく言っても両面的であったことがわかります。

社会学者のダグラス・マッセイ(Massey, 2006)は、メキシコの平均的な生活水準は米国よりも低いかもしれないものの、それはほとんどのメキシコ人が永住を目標にするほど低くはないと示唆しています。しかしながら、1986年の移民改革管理法から始まった国境の強化によって、ほとんどのメキシコ人にとっては一方通行の移住が原則となりました。マッセイは、メキシコ人の不法な片道移民の増加は、それを減らすことを意図した法律の直接的な結果であると主張しています。

キューバ系アメリカ人は、移民当時、比較的裕福で教育水準が高かったためか、多くの移民よりも順調にやれてきています。さらに、彼らは共産主義国から逃れてきたため、彼らには難民としての地位が与えられ、保護や社会サービスが提供されました。1995年のキューバ移民協定により、キューバからの合法的な移民が制限されたため、多くのキューバ人が船で不法移民を試みるようになりました。米国議会調査局の2009年の報告書によると、米国政府はキューバ人移民に対して「ウェットフット/ドライフット」政策を適用しており、海上で捕まえられたキューバ人はキューバに戻され、海岸にたどり着いた人は米国への滞在が許可されていました。この政策は2017年に終了しました。

現在の地位

メキシコ系アメリカ人、特に滞在許可を有さない人たちは、移民についての国家的議論の中心となっています。マイヤーズ(Myers, 2007)は、これほどまでに法的な論争がある環境の中で米国に移住した少数派集団は(中国人を除いて)他にないと観察しています。彼は、ある年には、滞在許可を得た形で入国したメキシコ人移民の3倍の数が滞在許可を得ずに米国に入国した可能性があると指摘しています。これは、開かれた国境の両側で経済的な機会に巨大な格差があるためであり、法律を破るという固有の傾向によるものではないことに留意しておくべきです。ジェイコブ・ヴィグドー(Vigdor, 2008)は、彼の報告書「アメリカ合衆国における移民同化を測定する」の中で、メキシコ人移民の経済的・市民的同化率は比較的低いと述べています。さらに彼は、「経済的・市民的同化率の低さは、メキシコ人を他の移民から際立たせており、米国に許可を持たずに滞在している多数のメキシコ人移民が、これらの次元で自分自身を向上させる機会をほとんど持っていないという事実を反映しているのかもしれない」と示唆しています。

対照的に、キューバ系アメリカ人は、より大きなヒスパニック集団の中のモデル・マイノリティー集団とみなされることが多いです。キューバ人の多くは、この国に到着した時点で社会経済的地位が高く、反共産主義を掲げる彼らは、この国への難民として歓迎されています。特にフロリダ州南部では、キューバ系アメリカ人は地元の政治や職業生活で活躍しています。しかしながら、アジア系アメリカ人と同様に、モデル・マイノリティーであることは、これらの少数派集団が米国社会で直面する無力感の問題を覆い隠すことになり得ます。

社会政策とディベート

アリゾナ州上院法案1070号

図11.13 | アリゾナ州の抗議者たちが、厳しい反移民の新法に異議を唱えています。(Credit: rprathap/flickr)

図11.13 | アリゾナ州の抗議者たちが、厳しい反移民の新法に異議を唱えています。(Credit: rprathap/flickr)

メキシコ系アメリカ人は、合法移民・非合法移民を問わず、また人口も多いことから、しばしば固定観念化、人種差別、差別の対象となっています。この厳しい例はアリゾナ州で起きたものであり、そこでのSB1070(上院法案1070号の略)として知られる厳しい移民法が、全米で論争になりました。この法律は「私たちの法執行機関と安全な近隣を支援する法律」という正式名称で、アリゾナ州の警察官が合法的に一時停止、拘留、または逮捕する際に、不法滞在の疑いがある人の移民在留資格を確認することを義務付けるものです。この法律では、個人が合法的な身分であることを確認する書類を持たないことを犯罪とするとともに、不法滞在の疑いがある人を拘束する権利を警察官に与えています。

多くの人にとって、この法律の最も厄介な点は、警察官が誰の市民権を問うことができるかという点において自由度が与えられていることです。「ある人物がアメリカ合衆国に不法に滞在している外国人であるという合理的な疑い」があれば、移民管理当局の書類を要求するのに十分な理由となります(Senate Bill 1070, 2010)。批判者は、この法律が人種プロファイリング(法執行機関がある人の犯罪を疑う根拠として人種を用いるという違法な行為)を助長し、「Driving While Brown(褐色の肌で運転する)」(法律用語のDWI:Driving While Intoxicated(酒酔い状態で運転する)やスラングの「Driving While Black(黒い肌で運転する)」になぞらえた言葉)ことが危険な行為となると言っています。Driving While Brown(褐色の肌で運転する)は、非白人というだけで車を止められる可能性があることを指しています。

SB1070は、アリゾナ州の警察官、アメリカ自由人権協会、さらにはアリゾナ州が連邦移民法と矛盾しているとして訴えた連邦政府など、さまざまな関係者からの多くの訴訟の対象となってきました(ACLU, 2011)。2012年6月、連邦最高裁判所はSB1070に関するアリゾナ州対アメリカ合衆国の判決を下しました。裁判所は、法の執行による一時停止時に移民の地位のチェックを義務付ける条項は支持しましたが、他の3つの条項は破棄しました。裁判所は、これらの条項が合衆国憲法の優越条項に違反するとの判決を下しました。

重要用語

融合:少数派と多数派が合体して新しい集団を形成するプロセス

反人種差別主義者:人種差別に反対し、人種的正義のために行動する人

同化:少数派の個人または集団が支配的な文化の特徴を取り入れるプロセス

カラリズム:ある人種集団の中で、あるタイプの肌の色合いが他のものより優れている、あるいは劣っていると考えること

先入観の文化:先入観が私たちの文化の中に埋め込まれているという理論

差別:ある人々の集団に対する、先入観を持った行為

支配集団:ある社会で、被支配集団のどれよりも大きな力を持つ人々の集団

民族性:遺産、言語、宗教などを含むことのある共有された文化

追放:支配集団が被支配集団に対して、ある地域、あるいは国から退去するよう強制する行為

ジェノサイド:標的となる(通常は被支配)集団を意図的に消滅させること

インターセクション理論:私たちが人種、階級、ジェンダー、性的指向、その他の属性による影響を分離できないことを示唆する理論

少数派集団:他の人々から区別されて差異のある不平等な扱いを受ける人々のあらゆる集団

モデル・マイノリティー:多数派の体制に反発することなく、教育的、職業的、社会経済的により高いレベルに達しているとみなされる少数派集団に適用される固定観念

多元主義:「サラダボウル」としての米国の理想。異なる文化が混ざり合い、それぞれの文化が独自のアイデンティティーを保ちながら、全体の「風味」を引き立てる状態

先入観:ある人々の集団についての欠陥のある仮定に基づく偏った考え

人種プロファイリング:法執行機関が誰かを停止させ拘束するかどうかを決定するために、人種だけを利用すること

人種ステアリング:不動産業者が人種に基づき住宅購入希望者を特定の地域へ誘導したり、遠ざけたりする行為

人種差別:ある人種カテゴリーが他よりも何らかの形で優れている、あるいは劣っているという信念を正当化するために使われる一連の態度、信念、慣行

レッドライニング:少数派が多い地域にある家庭や企業への融資を常習的に拒否する行為

スケープゴート理論:支配集団が焦点のずれた攻撃を被支配集団に加えることを示唆する理論

人種的不平等の堆積:黒人の富を蓄積する能力を制限する、実際上のものと法律上のものの両方の人種差別の世代間の影響

隔離:特に住居において、また職場や社会的機能において、2つの集団が物理的に分離されること

人種の社会的構築:人種は生物学的に識別できないとする考え方の学派

固定観念:人々の集団についての過剰に単純化された考え方

被支配集団:支配集団よりも力の弱い人々の集団

システム的な人種差別:社会制度に埋め込まれた人種差別で、制度的な人種差別や構造的な人種差別とも呼ばれる

白人の特権:米国を含むいくつかの社会で、非白人よりも白人、または白人と認識される人々に恩恵がある社会的特権

各節のまとめ

11.1 人種集団、民族集団、および少数派集団

人種は基本的には社会的構築物です。民族性とは、共有された文化や出身国を表す言葉です。少数派集団は、力の欠如によって定義されます。

11.2 人種と民族性に関する理論的視点

人種に関する機能主義的な見方は、安定した社会構造を作るために支配集団と被支配集団が果たす役割について研究しています。紛争理論家は、さまざまな人種集団や民族集団の間の力の格差や闘争を調べます。相互作用論者は、人種と民族性を個人のアイデンティティーと社会的象徴の重要な源泉とみなします。先入観の文化という概念は、すべての人がその文化に根ざした固定観念の影響を受けることを認識するものです。

11.3 先入観、差別、人種差別

固定観念とは、人々の集団についての過剰に単純化された考え方です。先入観とは思考や感情を指し、差別とは行動を指します。人種差別は、ある人種が他の人種より本質的に優れている、または劣っているという信念による先入観と差別の両方です。反人種差別主義者は、さまざまな制度やコミュニティーで反人種差別主義的な政策や実践を採用することによって、人種差別のシステムに対抗しています。

11.4 集団間の関係性

集団間の関係は、多元主義という寛容なアプローチから、ジェノサイドのような厳しい不寛容まで多岐にわたります。多元主義では、集団は独自のアイデンティティーを保持します。同化では、集団は支配集団のアイデンティティーに同調します。融合では、集団が合体して新しい集団のアイデンティティーを形成します。

11.5 米国における人種と民族性

アメリカ人の歴史は無限の多様な経験を含んでおり、社会学者はそれらがパターンに従うものとして理解します。この土地に最初に住んだ先住民から、過去500年にわたる移民の波に至るまで、移住は多くの共通した特徴を持つ経験です。ほとんどの集団は、同化の過程を経る中で、さまざまな程度の先入観や差別を経験してきました。

各節についての質問

11.1 人種集団、民族集団、および少数派集団

  1. 人種用語の「アフリカ系アメリカ人」は、__________を指すことがあります。
  1. 米国に住む黒人の人
  2. 祖先が奴隷貿易で米国に来た人々
  3. アフリカを起源とし、現在米国に住んでいる白人の人
  4. 上記のいずれかに該当する人
  1. 少数派集団の決定的な特徴は何ですか?
  1. 自己定義
  2. 数の上での少数派
  3. 力の欠如
  4. 強い文化的アイデンティティー
  1. 民族性とは、共有された__________のことです。
  1. 信条
  2. 言語
  3. 宗教
  4. 上記のいずれか
  1. 以下のうち、数の上での多数派が被支配集団として扱われている例はどれですか?
  1. ドイツにおけるユダヤ人
  2. ニューオリンズにおけるクレオール
  3. ブラジルにおける白人
  4. 南アフリカ共和国におけるアパルトヘイト下の黒人
  1. スケープゴート理論は、__________を示しています。
  1. 被支配集団が、自分たちの問題を支配集団のせいにすること
  2. 支配集団が、自分たちの問題を被支配集団のせいにすること
  3. 一部の人々は先入観を持つ傾向があること
  4. 上記すべて

11.2 人種と民族性に関する理論的視点

  1. 米国の白人として、相手にする権威的な人物が自分と同じ人種であるのを合理的に確信することは、__________の結果です。
  1. インターセクション理論
  2. 紛争理論
  3. 白人の特権
  4. スケープゴート理論
  1. スピーディー・ゴンザレスは、__________の一例です。
  1. インターセクション理論
  2. 固定観念化
  3. 相互作用論者の見方
  4. 先入観の文化

11.3 先入観、差別、人種差別

  1. 固定観念は、__________に基づいている可能性があります。
  1. 人種
  2. 民族性
  3. ジェンダー
  4. 上記すべて
  1. 差別とは何ですか?
  1. ある個人または集団に対する偏見のある考え
  2. ある個人または集団に対する偏見のある行動
  3. 自分と異なる人種は劣っているという信念
  4. 固定観念化の別称
  1. 社会的事実としての人種差別の説明として、最も適切なものは以下のうちどれですか?
  1. 人種差別は法律で根絶する必要がある。
  2. 人種差別は魔法の薬のようなものである。
  3. 人種差別が継続するのに個人の行動は必要としない。
  4. 上記のいずれでもない

11.4 集団間の関係性

  1. どの集団間の関係が最も低い寛容性を示していますか?
  1. 隔離
  2. 同化
  3. ジェノサイド
  4. 追放
  1. 南部における法的分離を正当化した原理は何ですか?
  1. ジム・クロウ
  2. プレッシー対ファーガソン事件
  3. デジュール
  4. 分離すれども平等
  1. 「サラダボウル」の比喩で表現される集団間の関係性は何ですか?
  1. 同化
  2. 多元主義
  3. 融合
  4. 隔離
  1. 融合は、__________の比喩で表現されます。
  1. メルティングポット[人種のるつぼ]
  2. 自由の女神
  3. サラダボウル
  4. 分離すれども平等

11.5 米国における人種と民族性

  1. アメリカにおける被支配集団として、ネイティブ・アメリカンを独特なものとするのは何ですか?
  1. 彼らは追放を経験した唯一の集団である。
  2. 彼らは隔離された唯一の集団である。
  3. 彼らは奴隷にされた唯一の集団である。
  4. 彼らは米国の先住民である唯一の集団である。
  1. しばしば「モデル・マイノリティー」と呼ばれる被支配集団はどれですか?
  1. アフリカ系アメリカ人
  2. アジア系アメリカ人
  3. 白人民族のアメリカ人
  4. ネイティブ・アメリカン
  1. ヒスパニック系アメリカ人の移民を阻止するのではなく、より多く受け入れるよう設計された連邦政府の法律やプログラムはどれですか?
  1. ブラセロ・プログラム
  2. 移民改革管理法
  3. ウェットバック作戦
  4. SB1070
  1. 多くのアラブ系アメリカ人は、特に9/11以降、__________に直面しています。
  1. 人種差別
  2. 隔離
  3. イスラム嫌悪
  4. 先入観
  1. 白人民族のアメリカ人のほとんどが米国に来た理由は何ですか?
  1. より良い生活のため
  2. 抑圧から逃れるため
  3. 自分の国から追い出されたため
  4. aとbのみ

簡潔に答えてください

11.1 人種集団、民族集団、および少数派集団

  1. 「被支配」という言葉の方がより記述的であるのに、「少数派」という言葉が根強く残っているのはなぜだと思いますか?

  2. あなたは自分の民族性をどのように表現しますか?あなたの家族の出身国も含めますか?あなたは自分を多民族だとみなしますか?あなたの民族性は、あなたが最も長い時間を一緒に過ごす人々の民族性と比較してどうでしょうか?

11.2 人種と民族性に関する理論的視点

  1. レッドライニングと人種ステアリングは、制度化された人種差別にどのように寄与していますか?

  2. あなたが日常生活で目にする固定観念化の例を挙げてください。これをなくすためには何が必要かを説明してください。

11.3 先入観、差別、人種差別

  1. 白人の特権の例を3つ挙げてください。これを経験したことのある人を知っていますか?それはどのような視点からですか?

  2. あなたが思いつく先入観の文化の最悪の例は何ですか?それが最悪であると考える理由は何ですか?

11.4 集団間の関係性

  1. 移民法は、多元主義、同化、または融合のアプローチを促進するべきだと思いますか?現在の米国の移民政策では、どの視点が最も支持されていると思いますか?

  2. どのような集団間の関係が、被支配集団にとって最も有益であると思いますか?社会全体にとって最も有益であると思うのはどれですか?それはなぜですか?

11.5 米国における人種と民族性

  1. あなたの意見では、この国に来るのが最も簡単だったのはどの集団ですか?最も苦労したのはどの集団ですか?それはなぜですか?

  2. どの集団が最も社会経済的な利益を得ていますか?なぜ、その集団は他の集団よりも成功しているのだと思いますか?

さらなる研究

11.1 人種集団、民族集団、および少数派集団

PBSのサイト「What Is Race?(人種とは何か?)」(http://openstax.org/l/PBS_what_is_race)で、人種と民族性の側面を探ってみましょう。

11.2 人種と民族性に関する理論的視点

あなたは、自分や他の人の特権に気づいていますか?白人の特権チェックリスト(http://openstax.org/l/white_privilege_checklist)を使ってこの概念を探り、自分や他の人がどの程度当てはまるか確認してください。

11.3 先入観、差別、人種差別

憲法修正第1条の権利はどこまで及ぶべきでしょうか?この主題については、憲法修正第1条センターで詳細をお読みください。(http://openstax.org/l/first_amendment_center)

南部貧困法律センターのウェブサイト(https://openstax.org/l/SPL_Center)で、制度的な人種差別についてさらに学んでください。

短編ドキュメンタリー『Eye of the Storm(台風の目)』(https://openstax.org/l/Eye_Storm)を見て、先入観がどのように発展していくのかについてさらに学んでください。

11.4 集団間の関係性

あなたは自分の思い込みをわかっているつもりですか?潜在的連合テスト(http://openstax.org/l/implicit_association_test)で調べてみましょう。

オーストラリアのアボリジニの人々の扱いについて、あなたは何を知っていますか?長編ドキュメンタリー映画『Our Generation(我らの世代)』(https://openstax.org/l/Our_Gen)を見て、さらに発見してみましょう。

11.5 米国における人種と民族性

人々は、自分たちの民族的アイデンティティーを取り戻すことに関心があるのでしょうか?「The White Ethnic Revival(白人の民族的再興)」(http://openstax.org/l/ethnic_revival)という記事を読んで、判断してみてください。

米国の現在の人種構成はどうなっているでしょうか?米国国勢調査局(https://openstax.org/l/US_Census)で最新の統計情報を確認してください。

参考文献

はじめに

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11.1 人種集団、民族集団、および少数派集団

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