第3章 文化

図3.1 | これらの柔道選手が試合後に見せているように、武道には相手を深く敬うという確固とした伝統があります。プロボクシングや総合格闘技のような他の流派や競技でも、試合前の罵詈雑言や試合中の暴力にもかかわらず、対戦相手同士が非常に丁寧に接し、お互いを気遣う姿をよく目にすることができます。この習慣は、確実に他の競技分野にも反響しているものですが、格闘スポーツ文化の重要な部分です。(Credit: Special Olympics Nationale/flickr)

図3.1 | これらの柔道選手が試合後に見せているように、武道には相手を深く敬うという確固とした伝統があります。プロボクシングや総合格闘技のような他の流派や競技でも、試合前の罵詈雑言や試合中の暴力にもかかわらず、対戦相手同士が非常に丁寧に接し、お互いを気遣う姿をよく目にすることができます。この習慣は、確実に他の競技分野にも反響しているものですが、格闘スポーツ文化の重要な部分です。(Credit: Special Olympics Nationale/flickr)

この章の概要

3.1 文化とは何でしょうか?
3.2 文化の構成要素
3.3 ハイ、ロー、ポップ、サブ、カウンターカルチャーと文化変化
3.4 文化に関する理論的視点

はじめに

あなたが廊下で誰かとすれ違ったとき、テレビ会議に参加したとき、あるいはラジオ番組に電話をかけたとき、あなたとその場の関連する人とで次のような質問を交わすでしょう:「調子はどうですか?」あなたが尋ねるかもしれませんし、もう一方の人が尋ねるかもしれません。挨拶と質問、あるいはその変形を交わすかもしれません。一般的に、私たちはこのような知人への対応をルールとして考えてはいません。私たちは単に「こんにちは!」と言って、フレンドリーな挨拶のつもりで「週末はどうでしたか?」とかの些細な質問をします。

私たちは皆、特定の文化の中で作られ維持されているさまざまなルール、期待、基準を遵守しています。これらのルールや期待には意味があり、その意味が誤って解釈されたり、誤解されたりする可能性も多々あります。私たちがこれらの期待に応えていないとき、私たちは、私たちが何か受け入れられないことをしたと知らせる視線やコメントなど、何らかの形で不承認を受けることがあります。

もし、あなたが立ち止まって、「やあ、調子はどう?」と聞いてきた人すべてに、その日の自分の様子を正確に、しかも詳細に伝えたらどうなるか考えてみましょう。米国社会では、「挨拶」の規範に反することになります。もし、あなたが親友とコーヒーを飲んでいるような別の状況であれば、その質問は詳細な返答を正当化するかもしれません。

これらの例はすべて文化の一側面です。文化は、共有された価値観(理想)、価値観を強化する信念、価値観を維持する規範や規則、価値観を教えるための言語、人々が学ばなければならない言語を形成する象徴、芸術品と人工物、人々の集合的アイデンティティーや記憶から構成されています。社会学的には、私たちは、ある行動がどのような状況や文脈で期待され、どのような状況や文脈で期待されないかを調べます。共有された文化の中で交流する人々は、このような期待を作り出し、実行します。社会学者はこのような状況を調べ、パターンを探します。

日常会話では、アメリカの人々は文化と社会という用語をほとんど区別しませんが、これらの用語には異なる意味があり、この区別は社会学者にとって重要なことです。文化とは、ある集団の価値観、信念、規範、言語、シンボル、慣習を表す一方で、社会とは、その文化を共有する人々を表します。社会も文化も、どちらか一方がなければ存在し得ないものです。

米国では、多くの人々の集団がコミュニティーと文化を共有しています。社会学者たちは、「コミュニティー」という言葉を使って、ある社会における定義可能な地域、つまり、実際の terra firma [ラテン語で大地の意]を指しています。それは、近所(ブルックリン、あるいは「町の東側」)ほど小さいものでもあれば、国(エチオピア、ネパール、アメリカ)ほど大きいものでもあり、あるいはその中間(アメリカでは、南部や中西部の社会に属すると自覚する人が含まれるかもしれません)の場合もあります。

本章では、私たちは文化と社会の間の関係性をより詳細に検討し、多様性や社会の変革など、文化を形成する要素や力に特に注目します。最後の議論では、社会学者が文化を研究する際の理論的視点について検討します。

3.1 文化とは何でしょうか?

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 文化と社会を区別する
  • 物質的な文化と非物質的な文化について説明する
  • 文化的普遍性の概念を社会との関連で議論する
  • 自文化中心主義と他文化中心主義を比較対照する

人間は社会的な生き物です。スミソニアン協会の調査によると、人類は約300万年もの間、生き残るために集団を形成してきました。一緒に暮らすことで、人々は子育ての特定の方法から食べ物を手に入れるための好ましいテクニックまで、共通の習慣や行動を形成してきました。

買い物から結婚に至るまで、人間のほとんどすべての行動は学習されたものです。米国では、結婚は一般的に、二人の大人がお互いの愛の感情に基づいて行う個人的な選択と考えられています。しかし、他の国や時代では、結婚は家族ぐるみでの面談や交渉といった複雑な過程を経て整えられてきました。パプアニューギニアでは、女性の30%近くが18歳までに結婚し、8%の男性が複数の妻を持っています(National Statistical Office, 2019)。そのような文化の出身者でない人々にとって、お見合い結婚は、相性が悪かったり、恋愛感情がなかったりするリスクがあるように見えるかもしれません。しかし、人口の多い現代的な国を含めて、結婚がお膳立てされる文化圏の人々の多くは、ストレスを軽減し安定性を高めるために、そのアプローチを好むことがしばしばあります(Jankowiak, 2021)。

不文律に精通していることは、人々が安心し、安らぎを感じるのに役立ちます。道路を横断する際、車がやってくるかを確認するのに右ではなく左を見ることを知っていれば、大怪我や死さえも避けることができます。不文律を知ることは、異文化のユーモアを理解する上でも基礎となります。ユーモアはどの社会にも共通するものですが、何をもって面白いとするかは別です。アメリカ人は俳優が転ぶシーンで笑うかもしれませんが、他の文化では転ぶことは決して面白いものではありません。多くの人は、自分の行動が疑わしいものではない、あるいは中断させられるようなものではないことを確信して日常生活を送りたいと望みます。しかし、通勤という一見シンプルな行動でさえも、文化的な適切さというものが多く存在する、つまり、期待される行動がたくさんあり、それに対する解釈もたくさんある、ということを証明します。

図3.2 | 地方から来た人は、香港の満員電車でどう行動し、どう感じるでしょうか?(Credit: Eric Chan/flickr)

図3.2 | 地方から来た人は、香港の満員電車でどう行動し、どう感じるでしょうか?(Credit: Eric Chan/flickr)

公共交通機関を利用して通勤するケースを考えてみましょう。人々がエジプト、アイルランド、インド、日本、アメリカのどの国で通勤していても、多くの行動は同じでしょうし、パターンが見えてくるかもしれません。また、異なる行動もあるでしょう。公共交通機関を享受できる多くの社会では、乗客は目印のあるバス停や駅を見つけ、バスや電車を待ち、乗車前または乗車後に係員にお金を払い、空席があれば静かに座席に座ることができます。しかし、エジプトのカイロでバスに乗る場合、バスは乗客を乗せるために完全に停止しないことが多いので、乗客はバスが動いている間に乗るかもしれません。アイルランドのダブリンでは、バスの乗客は腕を伸ばして自分のために止まってほしいという意思表示をすることになっています。また、インドのムンバイでは通勤電車に乗るときには、乗客は混雑したホームで押し合いへし合いしながら、ぎゅうぎゅう詰めの車両に無理やり乗り込まなければなりません。このような行為は、他の社会では失礼にあたるかもしれませんが、ムンバイでは、収容能力に大きな負担のかかっている鉄道システムで何とかやっていくための日々の困難を反映しています。

文化には物質的なものと非物質的なものがあります。地下鉄の定期券やバスの乗車券は物質的な文化の一部であり、バスや地下鉄の車両、バス停の物理的な構造も同様です。物質的な文化とは、触れることができるもの、つまり有形のものだと考えてください。一方、非物質的な文化は、ある社会の考え方、態度、信念から構成されています。これらは触れることができないもの、つまり無形のものです。あなたは、地下鉄に乗るときは列を作るべきだとか、他の乗客はあなたのあまりにも近くに立つべきでないと信じているかもしれません。これらの信念は物理的な性質を持たず、触れることができないため、無形のものです。

文化の物質的な側面と非物質的な側面は結びついており、物理的な物体はしばしば文化的な考え方を象徴しています。地下鉄の定期券は物質的な物体ですが、非物質的な文化の一形態、つまり資本主義や、交通費を支払うことの受容を表しています。衣服、髪型、宝飾品は物質的な文化の一部ですが、特定の行事で特定の衣服を着用することの適切さは、非物質的な文化を反映しています。校舎は教育を象徴する物質的な文化に属しますが、教育方法や教育基準は教育の非物質的な文化の一部です。

人々がさまざまな地域から世界のまったく異なる地域へと旅するとき、文化のある物質的、非物質的な側面は劇的になじみのないものとなります。私たちが異なる文化に出会うときには何が起きるでしょうか?自らのもの以外の文化に接することで、私たちは他の文化と自分の文化との相違点や共通点をより意識するようになります。私たちが社会学的想像力を働かせれば、その違いを理解し、受け入れ始めることができるようになります。ボディランゲージや手振りは世界中でさまざまに異なりますが、いくつかのボディランゲージは文化を超えて共有されているようです:誰かが許可された時間より遅く帰宅したとき、親や保護者が腕を組み、顔をしかめながら玄関で出迎えるのは、ロシアでも、アメリカでも、ガーナでも同じ意味を持ちます。

文化的普遍性

文化はさまざまですが、それらは共通する要素を共有しています。文化的普遍性とは、すべての社会に世界中で共通するパターンや特質のことです。文化的普遍性の一例として、家族単位が挙げられます:すべての人類社会は、性的な生殖と子供の世話を規定する家族構造を認めています。とはいえ、その家族単位がどのように定義され、どのように機能するかはさまざまです。例えば、アジアの多くの文化では、世代を超えた家族が1つの世帯で一緒に暮らすのが一般的です。このような文化では、若い成人は結婚して配偶者の家に入るまで拡大家族の家族構成で暮らし続けるか、あるいは拡大家族の家の敷地内に残って核家族を育てることもあります。一方、アメリカでは、個人は、親と子からなる家族単位を形成する前に、家を出て一定期間独立して生活することが期待されています。その他の文化的普遍性には、葬儀や結婚式、誕生祝いなどの習慣が含まれます。しかしながら、これらの儀式は、それぞれの文化でまったく異なる捉え方、行われ方をすることがあります。

人類学者のジョージ・マードックは、世界各地の親族制度を研究する中で、文化的普遍性の存在を初めて調査しました。マードックは、文化的普遍性は、衣食住の確保といった人間の基本的な生存や、誕生と死、病気と癒しといった人間の共通体験を中心にしばしば展開されることを発見しました。マードックは、研究を通じて、言語、個人名の概念、そして興味深いことに、ジョークを含む他の普遍性を特定しました。ユーモアは、人々の緊張を解きほぐし、一体感を生み出す普遍的な方法であるようです(Murdock, 1949)。社会学者は、ユーモアが人間同士の相互作用に必要であると考えています。なぜなら、ユーモアは、それがなければ緊迫してしまうような状況をうまく切り抜けるのに役立つからです。

社会学研究

音楽は文化的普遍性でしょうか?

あなたが映画館に座っており、映画を観ているところを想像してください。映画は、主人公が顔に険しい表情を浮かべながら公園のベンチに座っているところから始まります。音楽が流れ始めます。最初にゆっくりとした哀愁のある音が、短調で流れます。メロディーが続く中、ヒロインが顔を向けると、一人の男性が彼女に向かって歩いてくるのが見えます。音楽が大きくなり、音が合わなくなります。まるでオーケストラが意図的に間違った音を演奏しているかのようです。あなたは見ているうちに緊張し、止めてほしいと思うまでになります。この登場人物は明らかに危険にさらされています。

次に、同じ映画を、まったく同じ映像で、しかし異なるサウンドトラックで見ていると想像してみてください。シーンが始まると、音楽はソフトで落ち着きがあり、ほのかに悲しみを感じさせます。主人公が公園のベンチに座り、険しい表情をしているのが見えます。突然、音楽が高まります。女性が顔を上げると、男性が彼女に向かって歩いてくるのが見えます。音は高く、明るく、テンポは弾むようです。あなたは胸が高鳴るのを感じます。これは幸せな瞬間です。

音楽には、感情的な反応を引き起こす力があります。テレビ番組や映画、CM、そしてお店のBGMでも、音楽にはメッセージがあり、喜び、悲しみ、恐怖、勝利など、聞く人の反応を簡単に引き出してしまうようです。このようなタイプの音楽の合図は、文化的普遍性なのでしょうか?

2009年、ドイツのライプツィヒにあるマックス・プランク人間認知・脳科学研究所のトマス・フリッツを中心とする心理学者チームは、聞いたことのない音楽に対する人々の反応を調査しました(Fritz et al., 2009)。研究チームはアフリカのカメルーンに渡り、マファ族の人々に西洋音楽を聴いてもらいました。西洋文化から隔離されたこの部族は、西洋文化に触れたことがなく、その音楽を解釈するための文脈も経験も持っていませんでした。それでもなお、西洋のピアノ曲を聴いた部族の人々は、「幸せ」「悲しみ」「恐怖」という3つの基本的な感情を認識することができました。この研究は、音楽が一種の普遍言語である、と示唆しました。

また、研究者たちは、音楽が集団の中で全体性の感覚を育むことができることも見出しました。実際、言語の進化を研究する科学者たちは、もともと言語(集団のアイデンティティーについての確立された要素)と音楽は一体であったと結論付けています(Darwin, 1871)。さらに、音楽は主として非言語的であるため、音楽の音は言葉よりも簡単に社会の境界を越えることができます。音楽は人々のつながりを作ることを可能にしてくれますが、そこでは言語はより困難なバリケードとなってしまいます。フリッツと彼のチームが発見したように、音楽とそれが伝える感情は文化的普遍性です。

自文化中心主義と文化相対主義

人間社会には多くの共通点がありますが、文化的普遍性よりも文化的相違の方がはるかに多く存在します。例えば、すべての文化が言語を持つ一方で、会話のエチケットを分析すると、非常に大きな違いがあることが明らかになります。中東のいくつかの文化では、会話の際に相手の近くに立つことが一般的です。アメリカ人はもっと距離を置き、広い「パーソナルスペース」を維持します。さらに、飲食のような単純な行動も文化によって大きく異なります。食べ物を口に入れるのに道具を使う文化もあれば、指を使う文化もあります。もし朝早くの授業で教授が液体の入ったマグカップを持ってやってきたら、何を飲んでいるのだろうと思いますか?アメリカではコーヒーが入っていることがほとんどで、イングランドで人気のアールグレイティーや、チベットで定番のヤクバターティーは入っていないでしょう。

有名なフードライターの故アンソニー・ボーデイン(1956-2017)のように、慣れない食べ物に挑戦する意欲を自負する旅行者もいます。しかしながら、しばしば、他文化の料理に対して嫌悪感を示す人もいます。その人たちは、ロバの生肉やげっ歯類の部位を食べるのは気持ち悪いと思うかもしれませんが、牛や豚を食べる自分の習慣には疑問を感じません。

このような態度は、自分自身の文化の規範に基づいて他の文化を評価・判断することを意味する自文化中心主義の一例です。自文化中心主義とは、自分の集団が正しい測定基準であり、他の文化がそれに見合わない場合は間違っていると考えることです。社会学者のウィリアム・グラハム・サムナー(Sumner, 1906)がこの言葉を表現したように、これは自分自身の文化が他のすべての文化よりも優れているという信念や態度のことです。ほとんどすべての人が、少しは自文化中心主義的です。

自分の文化を高く評価することは、健全なことでもあり得ます。例えば、地域の誇りについて共有された感覚は、社会の中で人々を結びつけます。しかし、自文化中心主義は、他の文化を軽んじたり、嫌ったりすることにつながり、誤解や固定観念、紛争を引き起こす可能性があります。善意の個人、政府、非政府、民間、宗教団体が、ある社会の人々を無知、後進的、あるいは劣等とすらみなし、その人々を「助ける」ためにその社会へと旅することがあります。文化帝国主義とは、自分自身の文化的価値観を他の文化に意図的に押し付けることです。

15世紀に急速に成長したポルトガル、スペイン、オランダ、イングランドによる植民地の拡張は、深刻な文化帝国主義を伴っていました。ヨーロッパの入植者は、新しい土地に住む人々を、カトリックの統治、キリスト教、ヨーロッパの服装、その他の文化的慣習を取り入れる必要のある未開の野蛮人とみなすことがしばしばありました。

文化帝国主義の現代的な例としては、先進国の農法や植物種を、特定の地域固有の品種や農法がより適しているような地域に導入する国際援助機関の活動が挙げられるでしょう。もう1つの例はアマゾン川流域の森林伐採であり、先住民の文化が材木企業に土地を奪われています。

図3.3 | まったく新しい実践を経験することは、高い関心につながることもあれば、あるレベルでの批判につながることもあります。フィリピンのサガダに住む先住民は、何千年もの間、亡くなった人の遺体を村の近くの崖に吊るした棺桶に納めてきました。ある訪問者はこの習慣を賞賛するかもしれませんし、別の訪問者は不適切だと思うかもしれません。(Credit: Arian Zwegers/flickr)

図3.3 | まったく新しい実践を経験することは、高い関心につながることもあれば、あるレベルでの批判につながることもあります。フィリピンのサガダに住む先住民は、何千年もの間、亡くなった人の遺体を村の近くの崖に吊るした棺桶に納めてきました。ある訪問者はこの習慣を賞賛するかもしれませんし、別の訪問者は不適切だと思うかもしれません。(Credit: Arian Zwegers/flickr)

人は新しい文化に身を置くと、戸惑いや苛立ちを覚えることがあります。社会学ではこれをカルチャーショックと呼んでいます。シカゴから来た旅行者は、体内時計が狂っていることに加え、モンタナの田舎の夜の静けさに、安らぎではなく、不安を感じるかもしれません。では、その「相違」が文化的なものであると想像してみましょう。中国からアメリカへの交換留学生は、授業中に他の生徒が質問しているのを遮ってばかりの状況に腹を立てるかもしれません。これは、中国では失礼にあたるような慣習です。もしかしたら、シカゴの旅行者は当初はモンタナの静かな美しさに魅了され、中国の留学生ももともとは米国流の教室を実際に目の当たりにして興奮していたかもしれません。しかし、予期しない形で自分の文化との違いを体験するうちに、興奮が不快に変わり、新しい状況での適切な振る舞い方に疑問を持つようになり、自文化中心主義を経験するかもしれません。多くの著者によると、米国で学ぶ国際的な学生たちは、自分たちに期待される性格や行動があることを報告しています。アフリカの黒人の学生は「アメリカで黒人になる」ことを学ばなければならないと報告しており、中国の学生は数学が得意であることが当然期待されると報告しています。アフリカの国々では、人々は色ではなく、国や親族によって識別されます。やがて、人々がある文化についてより多くを学ぶと、彼らはさまざまな理由で新しい文化に適応していきます。

カルチャーショックは、人々が文化的相違を必ずしも予期していないために起こるのかもしれません。人類学者のケン・バーガー(Barger, 1971)は、カナダの北極圏にあるイヌイットのコミュニティーで参与観察を行ったときに、このことを発見しました。インディアナ州出身のバーガーは、地元のスノーシューレースに参加するよう誘われたとき、躊躇しました。彼は、熟練の人たちにはとてもかなわないだろうということが分かっていました。案の定、彼は最下位に終わり、悔しい思いをしました。しかし、部族の人たちは「よく頑張ったね!」と言って、彼を祝福してくれました。バーガー自身の文化の中で、彼は勝利に価値を見出すことを学んでいました。イヌイットの人たちにとっては、勝つことも楽しいですが、彼らの文化は、どれだけ努力したかが生死を分けるという、彼らの環境に不可欠な生存スキルを重視するものでした。滞在中、バーガーはカリブーの狩りに参加し、冬の嵐の中で避難する方法を学び、時には部族のメンバーで分け合う食料がほとんどないか、まったくない日もありました。懸命に努力し、ともに協力するという2つの非物質的な価値観は、実際のところ勝利よりもはるかに重要なものでした。

バーガーはイヌイット族とともに過ごす時間の中で、文化相対主義を用いることを学びました。文化相対主義とは、ある文化を自分の文化のレンズを通して見るのではなく、その文化自体の基準で評価するという実践のことです。文化相対主義を実践するには、新しい価値観や規範、慣習を考慮し、さらにはそれに適応しようとする開かれた心と意欲が必要です。

しかしながら、新しい文化のすべてを無差別に受け入れることは、常に可能とは限りません。平等主義社会(女性が政治的権利を持ち、自分の身体をコントロールできる社会)の最も文化相対主義的な人々でさえ、エチオピアやスーダンなどの国々で広く行われている女性器切除の慣習を文化的伝統の一部として受け入れるべきかという疑問を持ちます。文化相対主義を用いようと取り組む社会学者は、自らの文化の側面と研究対象の文化の側面を調和させるのに苦労することになるかもしれません。社会学者は、結婚時の処女性を確保するために多くの国で行われている女性器切除の慣習を問題視するかもしれないですし、同様に、一部の男性社会学者は、メンバーシップを示すために肉体に傷跡をつけることを問題視するかもしれません。社会学者は、個人的なバイアスを研究分析から排除するために念入りに取り組んでいます。

人々が自文化中心主義の感情に対処し、文化相対主義を発展させようとすると、スペクトルのもう一方の端に振りすぎてしまうことがあります。他文化中心主義は、自文化中心主義の対極にあり、他の文化が自分の文化より優れていると考える信念のことを指します。(他文化中心主義(xenocentrism)のギリシャ語の語根 xeno- は、「ゼノ」と発音し、「よそ者」「外国人客」を意味します)。海外で学期を終えて帰国した交換留学生や、実地から帰ってきた社会学者は、より高潔で気高いとみなすような生き方を体験した後、自文化の価値観と付き合うことが難しくなることがあります。これと反対の反応が、異文化に対する不合理な恐怖や憎悪である他文化嫌悪です。

異なる文化を研究する社会学者にとって、おそらく最大の難問は、視点を保つという問題です。すべての文化的バイアスを克服することは誰にとっても不可能です。私たちにできる最善のことは、それを意識するように努めることです。自らの文化に誇りを持つことは、必ずしもその価値観や考え方を他者に押し付けることにつながるわけではありません。また、他の文化を理解することは、その文化を批判的な目で研究することを妨げるべきではありません。この実践は、おそらくすべての社会科学者にとって最も困難なことです。

現実世界における社会学

カルチャーショックを克服する

夏休み、ケイトリンは前学期に仲良くなった留学生のマリアを訪ねるため、イリノイ州シカゴからスペインのマドリードへと飛びました。彼女は空港で、早口のまるで音楽のようなスペイン語が自分の周りを飛び交っているのを耳にしました。

それは興奮するものでしたが、同時に彼女は孤立し、切り離されているようにも感じました。マリアの母親はケイトリンを出迎えると、両頬にキスをしてきました。堂々とした父親は距離を置いていました。ケイトリンは、夕食が出された午後10時には、半分眠っていました。マリアの家族は何時間もテーブルにつき、大声で話し、身振り手振りを交えながら、ケイトリンの家では夕食時の話題としてはタブーとされている政治について議論しました。彼らはワインを振る舞い、主賓に対して乾杯をしました。ケイトリンは、相手の表情を読み取ることができず、自分が次の乾杯の音頭を取るべきだということに気がつきませんでした。その夜、ケイトリンは見知らぬベッドに潜り込み、「来なければよかった」と思いました。彼女は故郷が恋しくなり、新しい習慣、言葉、環境に圧倒されたように感じました。彼女は学校で何年もスペイン語を勉強してきたのに、なぜこのようなことに対して準備ができていなかったのでしょう?

ケイトリンが気づいていなかったのは、人々は話し言葉だけでなく、ジェスチャーや顔の表情といったボディランゲージにも依存してコミュニケーションをとっているということでした。最も小さな非言語的なシグナルにすら文化的な規範や慣習が付随しています(DuBois, 1951)。それらは、人々が握手をするタイミング、座る場所、会話の仕方、さらにはいつ笑うかまで知るのに役立ちます。私たちは、共有された一組の文化的規範を通じて他者と関わり、普段はそれを当然のこととして受け止めています。

そのため、カルチャーショックはしばしば海外旅行に伴って起きますが、自分の国や州、あるいは故郷の町でも起こることがあります。人類学者のカレルヴォ・オバーグ(Oberg, 1960)は、「カルチャーショック」という言葉を最初に作った人物として認められています。オバーグはその研究の中で、ほとんどの人は、新しい文化に出会うと最初は興奮すると発見しました。しかし、人々は少しずつ、異なる言語を話し、異なる地域的な表現を使う異文化の人々との交流にストレスを感じるようになります。消化しなければならない新しい食べ物、従わなければならない新しい毎日のスケジュール、そして学ばなければならない新しいエチケットのルールがあります。このようなストレスを常に感じながら生活していると、人は無力で不安な気持ちになることがあります。オバーグは、新しい文化に不満を感じたとき、人々はまずその文化を拒絶し、自分自身の文化を美化することで反応することを発見しました。イタリアを訪れたアメリカ人は、「本物の」ピザを恋しく思い、イタリア人の危険な運転習慣に不満を持つかもしれません。

文化は学習するものだということを覚えておけば助けになります。誰もがある程度は自文化中心主義的であり、自国と自分を重ね合わせるのは自然なことです。ケイトリンのショックは、友人のダヤルとマフリカというキャンパス内の既婚者向け学生寮に住むトルコ人カップルのショックに比べれば小さいものでした。そして、クラスメートのサナイに比べれば、なんでもないものでした。サナイは15歳のとき、家族とともに戦火のボスニアから逃れることを余儀なくされていました。スペインでの2週間を経て、ケイトリンは、その人たちが経験したことへの思いやりと理解を深めていました。彼女は、新しい文化に慣れるには時間がかかることを理解しました。カルチャーショックから立ち直るのに数週間から数か月かかることもあれば、新しい文化での生活に完全に適応するのに何年もかかることもあります。

ケイトリンの旅が終わるころには、彼女には生涯の友となる新しい友人ができていました。ケイトリンは自分の心地の良い空間から飛び出しました。彼女はスペインについて多くを学びましたが、自分自身と自分の文化についても多くを発見しました。

図3.4 | 新しい文化を経験することは、文化相対主義を実践する機会を与えてくれます。(Credit: OledSidorenko/flickr)

図3.4 | 新しい文化を経験することは、文化相対主義を実践する機会を与えてくれます。(Credit: OledSidorenko/flickr)

3.2 文化の構成要素

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 価値観、信念、規範を区別する
  • 文化にとってのシンボルと言語の重要性を説明する
  • サピア=ウォーフの仮説を説明する
  • 文化における社会統制の役割について議論する

価値観と信念

文化にとって最初の、そしておそらく最も重要な要素として、私たちは価値観信念を議論します。社会学における価値観とは、金銭的な価値ではなく、ある文化のメンバーが高く評価する理念、あるいは原則や基準のことを意味します。どの社会でも、ほとんどの文化は「知識」(教育)を高く評価しています。価値観は深く埋め込まれており、その文化の信念、つまり人々が真実であるとする信条や強い確信を学ぶために重要なものです。ある社会の個々の文化には個人的な信念がありますが、集団的な価値観も共有されています。その違いを説明してみると、アメリカ市民はアメリカン・ドリーム(十分に懸命に働けば誰でも成功し、裕福になれる)を信じているかもしれません。この信念の根底には、富は重要であるというアメリカの価値観があります。一方、他の文化では、成功と富はそれほど結び付けられてはおらず、健康な子供をたくさん持つことと結び付けられているかもしれません。価値観は、何が良くて何が悪いか、何が美しくて何が醜いか、何が求められていて何が避けられているかを示唆することによって、社会を形成します。

米国が若さに重点を置くという価値観について考えてみましょう。子供は無邪気で純粋な存在を表しており、大人の若々しい姿は性的な能力を知らしめます。このような価値観に方向づけられて、若く美しく見えるようにと、化粧品や手術に毎年何百万ドルも費やす人がいます。また、アメリカは個人主義的な文化を持っています。つまり、人々は個性と独立性に高い価値を置いています。一方、他の多くの文化は集団主義的であり、集団の福祉が個人の福祉より優先されます。社会の価値観を満たすことは難しいかもしれません。一夫一婦制に価値が置かれている一方で、不倫をする配偶者も少なくありません。アメリカでは、文化の多様性とすべての人に平等な機会を与えることが重要視されていますが、この国の最高位の政治的地位はこれまで白人男性によって支配されてきています。

価値観はしばしば、人々がどのように振る舞うべきかを示唆しますが、人々が実際にどのように振る舞うかを正確に反映しているわけではありません。価値観は、理想的な文化、つまり社会が受け入れ、それに従って生きたいと思う基準を描いています。しかし、理想的な文化は現実の文化とは異なります。理想的な文化では、交通事故も殺人事件も貧困も人種間の対立も存在しないはずです。しかし、現実の文化では、警察官、立法者、教育者、ソーシャルワーカーが、これらの問題を予防し、対処するために絶えず努力しています。アメリカのティーンエイジャーは、禁欲を重んじるよう奨励されています。しかしながら、10代の若者の計画外妊娠の数は、理想だけでは10代の若者がセックスをすることで起こり得る結果を免れるには不十分であることを明らかにしています。

社会がその価値観を維持するために努力する方法の1つに、報酬と罰があります。人々が社会の規範に従い、その価値観を守るとき、彼らにはしばしば報酬が与えられます。高齢の女性がバスに乗るのを手伝った少年は、笑顔と「ありがとう」という言葉を受け取るかもしれません。利益率を高めた企業経営者は、四半期ごとにボーナスを受け取るかもしれません。人は、支持や承認、許可を差し控えたり、制裁を加えたりすることによって、望まない行動や不適切な行動を制裁します。私たちは「制裁」を否定的な言葉として考えるかもしれませんが、制裁社会統制の形態であり、文化的規範や規則への同調を促す方法です。人々は時に、肯定的な制裁を予期または期待して規範に従います。例えば、良い成績をとることは、親や教師から褒められることを意味するのかもしれません。また、制裁は否定的なものになり得ます。高齢の女性を押しのけて先にバスに乗る少年は、他の乗客から顔をしかめられたり、叱られたりするかもしれません。顧客を追い払うような企業経営者は、おそらく解雇されるでしょう。規範を破り、価値観を否定することは、「怠け者」といったような否定的なラベルを貼られるなどの文化的制裁や、交通違反切符、罰金、投獄などの法的制裁につながることがあります。社会統制を活用することで、権威者(法執行機関など)が存在するかどうかにかかわらず、ほとんどの人が順応するよう促されます。

価値観は固定的なものではありません。人々が集団的な社会的信念を評価し、議論し、変化させるにつれて、価値観は時代や集団の間で変化します。また、価値観は文化によってもばらつきがあります。例えば、公共の場でどのような身体的接近が適切かについては、文化によって価値観が異なります。手をつないでいるのがしばしば恋愛感情を象徴することのあるアメリカでは、男性同士の友人や同僚がそのような行為をしているのを見るのはまれです。しかし、多くの国では、男性的な身体的親密さが公共の場では自然なことと考えられています。2005年、G・W・ブッシュ元大統領がサウジアラビアの皇太子と手をつないだ写真に人々が反応したときに、この文化的価値観の違いが明らかになりました。手をつなぐといったような単純なジェスチャーが、文化によって大きな象徴的な違いを持ちます。

図3.5 | アフリカや中東の多くの地域では、男性が友好のために手をつなぐのは普通のことだと考えられています。この二人の兵士を見たアメリカ市民はどのように反応するでしょうか?(Credit: Geordie Mott/Wikimedia Commons)

図3.5 | アフリカや中東の多くの地域では、男性が友好のために手をつなぐのは普通のことだと考えられています。この二人の兵士を見たアメリカ市民はどのように反応するでしょうか?(Credit: Geordie Mott/Wikimedia Commons)

規範

これまで、本章の多くの事例では、例えば食べ物を買うときやバスに乗るときなど、ある特定の状況下で人々がどのように振る舞うことが期待されているかを説明してきました。これらの例は、社会を構築している目に見えたり見えなかったりする行動のルール、つまり社会学者が規範と呼ぶものを説明しています。規範とは、文化や社会が良いこと、正しいこと、大切なこととして定義したものに従う行動です。ほとんどのメンバーはこれを遵守しています。

形式的規範とは、すべての社会に存在する、確立された書面による規則です。それらは、軍隊、刑事司法、医療制度、公立学校など、多くの社会制度を支えています。機能主義者はこれらの規範がどのような目的を果たすのかを問うかもしれません。紛争理論家はこれらの形式的規範を誰が創造し、誰が利益を得て、その下で誰が苦しむのかに興味を持つでしょう。またシンボリック相互作用論者は、利益を得る集団がどのように相互作用するのかに疑問を持ちます。法律は形式的規範ですが、従業員マニュアル、大学入試の受験要綱、水泳プールでの「走らない」という標識も同様です。形式的規範は、さまざまな種類の規範の中で最も具体的で明確に示され、最も厳格に施行されます。しかし、施行の程度はさまざまです。

例えば、米国では私有財産が非常に重視されており、窃盗犯は罰金か投獄、あるいはその両方を科されることがあります。人々は、ドアに鍵をかけたり、金庫を買ったり、家や車に警報システムを取り付けたりして、価値のある所有物を守っています。社会規範としてそれほど厳密に施行されていないのは、飲酒運転です。飲酒した状態で運転することは法律に反するものですが、飲酒はほとんどの場合、社会的に許容される行為です。また、飲酒運転を罰する法律はあっても、その犯罪を予防するためのシステムはほとんどありません。

形式的規範はたくさんありますが、非形式的規範、つまり一般的に広く順応しているくだけた行動については、もっと長いリストがあります。人々は、観察、模倣、一般的な社会化によって非形式的規範を学びます。「エドナおばさんにキスをして」とか、「ナプキンを使いなさい」など、直接教えられる非形式的規範もあれば、他の誰かが規範に違反したときの結果を理解するなど、観察によって学ぶものもあります。非形式的規範は、文書による規則を必要とせずに適切な行動を規定するものであるため、あなたがその文化になじみがなかったり、新参者であったりする場合には、学ぶことが難しいかもしれません。

非形式的規範は個人的な相互作用を定義するものですが、それらは他のシステムにも及んでいます。米国では、ファストフード店での行動に関する非形式的規範が存在します。客は並んで料理を注文し、食べ終わると店を出ます。知らない人と一緒にテーブルに座ったり、調味料を用意しながら大声で歌ったり、ブースで昼寝したりはしません。ほとんどの人は、非形式的規範の無害な違反さえも犯さないのです。

社会学研究

違背実験

社会学者のハロルド・ガーフィンケル(1917-2011)は、社会のルールや規範がどのように行動に影響を与えるかだけでなく、どのように社会秩序を形成するかを見出すために、人々の習慣を研究しました。彼は、社会の構成員が共に社会秩序を作り上げると考えました(Weber, 2011)。彼の成果である『エスノメソドロジー研究』(Garfinkel, 1967)は、コミュニティーの社会構成に関する人々の想定について論じています。

ガーフィンケルの研究手法の1つは、「違背実験」として知られています。ここでは、社会規範と同調という社会学的概念を検証するために、研究者が社会的に不可解な振る舞いをします。参加者は実験が進行中であることに気づいていませんが、その反応は記録されます。例えば、もし実験で背広姿の男性が歩道でスキップしたり片足跳びをしたりすると、通行人は驚いた表情で彼を見つめるでしょう。しかし、実験者は単に人前で「変な行動をする」わけではありません。むしろ、特定の社会規範からほんの少し逸脱し、社会的エチケットを微妙に破り、何が起こるかを見ることがポイントなのです。

例えば、彼は三目並べという簡単なゲームを用意しました。一方のプレイヤーは、あらかじめ、○と×を囲いの中ではなく、スペースを区切る線の上にマークするように言われていました。しかし、もう一人のプレイヤーは、この研究について知らなかったので、驚いてしまい、どのように続けたらよいのかわからなくなってしまいました。二人目のプレイヤーの憤り、怒り、困惑、その他の感情は、文化的な規範が侵害されたことを示唆していました。

公共の場で見知らぬ人と話をする際には、多くのルールがあります。女性に「あなたの靴は素敵」と言うのはいいです。それを試着させてもらえるかどうか聞くのはダメです。ATMで誰かの後ろに並ぶのはいいです。その人が手続きをするときに肩越しに覗き込むのはダメです。混雑したバスで誰かの横に座るのはいいです。空いているバスで見知らぬ人の横に座るのはおかしいです。

いくつかの違背行為では、研究者は何も知らない傍観者と直接関わりを持ちます。実験者は、お互いのプライバシーを尊重することが一般的な公衆トイレで会話を始めるかもしれません。実験者は、食料品店で他人の食料品カートから食品を取り出し、「これおいしそう!食べてみようかな」と言うかもしれません。また、実験者は、ファストフード店で他の人と一緒にテーブルに座ったり、美術館で誰かの後をついて同じ絵画を観賞したりするかもしれません。このような場合、傍観者は反応をするように迫られ、その不快感は、私たちがいかに社会規範に依存しているかを物語っています。違背実験は、私たちがそれに従って生きている多くの不文律の社会的ルールを明らかにし、探究するものです。

規範はさらに、習律(モーレス)と習俗(フォークウェイズ)に分類されることがあります。習律(モーレス)とは、ある集団の道徳観や原則を体現する規範のことです。それらはしばしば宗教的な基盤を持っています。これに違反すると、深刻な結果を招くことがあります。最も強固な習律(モーレス)は、法律やその他の公式な制裁によって保護されています。例えば、ほとんどの社会では、殺人は不道徳とみなされ、法律(形式的規範)によって罰せられます。しかし、より多くの場合、習律(モーレス)は公衆の感情(非形式的規範)によって判断され、保護されます。習律(モーレス)に反する人は恥ずべき存在と見られます。ある集団から敬遠されたり、追放されたりすることさえあります。

米国の学校制度の習律(モーレス)では、生徒の文章は生徒自身の言葉で書くか、あるいは他の作家を引用するための特別な形式(引用符や全体の引用システムなど)を使用することが義務付けられています。他人の言葉を自分の言葉であるかのように提出したり、出版したりすることには、盗用という名前がついています。この規範に違反した場合、その結果はしばしば厳しく、退学や解雇に至ることもあります。

習律(モーレス)とは異なり、習俗(フォークウェイズ)とは道徳的裏付けを持たない規範のことです。むしろ、習俗(フォークウェイズ)は、ある文化の日常的な慣習や表現において、適切な行動を指示するものです。私たちはこれらを「伝統」、つまり「昔からそうだったから」やっていることだと考えることができます。それは、他人に挨拶するときに握手をするか、それとも頬にキスをするかを指示します。それは、あるイベントに行くときにネクタイとブレザーを着用するか、それともTシャツとサンダルを着用するかを規定します。カナダでは、女性は道端で男性に笑顔で挨拶することができます。エジプトでは、それは受け入れられません。アメリカ南部の地域では、知人にばったり会ったら、立ち止まって話をします。どんなに忙しくても、立ち止まらないことは失礼にあたります。それ以外の地域では、人々はプライバシーを守り、時間効率を重視します。簡単にうなずくだけで十分です。アメリカで受け入れられている習俗(フォークウェイズ)には、知らない人のためでも開けたドアを抑えておいてあげる、人に誕生日のプレゼントを贈るなどが含まれるでしょう。これらの習俗(フォークウェイズ)に関するルールは、文化によって変わるかもしれません。ある文化の習俗(フォークウェイズ)が、別の文化では非常に失礼にあたることもあります。

習俗(フォークウェイズ)は、あらゆる場所の人々が当たり前のように行っている行為です。日常生活を円滑に送るためには、何も考えずに行動することが必要です。すべての行動を一時停止して分析することはできません(Sumner, 1906)。習俗(フォークウェイズ)は、観察によって学び、模倣する小さな行動かもしれませんが、決して些細なものではありません。多くの文化で重要な習俗(フォークウェイズ)は、おばあちゃんの頬にキスをすることです。それを怠ると、あなたはおそらく叱られるでしょう。

シンボルと文化

人間は、意識的にも無意識的にも、常に自分の周りの世界を理解しようと努力しています。ジェスチャー、標識、物体、シグナル、言葉などのシンボルは、人々がその世界を理解するのに役立ちます。シンボルは、社会で共有される認識可能な意味を伝えることによって、経験を理解するためのコミュニケーション手段を提供してくれます。

世の中にはシンボルがあふれています。スポーツのユニフォームも、会社のロゴも、交通標識もシンボルです。いくつかの文化では、金の指輪は結婚のシンボルです。また、ある種のシンボルは非常に機能的であり、例えば、一時停止の標識は有益な指示を与えるものです。物理的な物体として、それらは物質的な文化に属しますが、シンボルとして機能するために非物質的な文化的意味も伝えています。シンボルの中には、それが表すものだけに価値があるものもあります。例えば、トロフィー、ブルーリボン、金メダルは成果を表すものです。しかし、多くの物体は、物質的な象徴的価値と非物質的な象徴的価値の両方を持っています。

図3.6 | いくつかの道路標識は、普遍的なものです。しかし、あなたは右側の標識をどのように解釈しますか?(Credit: (a) Andrew Bain/flickr; (b) HonzaSoukup/flickr)

図3.6 | いくつかの道路標識は、普遍的なものです。しかし、あなたは右側の標識をどのように解釈しますか?(Credit: (a) Andrew Bain/flickr; (b) HonzaSoukup/flickr)

シンボルは、文脈の外にある時に目に留まることがしばしばあります。シンボルは、普段と違う使い方をすることで、強いメッセージを伝えます。例えば、大学の校舎のドアに掲げられた一時停止標識は政治的な主張であり、反戦抗議運動で着用された迷彩柄のミリタリージャケットも同様です。「N」と「D」を表す手旗信号は核軍縮を表し、それが転じてよく知られたピースサインを形成しています(Westcott, 2008)。大学生の中には、パジャマとベッドルームスリッパという、かつては人目につかない場所や就寝時にしか関連付けられていなかった服装で授業に臨む人もいます。このような服を着ることで、学生は伝統的な文化的規範に逆らっています。

シンボルの中には、物語の一面だけを表し、強い感情を引き出して、社会不安を引き起こすものもあります。その存在は、ある国家の最悪の時代を思い出させるものであり、祝うべきものではありません。これらのシンボルの多くは破壊行為のターゲットとなります。なぜなら、これらの表徴の破壊がシンボリックなものであるからです。特定の指導者に対する怒りを示すために、公人を表す人形が燃やされます。1989年には、東西ドイツ、共産主義、そして資本主義の分断を象徴する数十年来のシンボルであるベルリンの壁が群集によって壊されました。米国では2019年から、奴隷制度や南北戦争に関連する像が州議事堂や大学キャンパス、公共の公園から撤去されました。ドイツでは、ヒトラーやナチスの物品を展示したり、ホロコーストを否定したりすることは違法とされています。

異なる文化にはさまざまなシンボルのシステムがありますが、1つのシステムはすべてに共通しています。それは言語です。どのような形であれ、人々は言語を通じて社会的・文化的規範を学びます。

言語とシンボル

言語とは、それを用いて人々がコミュニケーションを図り、文化を伝達するためのシンボルを使ったシステムです。(単語を構成する)文字、絵文字、身振り手振りは、すべてコミュニケーションに使われる言語を形成するシンボルです。例えば、手話は、アルファベットだけでなく、単語全体を表す手振りや、表情や姿勢によって示される意味も熟知していることを要します。その文法も話し言葉とは異なります。話し言葉が地域や国、文化によって異なり、人の年齢によってさえも異なるのと同じように、手話もまたそれらによって異なります。

どの言語システムも、考えを伝えるのに有効な同一の基本要素を含んでいます。それは、客体、主体、動作です。文字で書かれた言語システムは、音声を参照するシンボルで構成されています。これらのシンボルを組み合わせることで、特定の意味を伝えます。英語は26個の文字の組み合わせを使って単語を作ります。これらの26文字は、一般に認められる60万以上の単語を構成しています(OED Online, 2011)。私たちは、口調や抑揚への依存を、標準中国語と比較することができます。標準中国語には8000を超える文字がありますが、同じ文字でも使われる声調によって異なる概念を象徴することがあります。

現在の英語は、同じ概念に対する英語版とフランス語版を含んでいます。例えば、英語版では「食べる(eat)」ですが、フランス語版では「食事をする(dine)」です。英語版では、私たちは誰かに「会う(meet)」ですが、フランス語版では、私たちは誰かに「出会う(encounter)」です。アメリカ英語の読者は、「behaviour(行動)」や「flavour(風味)」などの単語の綴りに「u」が含まれていることに驚くかもしれません。アメリカ人は、イギリス英語の著述家が含んでいる「u」を取り除いています。何十億人もの人々が英語を話し、それと同じくらい多くの数の発音があります。

話し方や書き方のルールは、文化の内部でも、特に地域によって異なります。あなたが食べるのは、グラインダーですか、サブですか、それともヒーロー/ジャイロですか?[どれも細長いパンで作ったサンドイッチのこと]あなたは缶入り炭酸飲料のことを「ソーダ」と呼びますか、それとも「ポップ」と呼びますか?家庭の娯楽室は「ファミリールーム」、「レクルーム」、「デン」のどれでしょうか?レストランを出るとき、接客係に「チェック」、「チケット」、「ビル」のどれを頼みますか?言葉は常に進化し、社会が新しい考え方を生み出すにつれて新しい言葉が加わっていきます。このテクノロジーの時代に、多くの文化は「電子メール」、「インターネット」といった新しい名詞や「downloading(ダウンロードする)」、「texting(テキストメッセージを送る)」、「blogging(ブログを書く)」といった動詞にほとんど瞬時に適応してきました。これらは、ほんの25年前の世界では意味の分からない言葉として扱われていたことでしょう。

言語と文化

言語は、常に進化しながらも、私たちの現実認識や行動を形作っています。1920年代、言語学者のエドワード・サピアとベンジャミン・ウォーフは、サピア=ウォーフの仮説または言語相対性として知られるようになったこの考え方を推し進めました。この仮説は、人は言語を通して世界を経験し、したがって、言語に埋め込まれた文化的意味を通して世界を理解するという考えに基づいています。この仮説は、言語が思考を形作り、ひいては行動を形作ることを示唆しています(Swoyer, 2003)。例えば、単語には、その定義を超えた意味が付与されており、それが思考や行動に影響を与えることがあります。13という数字が不吉な意味を持つアメリカでは、多くの高層ビルに13階のフロアがありません。しかしながら、日本では、4という数字が「死」という日本語の単語と発音が似ていることから、不吉な数字とされています。

多くの社会学者が、言語は知覚に広範で永続的な影響を与えることができると考えています。2002年、レラ・ボロディツキーと彼女の同僚たちは、ドイツ語とスペイン語の母語話者を対象に、英語での実験を行いました。英語とは異なり、これらの言語は名詞に性を割り当てています。例えばドイツ語では、太陽を表す単語「die Sonne」は女性ですが、月を表す単語の「der Mond」は男性です。そこで、このチームはドイツ語とスペイン語で性が逆になっている名詞の群を選び、参加者にそれらを表す形容詞を答えてもらいました。彼らは、ドイツ語では文法的に男性であるがスペイン語では女性の名詞を説明する場合、ドイツ語話者の方がスペイン語話者よりも男性的な形容詞を多く使うことを見出しました。例えば、鍵という単語はドイツ語では男性で、スペイン語では女性です。ドイツ語話者は鍵を、硬い、重い、ギザギザ、金属、鋸歯、便利と表現し、スペイン語話者は、黄金の、複雑な、小さい、素敵、輝く、ちっぽけなという形容詞を使用しました。このチームは、文法的な性のない言語に切り替えた場合でも、ある人が母語で身につけた性の認識は、その人の世界の見え方に引き継がれると結論付けました(Boroditsky, Schmidt, and Phillips, 2002)。

また、一部の社会学者は、言語の構造が個人と集団の両方の行動に影響を及ぼし得ると考えています。例えば、フィンランドとスウェーデンは、両言語で同じような労働規制があるにもかかわらず、フィンランドの方がスウェーデンよりも労働災害の発生率が顕著に高いことが、一連の研究によって明らかになっています(Salminen & Johansson, 2000)。ジョン・A・ルーシーは、この食い違いを、これらの言語の構造の違いによって説明しています。スウェーデン語は、三次元空間における移動のタイミングをより重視します。その結果、スウェーデンの工場は、製品プロセスの円滑な運営をサポートする方法で物理的に配置されているとルーシーは主張しました。フィンランドの工場は、頻繁に混乱が起こるため、労働者は急がなければならず、事故も多くなります(Lucy, 1997)。

サピア=ウォーフの仮説は、ある言語に単語が存在しない場合、その言語の使用者はその経験をすることができないと示唆するものだと解釈されています。例えば、人が「アンビバレント」という言葉を利用できなければ、ある問題に対して肯定的と否定的の相反する感情の衝突を「アンビバレンス」と認識しない、と示した研究があります。しかしながら、この仮説は、人々が相反する感情を持っていないことを示唆するものではなく、むしろその感情を異なるように解釈することを示唆するものでしょう。

話し言葉を使うことに加えて、人は言葉を使わずにコミュニケーションをとります。非言語コミュニケーションはシンボリックなものであり、言語の場合と同様に、その人の文化を通じて学習されます。ジェスチャーには、ほぼ世界共通のものもあれば、そうでないものもあります。アメリカでは笑顔はしばしば好意を示しますが、いくつか文化では相手のことを知らないと失礼にあたります。ロシアやオーストラリアでは、親指を立てることは侮辱的な呪いです(Passero, 2002)。その他のジェスチャーは、状況や相手によって意味が異なります。手を振ることは、そのやり方や相手によって、多くの意味を持つことがあります。それは「こんにちは」、「さようなら」、「結構です」、あるいは「私は王族だ」ということを意味するのかもしれません。ウィンクは、「私たちには秘密がある」、「冗談だよ」、あるいは「あなたに惹かれている」など、さまざまなメッセージを伝えます。人は遠くから、人々のボディランゲージや表情を見るだけで、その人の心情を「読む」ことができるかもしれません。しかしながら、多くの文化では、身体を多用してコミュニケーションをとるため、その文化の外の人は、それを口論と解釈することがあります。そのため、例えば、あなたは二人が口論していると思い込んでいても、実際は普通の会話をしているだけであるのかもしれません。

社会政策とディベート

アメリカはバイリンガルなのでしょうか?

6歳のとき、ルーシーとその家族はアメリカに移住し、英語とスペイン語の両方が使える学校に入学しました。ルーシーの担任の先生をはじめ、多くのスタッフがバイリンガル(英語とスペイン語に堪能)であり、その学区では両言語の本が用意されていました。ルーシーが英語学習に励む一方で、二言語併用という選択肢は、すべての教科の学習で彼女が迷ったり遅れたりしないようにするのに役立ちました。数学、科学、コンピュータを両言語で学ぶことは、彼女がそれらの概念やスキルを理解する助けとなりました。入学後2年以内に、ルーシーはほぼすべての授業を英語で受けるようになり、スペイン語の本や教材を使うことはほとんどなくなりました。英語の複雑な部分はまだ苦手でしたが、彼女の数学の成績は学年水準を上回り、他の科目も順調に進みました。

ルーシーは英語だけで指導されていた方が早く習得できただろうと考える人もいるかもしれません。しかし、研究結果はそうではないことを示しています。ジョンズ・ホプキンズ大学の研究者は、複数の教科にわたって、バイリンガル教育の効果に関する一連の研究を行いました(Slavin et al., 2008)。彼らは、母語と英語の両方で教育を受けた生徒は、英語だけで教育を受けた生徒よりも、より良い進歩を遂げることを発見しました。

法律上、米国には公用語がありません。しかし、多くの人が英語を米国の正当な言語と信じており、30以上の州で英語を公的な言語と指定する法律が制定されています。「英語のみ」の法律の賛成派は、全国的に統一することで、翻訳、印刷、バイリンガル教師への資金援助など人的資源のコストを削減できると提言しています。また、英語を公用語と設定することで、非英語話者の人々がより早く英語を習得し、米国の文化に容易に適応できるようになると主張しています(Mount, 2010)。一方、アメリカ自由人権協会(ACLU)などの団体は、英語を公用語とすることに反対しており、非英語話者の人々の権利を侵害すると主張しています。「英語のみ」の法律は、私たちの国の多様性の現実を否定し、非英語話者の人々を不当に標的にするものだと彼らは考えています。彼らは、1970年以降、アジアやメキシコからの移民の新しい波を経験した時期に、このトピックに関する議論が盛んに行われるようになったという事実も指摘しています。

今日では、多くの製品情報が多言語で書かれています。ホーム・デポなどの店舗に行けば、英語とスペイン語の併記があるのをあなたは目にするでしょう。子供向けの製品を買えば、安全に関する警告が複数の言語で表示されているかもしれません。マーケティング担当者には、できるだけ多くの消費者にリーチしたいという金銭的な動機がありますが、この傾向は、人々が二言語併用の文化に慣れることにもつながるかもしれません。

研究では、アメリカへの移民のほとんどは最終的に母語を放棄し、英語に堪能になることが示されています。バイリンガル教育は、その移行を助けます。現在、ルーシーは野心的で成績優秀な大学生です。英語とスペイン語の両方に堪能なルーシーは、バイリンガルの雇用者を求めている領域である法執行機関について学んでいます。彼女の小学校での成功に貢献した二言語併用は、地域社会に奉仕する法律家としての彼女の職業上の活躍にも役立つことでしょう。

図3.7 | 街中やお店の看板には、英語とスペイン語が併記されていることが多いです。このことは、社会の人々にどのような影響を与えるでしょうか?また、私たちの文化にどのような影響を与えるでしょうか?(Credit: istolethetv/flickr)

図3.7 | 街中やお店の看板には、英語とスペイン語が併記されていることが多いです。このことは、社会の人々にどのような影響を与えるでしょうか?また、私たちの文化にどのような影響を与えるでしょうか?(Credit: istolethetv/flickr)

3.3 ハイ、ロー、ポップ、サブ、カウンターカルチャーと文化変化

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 社会におけるハイカルチャーとポップカルチャーの役割について議論する
  • サブカルチャーとカウンターカルチャーを区別する
  • 文化におけるイノベーション、発明、発見の役割について説明する
  • 文化変化における文化的遅滞とグローバル化の役割について記述する

世界にある社会の間には、数多くの文化的な違いがあることは明らかだと思われるかもしれません。結局のところ、私たちは、人々が社会ごとに異なることを容易に見て取ることができます。東アフリカのケニアの農村から来た若い女性と、世界で最も人口の多い都市の1つであるインドのムンバイの都会から来た若い女性では、世界の見方が違うと考えるのは当然です。

さらに、それぞれの文化には独自の内的な差異があります。ときには、文化間の違いが文化内の違いほど大きくはないこともあります。社会学者のピエール・ブルデューは、ある経済階級に特有の物質的な財、非物質的な態度、および知識からなる文化資本について書きました。ブルデューは文化資本を3つのカテゴリーに分類しました。それは、身体化されたもの(地域の方言)、客体化されたもの(所有物)、制度化されたもの(学歴)です。アメリカでは、文化も同様にハイローポップ(ポピュラーの意)の3つに分類する人がいます。

ハイカルチャー、ローカルチャー、ポピュラーカルチャー

あなたは3つの大企業の最高財務責任者を特定できますか?3つの地元のたまり場の接客係の名前はどうでしょうか?あなたは何冊の本を所有していますか?あなたはいくつのソーシャルメディアサイトを訪れていますか?あなたの家族はソーシャル・レジスター©[名士録]に掲載されていますか?あなたはソーシャル・レジスター©のことを聞いたことがありますか?それぞれのペアにおいて、一方の知識はハイカルチャー(上位文化)とみなされ、もう一方はローカルチャー(下位文化)とみなされます。

これは、人種やジェンダーではなく、経済階級による固定観念化ともみなされ得るかもしれませんが、社会学者は、社会の最高階級やエリート階級といった区分に存在する文化的経験や態度のパターンを表すために、ハイカルチャーという言葉を用いています。人々はしばしば、ハイカルチャーを知性主義、政治的権力、名声と結びつけます。アメリカでは、ハイカルチャーは富と結びつけられる傾向もあります。バレエ鑑賞、演劇鑑賞、交響曲の生演奏を聴く、名門大学に通うなど、ハイカルチャーとされる出来事は、高価で、フォーマルで、排他的です。同様に、ローカルチャーは、社会の最低階級の区分に存在する文化的経験や態度のパターンと関連付けられています。

ポピュラーカルチャー(大衆文化)という言葉は、社会の主流に存在する文化的な経験や態度のパターンを指します。ポピュラーカルチャーの出来事には、パレード、野球の試合、テレビ番組のシーズンフィナーレなどが含まれるかもしれません。音楽、アニメ、コスプレもポピュラーカルチャーの一部です。ポピュラーカルチャーは、多くの人がアクセスでき、ラジオ、テレビ、映画、音楽業界、出版社、企業が運営するウェブサイトなどの商業的・社会的メディアを通じて表現・拡散されます。あなたは新しい同僚と好きなフットボールチームの話をしたり、食料品店の並んだ列で世間話をするときにリアリティー番組のコメントをしたりすることができます。しかし、もしあなたがギリシャの古典劇『アンティゴネー』について深い議論を始めようとしても、現在の米国社会でこの作品になじみのある人はほとんどいないでしょう。ハイカルチャーはポピュラーカルチャーより優れていると考える人もいるかもしれませんが、ハイカルチャーとポピュラーカルチャーの境界線は、時代や場所によって異なります。シェイクスピア劇も、書かれた当時はポピュラーカルチャーであったものが、今では私たちの社会のハイカルチャーの一部として定着しています。今から500年後、私たちの子孫は『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』を立派なパフォーマンス・アートとみなすでしょうか?

サブカルチャーとカウンターカルチャー

図3.8 | コスプレイヤーは、米国では際立ったサブカルチャー(大きな文化の中にある小さな文化的集団)です。そして、大きなサブカルチャーの中にも、このD.C.コミックのキャラクターを模したもののような下位集団が存在します。(Credit: Pat Loika)

図3.8 | コスプレイヤーは、米国では際立ったサブカルチャー(大きな文化の中にある小さな文化的集団)です。そして、大きなサブカルチャーの中にも、このD.C.コミックのキャラクターを模したもののような下位集団が存在します。(Credit: Pat Loika)

サブカルチャーとは、その名の通り、大きな文化の中にある小さな文化的集団のことです。サブカルチャーの人々は、大きな文化の一部であると同時に、より小さな集団の中で特定のアイデンティティーを共有しています。

米国内には、数限りないサブカルチャーが存在しています。民族や人種の集団は、自分たちが受け継いできた言語、食べ物、習慣を共有しています。また、他のサブカルチャーは、経験を共有することで形成されます。バイカー文化は、バイクへの興味を中心に展開しています。一部のサブカルチャーは、社会の人々の大多数とは異なる特徴や嗜好を持つ人々によって形成されています。身体改造のコミュニティーは、タトゥーやピアス、ある種の形態の整形手術など、人体への美的な付加物を受け入れています。しかし、サブカルチャーのメンバーが結束しているにしても、彼らがより大きな社会に一体感を持ち、それに参加していることに変わりはありません。

社会学者は、サブカルチャーのことを、より大きな文化の規範や価値観の一部を否定するカウンターカルチャー(対抗文化)から区別しています。大きな社会の中で比較的スムーズに活動するサブカルチャーとは対照的に、カウンターカルチャーは、自分たちが従って生きる独自のルールや規範を確立し、時には大きな社会の外で活動するコミュニティーを作ることによって、大きな社会に積極的に反抗することがあります。カウンターカルチャーのメンバーは、優勢で支配的な文化に「対抗」し、自分たちの価値観を据え付けたいと望んでいます。サブカルチャーのメンバーは、いくつかのことを変えたいと思うかもしれませんが、確立された手順には従います。

文化から派生した言葉であるカルトもまた、カウンターカルチャーの集団とみなされています。テキサス州エルドラドにあった「シオンへの憧れ」(YFZ)という集団は、リーダーが法定強姦と未成年との結婚で告発されるまで、主流の外側で脚光を浴びることなく存在していました。この宗派の公式の規範は、米国の法律では許容し得ないほど厳しく衝突し、2008年、当局はこの施設を強制捜査し、200人以上の女性と子供を敷地から追い出しました。多くのカルトは霊的なものであると主張し、しばしば宗教として設立されます。世界の3つのアブラハム宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)のそれぞれが始まったとき、彼らはカルトとして扱われ、そのために多くの抑圧を受けました。

文化変化

文化が絶えず変化するのは、日々新しい物品が物質的な文化に加わり、次に、それらに対して意味が割り当てられ(非物質的)、それが他の文化の構成要素に影響を与えるからです。例えば、鉄道やスマートフォンなどといった新しい技術が、旅行やコミュニケーションの新しい方法を導入するかもしれません。また、フラッシュモブやクラウドファンディングのような新しい考え方が文化に入り込むこともあります。社会学者は、イノベーション(革新、新しいという意味)とディフュージョン(拡散、広まるという意味)という2つの大まかな変化のカテゴリーを特定しています。物質的な文化変化は、新しいものが発見・発明されたり、グローバル化の結果として文化に入り込んだりするときに起こります。

イノベーション:発見と発明

イノベーションとは、ある物や概念が社会に初めて登場することを指します。それは、新しいからこそイノベーティブなのです。イノベーションは、発見または発明されたものです。発見とは、これまで知られていなかったものの、現実に存在していた側面を知らしめることです。1610年、ガリレオが望遠鏡を覗いて土星を発見したとき、その惑星はすでに存在していましたが、それまでは誰もそのことを知りませんでした。クリストファー・コロンブスがイスパニョーラ島にたどり着いたとき、当然のことながら、その島のことは住民にはすでによく知られていました。しかしながら、彼の発見はヨーロッパ人にとって新しい知識であり、ヨーロッパ文化、そして発見された土地の文化に変化をもたらす道を開きました。例えば、ジャガイモやトマトなどの新しい食品はヨーロッパの食生活を変え、ヨーロッパからもたらされた馬は大草原地帯のネイティブ・アメリカンの狩猟方法を変えました。

発明とは、既存の物や概念から新しい何かが形成されるとき、つまり、物事がまったく新しい方法でまとめられるときに生じます。1800年代後半から1900年代前半にかけて、電化製品が驚くほどのペースで発明されました。自動車、飛行機、掃除機、ランプ、ラジオ、電話、テレビはすべて新しい発明品でした。発明は、古い仕事の進め方に取って代わったり、現在の慣習に組み込まれたり、新しい活動を生み出したりすることによって、文化を形作ることがあります。発明品の採用は文化的価値観を反映し(そしておそらく形成し)、その使用は新たな規範や習慣をもたらすかもしれません。

携帯電話の台頭を考えてみましょう。より多くの人々がこの装置を持ち運び始めたことで、電話での会話はもはや家やオフィス、電話ボックスの中だけにとどまらなくなりました。人々は、電車やレストラン、そしてその他の公共の場で、一方的な会話を聞かされるのを迷惑に思うようになりました。携帯電話の使用には、新たな規範と行動が必要とされました。世の中に出ている人は仲間や周囲に気を配るべきだという考え方を推し進める人もいました。幸いなことに、テクノロジーは回避策を見出しました。静かなコミュニケーションを可能にするテキストメッセージのやり取りは、どこでも、あらゆるところで、主要なコミュニケーション手段として、電話での会話を上回ったのです。

イノベーションのペースが上がると、世代間ギャップが生じることがあります。ある世代で急速に普及した技術的なガジェットは、懐疑的であったり、導入に苦労したりしている上の世代に否定されることがあります。年上の世代は公共のテレビ放送でミュージシャンの演奏を聴き、若い世代はライブストリームを好むかもしれません。ある文化における物体や考え方は、世代間だけでなく文化間のギャップも引き起こしかねません。物質的な文化は、非物質的な文化よりも早く拡散する傾向があります。テクノロジーはものの数か月で社会に浸透することがありますが、情報を調べたり学んだりする方法(例えば、図書館かインターネット検索か)を含め、社会の考え方や信念が変わるには何世代もかかる場合があります。

図3.9 | 技術採用のライフサイクル - 社会学者エヴェレット・ロジャース(Rogers, 1962)は、イノベーションの普及に関するモデルを構築しました。消費者が新しいイノベーションを徐々に取り入れていくことで、その物品は100%の使用率、つまり社会内での完全な飽和状態へ向けて成長していきます。このグラフは、ビジネス、販売、技術、文化のイノベーションにおいて頻繁に使用されています。このグラフは、新しい技術や俗語を、異なる集団がどれだけ早く採用するか(使い始めるか)を説明するのに使うことができますが、あくまで単なる枠組みであることに注意してください。すべてのイノベーションがこのパターンに正確に当てはまるわけではありませんが、議論や予測のための良い土台を提供してくれます。(Graph attribution: Copyright Rice University, OpenStax, under CC BY 4.0 license)

図3.9 | 技術採用のライフサイクル - 社会学者エヴェレット・ロジャース(Rogers, 1962)は、イノベーションの普及に関するモデルを構築しました。消費者が新しいイノベーションを徐々に取り入れていくことで、その物品は100%の使用率、つまり社会内での完全な飽和状態へ向けて成長していきます。このグラフは、ビジネス、販売、技術、文化のイノベーションにおいて頻繁に使用されています。このグラフは、新しい技術や俗語を、異なる集団がどれだけ早く採用するか(使い始めるか)を説明するのに使うことができますが、あくまで単なる枠組みであることに注意してください。すべてのイノベーションがこのパターンに正確に当てはまるわけではありませんが、議論や予測のための良い土台を提供してくれます。(Graph attribution: Copyright Rice University, OpenStax, under CC BY 4.0 license)

社会学者ウィリアム・F・オグバーン(Ogburn, 1957)の造語である文化遅滞は、新しい物質的な文化の物品が導入されてから社会的に受け入れられるまでに経過する時間のことを指します。文化遅滞は、具体的な問題を引き起こすこともあります。100年以上前に建設された米国のインフラストラクチャーは、今日の人口が多く、ペースが速い生活を支えるのに苦労しています。しかし、インフラストラクチャーの問題に対する解決策を構想することには遅滞があります。自治体が悩んでいる交通規制、大気汚染の増加、駐車場不足などは、すべて文化遅滞の症状です。人々は、その帰結や、資源の過剰使用や不足を認識しつつありますが、これらの必要性に対処するには時間がかかります。

ディフュージョンとグローバル化

物質的・非物質的な文化が境界線を越えるもう1つの方法は、ディフュージョンです。実験室実験での気体のように、物品や考え方は全体に広がっていきます。ディフュージョンとは、さまざまな文化が主流に統合される過程に関連するものであり、グローバル化とは、世界中の異なる地域や人々の間の交流を促進・増加させ、貿易を通じて育まれた市場の統合や国家の相互依存のことを指します。

考え方や概念、あるいは人工物が個人や集団に拡散または流布して、新たな社会的慣行が生まれることがあります。例えば、人々の中でタイの麺類やイタリアのジェラート(アイスクリーム)に対する新しい評価が生まれるかもしれません。テレビやインターネットを利用することで、米国のホーム・コメディーで描かれるライフスタイルや価値観が世界中の家庭に届けられるようになり、またその逆もあります。また、ある国の大衆デモの様子がツイッターに投稿され、他の国の政治的な抗議者を勇気づけたりもしています。このようなディフュージョンが起こるとき、ある文化の考え方が別の文化に導入されますが、それはしばしば関連する物質的なものよりも先に導入されます。上のグラフは、ディフュージョンが典型的な形で起こるときを示したもので、基本的には、イノベーションが初期採用者を超えて、より多くの人々に広まるよう後押しします。

図3.10 | 1893年に「クラスプ・ロッカー」(左)として正式に特許を取得したジッパーは、何十年も社会に普及しませんでした。現在では、世界中で一目で認識されるようになりました。(Credit: (a) US Patent Office/Wikimedia Commons; (b) Rabensteiner/Wikimedia Commons)

図3.10 | 1893年に「クラスプ・ロッカー」(左)として正式に特許を取得したジッパーは、何十年も社会に普及しませんでした。現在では、世界中で一目で認識されるようになりました。(Credit: (a) US Patent Office/Wikimedia Commons; (b) Rabensteiner/Wikimedia Commons)

3.4 文化に関する理論的視点

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 文化の解釈への主要な理論的アプローチについて議論する

音楽、ファッション、テクノロジー、価値観、これらはすべて文化の産物です。しかし、それらは何を意味するのでしょうか?社会学者は、これらの物質的、非物質的なものに基づいて、どのように文化を認識し、解釈するのでしょうか?機能主義、紛争理論、シンボリック相互作用論という3つの理論的観点の文脈でそれらを見直すことで、文化についての私たちの分析を終えましょう。

機能主義者は、社会を1つのシステムとして捉え、その中ですべての部品が連携して(つまり機能して)社会全体を作り上げていると考えます。彼らはしばしば、人体を例えとして用います。このような観点から生活を眺めると、社会が存在するためには文化が必要です。文化的規範は社会の円滑な運営を支えるために機能し、文化的価値観は人々が選択をする際の指針になります。社会の構成員が協力して社会の必要性を満たすのと同じように、文化も構成員の社会的・個人的な必要性を満たすために存在します。

機能主義者はまた、文化を価値観の観点から研究します。例えば、アメリカでは教育が非常に重視されています。教室、教科書、図書館、教育テクノロジー、寮などの物質的な文化や、具体的な教育方法などの非物質的な文化を含む教育文化は、社会の構成員を教育することの価値がどれほど重視されているかを示しています。対照的に、もし教育が指針やいくらかの学習教材を提供するだけで、他の要素がない場合は、その文化が教育に対して低い価値を置いていることを示すことになるでしょう。

図3.11 | イリノイ州メトロポリスの中心部に立つスーパーマンの像。台座には「真実・正義・アメリカ流」と書かれています。機能主義者はこの像をどう解釈するでしょうか?これはアメリカ文化の価値観について何を明らかにするでしょうか?(Credit: David Wilson/flickr)

図3.11 | イリノイ州メトロポリスの中心部に立つスーパーマンの像。台座には「真実・正義・アメリカ流」と書かれています。機能主義者はこの像をどう解釈するでしょうか?これはアメリカ文化の価値観について何を明らかにするでしょうか?(Credit: David Wilson/flickr)

機能主義者は、文化のさまざまなカテゴリーを、多くの機能を果たすものと考えています。文化やサブカルチャー、カウンターカルチャーの一員であることは、仲間意識や社会的結束をもたらし、同じような考えを共有する人々のための居場所を提供することによって、より大きな社会に利益をもたらします。

しかしながら、紛争理論家は、社会構造のことを、階級、ジェンダー、人種、年齢などの問題に関連した権力の差異に基づく、本質的に不平等なものとみなします。紛争理論家にとって、確立された教育方法は、支配的な社会の文化や特権の問題を強化するものとみなされます。例えば、人種、性別、階級に基づくものや、支配的な文化について否定的な物語を描くものなど、特定の集団についての歴史的経験は、歴史書から排除されています。長い間、米国の歴史教育では、米国となった土地の植民地化の一環として行われたネイティブ・アメリカンの人々や社会への攻撃が省かれてきました。より最近の例では、人種暴動やタルサ虐殺のような人種に基づく虐殺といった歴史的事件の認知が挙げられます。タルサ虐殺は1921年に発生した時は大きく報道されましたが、その時代についての全国の歴史記述の多くからは省かれました。HBOの『ウォッチメン』のエピソードで、この出来事の驚くほどの、そして恐ろしい詳細が紹介されたとき、多くの人が、それがそもそも起こったということや、教えられたり議論されたりしなかったことに驚きを示しました(Ware, 2019)。

歴史的な省略は米国に限られたことではなく、北朝鮮の学生は、慈悲深い指導者について学びつつも、彼が国民の大部分を不当に扱っていることについての情報を得ることはありません。脱北者や北朝鮮の専門家によると、飢饉や悲惨な経済状況は明らかですが、国営メディアや教育機関は、北朝鮮国民が自分たちの国が他国とどれほど違うかを理解しないように努めています(Jacobs, 2019)。

不公平は文化の価値観の体系中に存在し、法律、政策、手続きに組み込まれるようになります。この包含は、力を持つ者による力を持たない者への抑圧につながります。ある社会の文化的規範は、ある人々を利する一方で、別の人々を傷つけます。米国では1920年まで女性が投票することは認められていなかったため、女性たちが家庭や職場での権利を保護する法律を成立させることは困難でした。同性カップルは、2015年まで米国で結婚する権利を否定されていました。世界のその他の場所では、地球上の195か国のうち31か国で同性婚が合法化されているに過ぎません。

紛争理論の核となるのは、経済的生産と物質主義の影響です。豊かな国ではテクノロジーに依存し、貧しい国ではテクノロジーや教育が不足しています。紛争理論家は、ある社会の物質的な生産システムが文化の他の部分に影響を及ぼすと考えます。また、力の弱い人は、文化の変化に適応する機会も少なくなります。この見解は、機能主義の視点と対照的です。機能主義者は、伝統、習俗(フォークウェイズ)、価値観といった文化の目的のことを、個人が人生を歩み、社会が円滑に運営されるのを助けるものと考えるのに対し、紛争理論家は、一部の人々が社会における自分の地位を維持する支配的な文化を利用し強化することによって生まれた権力と特権とを含めた、社会-文化的闘争を考察します。

シンボリック相互作用論は、社会のメンバー間の対面での相互作用や文化的な意味に最も関心を持つ社会学の視点です。これはミクロレベルの分析であると考えられています。相互作用論者は、富裕層と貧困層の間でアクセスがどのように異なるかを見るのではなく、文化が人々の相互作用の仕方や、個人によるお互いの行動の解釈の仕方によって創造され、維持されているとみなします。この視点では、人々が文化的な方法を永続させます。この理論の支持者は、人間の相互作用を、環境中の物体と他者の行為の両方から意味を導き出す連続的なプロセスとして概念化します。すべての物体と行為にはシンボリックな意味があり、言語は、人々がこれらの意味の解釈を表現し、他者に伝達するための手段として機能します。シンボリック相互作用論者は、文化が非常に動的で流動的なものであると認識しています。なぜなら、文化は、意味がどのように解釈され、これらの意味を伝達する際に個人がどのように相互作用するかに依存しているからです。相互作用論者は、言語における変化について調査します。彼らは言葉の追加や削除、言葉の意味の変化、元の言語の言葉が別の言語に伝わることなどを研究します。

図3.12 | ときに外部の観察者は、パレードや特別なイベントの画像に基づいて、ある文化の人々が特定の服装をしていると考えることがあるかもしれません。実際には、この二人の人物は、フラワーパレードに参加していないときは、ビジネススーツであったりジーンズとTシャツであったりといった服装をしていることもあるでしょう。人々は常に自分の文化的アイデンティティーを大っぴらに表に出したり、文化にまつわる物品を使ったりしているわけではありませんが、特別なイベントがあれば、そうした表現が引き出されることも少なくありません。(Credit: John Shedrick)

図3.12 | ときに外部の観察者は、パレードや特別なイベントの画像に基づいて、ある文化の人々が特定の服装をしていると考えることがあるかもしれません。実際には、この二人の人物は、フラワーパレードに参加していないときは、ビジネススーツであったりジーンズとTシャツであったりといった服装をしていることもあるでしょう。人々は常に自分の文化的アイデンティティーを大っぴらに表に出したり、文化にまつわる物品を使ったりしているわけではありませんが、特別なイベントがあれば、そうした表現が引き出されることも少なくありません。(Credit: John Shedrick)

私たちは、この章を「文化とは何か?」という問いかけから始めました。文化とは、ある社会の価値観、信念、規範、言語、慣習、人工物などから構成されています。文化は学習されるものであるため、そこには人々がどのように考え、どのように自分自身を表現するかも含まれます。私たちは自分のことを個人だと思いたいかもしれませんが、文化が私たちや私たちの生活様式に与える影響を認めなければなりません。私たちは、家族、友人、信仰、政治などを含む、私たちの認識やパターン化された行動を形成する言語を受け継いでいます。

文化は、ある程度、社会的な快適さをもたらすものです。結局のところ、同じような文化を他者と共有しているということが、まさに社会を定義するものなのです。もし人々が文化的に共存していなければ、国家は存在しないでしょう。もし人々が遺産や言語を共有していなければ、社会は存在し得ないですし、 もし人々が同じような価値観や社会統制のシステムに同意しなければ、文明は機能しなくなるでしょう。

文化は、世代から世代への伝達を通じて保存されますが、イノベーション、発見、文化的拡散のプロセスを通じて進化するものでもあります。このように、文化は社会的な構築物です。社会は、物品や考え方を承認または不承認し、その結果、それらの物事は文化に含まれたり含まれなかったりします。私たちは、自分たちの文化の枠に縛られているのかもしれませんが、人間として、価値観に問いを投げかけ、意識的に決断する能力を持っています。その自由を証明するのに、世界各地の文化の多様性に勝る証拠はありません。私たちが異文化を学べば学ぶほど、自分たちの文化をよりよく理解できるようになります。

重要用語

信念:人々が真実であるとする信条や強い確信

カウンターカルチャー:社会に広く受け入れられている文化的パターンを拒絶し、それに反対する集団

文化的普遍性:すべての社会に世界中で共通するパターンや特質

文化:共有された信念、価値観、慣習

文化遅滞:物質的な文化の導入と非物質的な文化によるその受容との間に生じる時間のずれ

ディフュージョン:物質的・非物質的な文化が、ある文化から別の文化へと広がっていくこと

発見:既に存在していたものから見出された物や考え方

自文化中心主義:自分自身の文化の規範に基づいて他の文化を評価・判断すること

習俗(フォークウェイズ):ある文化の日常的な慣習や表現において、適切な行動を指示するもの

形式的規範:確立された書面による規則

グローバル化:国際貿易と金融市場の統合

ハイカルチャー:ある社会のエリートの文化的パターン

理想的な文化:社会が受け入れ、それに従って生きたいと思う基準

非形式的規範:一般的に広く順応しているくだけた行動

イノベーション:初めて文化に導入される新しい物や考え方

発明:既存の現実の断片を組み合わせて新しい形にすること

言語:コミュニケーションのためのシンボルを使ったシステム

習律(モーレス):ある集団の道徳観や原則

規範:社会を構築している目に見えたり見えなかったりする行動のルール

ポピュラーカルチャー:主流であり、社会の人々に広く浸透しているパターン

現実の文化:実際に起きていること、存在していることに基づく社会のあり方

制裁:特定の行動を承認したり、正式に不承認としたりする方法

サピア=ウォーフの仮説:人は言語の形態に基づいて世界を理解するというもの

社会統制:文化的規範への同調を促す方法

社会:定義可能なコミュニティーで生活し、文化を共有する人々

サブカルチャー:大きな社会の中に存在するメンバーでありながらも、社会の多数派とは別に、特定の帰属を共有する集団

シンボル:文化を共有する人々によって認識される、関連付けられた意味を持つジェスチャーや物体

価値観:社会における善と正義を見極めるための文化的な基準

各節のまとめ

3.1 文化とは何でしょうか?

「社会」と「文化」はしばしば交換可能な形で使われていますが、両者は異なる意味を持っています。社会とは、コミュニティーと文化を共有する人々の集団のことです。文化という言葉は一般的に、これらの人々が共有する価値観、信念、規範、言語、慣習、人工物を表し、物質的および非物質的な要素を含んでいます。私たちが経験する文化的相違は、自文化中心主義(自分の文化的基準を使って他者を判断すること)と他文化中心主義(他の文化が優れていると信じること)の影響を受けています。社会学者は文化相対主義(他者自身の文化的基準を使って他者を評価する)を実践していますが、それは非常に難しいことです。

3.2 文化の構成要素

文化は、その社会の価値観や信念など、多くの要素から構成されています。また、文化は、法律、習律(モーレス、道徳観を体現する規範)、習俗(フォークウェイズ、道徳的裏付けを持たない伝統)などの規範に支配されています。文化を発展させ、伝えるためには、その社会のシンボルと言語が重要な鍵を握っています。一言で言えば、価値観、信念、規範、言語、慣習、人工物の4つが主な構成要素です。

3.3 ハイ、ロー、ポップ、サブ、カウンターカルチャーと文化変化

社会学者は、社会には支配的な文化や文化的慣習があり、それが社会の規範としてしばしば特徴付けられることを認識しているとともに、社会の中にはさまざまな種類の文化もあると認識しています。社会はまた、多くのサブカルチャー(大きな文化の中にある小さな文化集団)からも構成されています。その中には、アイデンティティーや関心を共有することの結果として成立しているものもあります。カウンターカルチャーは、支配的な文化の価値観を拒絶し、独自の文化的ルールや規範を作り出します。文化変化は、発明や発見によって起こることがあります。文化は、新しいアイデアや新しい考え方を介して進化します。多くの現代文化において、イノベーションの基礎となるのはテクノロジーであり、その急速な発展は文化遅滞(創造または導入から社会的受容までの時間)につながることがあります。また、テクノロジーは、グローバル化(地球上のあらゆる場所で財やアイデアの移動と交換が増加すること)に寄与する物質的・非物質的な文化の普及の原因ともなっています。

3.4 文化に関する理論的視点

文化の解釈には、3つの主要な理論的アプローチがあります。機能主義の視点は、文化の多くの部分が社会の必要性を満たすためにシステムとして連携していることを認めます。機能主義者は、文化のことを社会の価値観の反映とみなします。紛争理論家は、文化は本質的に不平等であり、ジェンダー、階級、人種、年齢における不平等を強化するものであると考えています。シンボリック相互作用論者は、主に、個人と文化を構成するシンボルとの間の日常的な相互作用、解釈、交換の中で経験される文化に関心を寄せています。さまざまな文化的、社会学的事象は、これらの理論によって説明することができます。それぞれの理論は、社会における文化を理解するのに役立つ、異なる視点やレンズを提供しています。

各節についての質問

3.1 文化とは何でしょうか?

  1. __________と__________という用語は、しばしば交換可能な形で使われますが、両者を区別する微妙な違いを持っています。
  1. 帝国主義と相対主義
  2. 文化と社会
  3. 社会と自文化中心主義
  4. 自文化中心主義と他文化中心主義
  1. アメリカ国旗はアメリカを示す物質的な物体です。しかしながら、多くの人が国旗から勇敢や自由といった観念を連想します。この例では、勇敢と自由とは何でしょうか?
  1. シンボル
  2. 言語
  3. 物質的な文化
  4. 非物質的な文化
  1. 自分の文化が他の文化より劣っているという信念のことを、こう呼びます。
  1. 自文化中心主義
  2. 国家主義
  3. 他文化中心主義
  4. 帝国主義
  1. 他の文化に対する不合理な恐れや憎しみのことを、こう呼びます。
  1. 自文化中心主義
  2. 他文化嫌悪
  3. 他文化愛好
  4. 自文化嫌悪
  1. ロドニーとエリーズは、イタリアに留学中のアメリカ人学生です。彼らがホストファミリーに自己紹介すると、ファミリーは二人の両頬にキスをしました。ロドニーのホストブラザーも自己紹介をした後でロドニーの両頬にキスをすると、ロドニーは驚いて後ずさりしました。彼の出身地では、ロマンチックな関係でない限り、男性同士はキスをしません。これは、次のことの例です。
  1. カルチャーショック
  2. 帝国主義
  3. 自文化中心主義
  4. 他文化中心主義
  1. ほとんどの文化で、笑いはユーモア、喜び、快楽のしるしと認識されていることが分かっています。笑いは、次のことの例です。
  1. 相対主義
  2. 自文化中心主義
  3. 他文化中心主義
  4. 普遍性

3.2 文化の構成要素

  1. 国旗は、__________です。
  1. シンボル
  2. 価値観
  3. 文化
  4. 習俗(フォークウェイ)
  1. 形式的・非形式的を問わず、社会規範の存在は__________に情報を与える主なものの1つであり、これは別の言い方としては、社会的同調を促すものとして知られています。
  1. 価値観
  2. 制裁
  3. 社会統制
  4. 習律(モーレス)
  1. 習律(モーレス)と習俗(フォークウェイズ)の最大の違いは、__________です。
  1. 習律(モーレス)は道徳と結びついているのに対し、習俗(フォークウェイズ)はありふれた行動と結びついていること
  2. 習律(モーレス)は絶対的なものであるのに対し、習俗(フォークウェイズ)は一時的なものであること
  3. 習律(モーレス)は物質的な文化を指すのに対し、習俗(フォークウェイズ)は非物質的な文化を指すこと
  4. 習律(モーレス)は非物質的な文化を指すのに対し、習俗(フォークウェイズ)は物質的な文化を指すこと
  1. 人はそれを表す言葉を持たないものを感じたり経験したりすることはできないという考え方は、以下のものによって説明できます。
  1. 言語学
  2. サピア=ウォーフの仮説
  3. 民族学的心象
  4. 二言語併用
  1. 文化的制裁は、社会が__________方法とみなすこともできます。
  1. リーダーを確立する
  2. 言語を決定する
  3. 行動を規制する
  4. 法律を決定する

3.3 ハイ、ロー、ポップ、サブ、カウンターカルチャーと文化変化

  1. ハイカルチャーの例は__________であり、ポピュラーカルチャーの例は__________でしょう。
  1. 映画におけるドストエフスキーのスタイル/「アメリカン・アイドル」の優勝者たち
  2. 医療用マリファナ/フィルムノワール
  3. カントリーミュージック/ポップミュージック
  4. 政治理論/社会学理論
  1. クー・クラックス・クランは、文化のどの部分の例ですか?
  1. カウンターカルチャー
  2. サブカルチャー
  3. 多文化主義
  4. ポップカルチャー
  1. 現代のヒップスターは、__________の一例です。
  1. 自文化中心主義
  2. カウンターカルチャー
  3. サブカルチャー
  4. ハイカルチャー
  1. あなたの83歳になる祖母は、以前からパソコンを使っています。連絡を取り合う方法として、あなたは彼女に一日のことを知らせるために、数行の電子メールを頻繁に送っています。彼女は毎回の電子メールの後に電話をかけきて逐一返事をしますが、一度も電子メールで返信したことはありません。これは、次のことの例として見ることができます。
  1. 文化遅滞
  2. サピア=ウォーフの仮説
  3. 民族学的心象
  4. 二言語併用
  1. 今日、いくつかの仕事は多国籍市場で広告を出し、主要な場所で働く代わりに在宅勤務を許可しています。このような雇用市場と仕事の進め方の広がりは、次のことに起因していると考えられます。
  1. 文化遅滞
  2. ディフュージョン
  3. 発見
  4. グローバル化
  1. 発明と発見の大きな違いは、__________です。
  1. 発明は技術に基づくものであるのに対し、発見は通常は文化に基づくものであること
  2. 発見はすでに存在するものを見つけることであるのに対し、発明はものを新しい方法で組み合わせること
  3. 発明は物質的な文化を指すのに対し、発見は物質的であったり、物理法則のような理論的なものであること
  4. 発明は一般的に先史時代のものを指すの使われるのに対し、発見は現地の文化を指すこと
  1. マクドナルドのレストランは、世界中のほとんどすべての国にあります。これは何の例ですか?
  1. グローバル化
  2. ディフュージョン
  3. 文化遅滞
  4. 他文化中心主義

3.4 文化に関する理論的視点

  1. ある社会学者が、ヒスパニック系アメリカ人学生が米国の教育システムにおいて歴史的に恵まれない状況にあることについて調査を行っています。その社会学者はどのような理論的アプローチを用いているでしょうか?
  1. シンボリック相互作用論
  2. 機能主義
  3. 紛争理論
  4. 自文化中心主義
  1. あるカウンターカルチャー運動のメンバーは、経済的な最上層と中・下層との間の経済格差が指数関数的に憂慮すべき速度で拡大していると考えました。そのメンバーの間の相互作用を調べることによってその運動を研究する社会学者は、どの理論的アプローチを用いている可能性が最も高いでしょうか?
  1. シンボリック相互作用論
  2. 機能主義
  3. 紛争理論
  4. 自文化中心主義
  1. 社会を、相互依存的な本質的につながった部分からなるシステムを持つものとして捉える理論的視点は何ですか?
  1. 社会生物学
  2. 機能主義
  3. 紛争理論
  4. 自文化中心主義
  1. 「アメリカン・ドリーム」、つまり十分に懸命に働けば誰でも成功し、裕福になれるという考え方は、どの社会学理論と最もよく関連していますか?
  1. 社会生物学
  2. 機能主義
  3. 紛争理論
  4. 自文化中心主義

簡潔に答えてください

3.1 文化とは何でしょうか?

  1. あなたの世界における物質的な文化と非物質的な文化の間の違いを調べてみてください。あなたの日常的な文化体験の一部である物を10個挙げてください。それぞれについて、非物質的な文化(価値観、信念、規範、言語、慣習)のどのような側面を表しているのかを確認してください。この演習によって、あなたの文化について何か明らかになったでしょうか?

  2. 米国文化には、自文化中心主義の気分や他文化中心的な態度や習慣が蔓延していると思いますか?なぜそう考えるのですか?これらの概念について、どのような問題や出来事があなたの考えに影響を与える可能性がありますか?

3.2 文化の構成要素

  1. あなたはサピア=ウォーフの仮説についてどう思いますか?賛成ですか、反対ですか?自分の意見を裏付けるために、例や研究を引用してください。

  2. 社会的な「規範」がなくなると、あなたの文化にどのような影響があるでしょうか?肯定的な影響と否定的な影響を記述してください。

3.3 ハイ、ロー、ポップ、サブ、カウンターカルチャーと文化変化

  1. ポピュラーカルチャーの例をいくつか挙げ、それらがどのように社会文化を形成しているかを記述してください。それらの例の効果は、あなたの日常生活においてどの程度広まっていますか?

  2. あなたの世代の具体的な問題や関心事をいくつか考えてみてください。カウンターカルチャー的な考え方や概念はありますか?あなたの世代から生まれたサブカルチャーは何ですか?あなたの世代の問題は、文化的にどのように表現されてきましたか?あなたの世代は、社会の集合的な文化にどのような足跡を残してきましたか?

  3. あなたの生活の中にある文化遅滞の例にはどのようなものがありますか?テクノロジーは文化にどのような影響を与えますか?説明してください。

3.4 文化に関する理論的視点

  1. 家族、教育、交通、経済などを取り巻くもので、あなたが目にした現在の社会的傾向について考えてみてください。例えば、軍隊の退役軍人の多くは、中東での任務を終えた後、以前の世代のように仕事に就くのではなく、大学に戻っています。社会学的アプローチとして、機能主義、紛争理論、シンボリック相互作用論のいずれかを選択し、自分の選んだ社会問題を記述、説明、分析してください。その後、なぜそのアプローチを選んだのかを考えてみてください。それは自分の考え方に合っているのでしょうか?それとも、その社会問題を明らかにするための最も適切な方法を提供しているのでしょうか?

さらなる研究

3.1 文化とは何でしょうか?

自文化中心主義は、さまざまな場面で問題となっています。職場では、組織全体や、特に不当な扱いを受けたり歓迎されないと感じたりしている人たちを傷つけ、不利益をもたらすことがあります。職場で自文化中心主義を発揮する人は、自分のキャリアを危険にさらすだけでなく、異なる背景を持つ同僚や顧客と一緒に活躍し、発展する機会も失っています。換言すれば、自文化中心主義の抑制は、個人的にも社会的にも重要な目標であり、キャリアにとっても重要なことなのです。ある経営幹部リーダーシップアカデミー(http://openstax.org/l/eurac1)のこのガイドでは、人と会社が正しい実践を行うことで、多文化チームがより多くの成功を生み出す方法について論じています。

3.2 文化の構成要素

サミュエル・R・ディレイニーのSF小説『バベル-17』は、サピア=ウォーフの仮説の原理に基づいています。『バベル-17』の抜粋はこちらで読めます(http://openstax.org/l/Babel-17)。

3.3 ハイ、ロー、ポップ、サブ、カウンターカルチャーと文化変化

カウンターカルチャーの時代は終わったと多くの人が思っています。文化の多くの側面と同様に、それはいつでも復活する可能性があります。このインタビュー(https://openstax.org/l/counterculture)では、プリンストン大学のジャーマン・ラブラドール教授とバルセロナ現代文化センターの展示ディレクターが、カウンターカルチャーの過去、現在、そして未来の可能性について議論しています。

参考文献

3.1 文化とは何でしょうか?

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3.2 文化の構成要素

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3.3 ハイ、ロー、ポップ、サブ、カウンターカルチャーと文化変化

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3.4 文化に関する理論的視点

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