第4章 社会と社会的相互作用

図4.1 | 10代の生活のいくつかの側面は社会の境界を越えるものであり、他の側面には際立っているものもあります。(Credit: USAID/flickr)

図4.1 | 10代の生活のいくつかの側面は社会の境界を越えるものであり、他の側面には際立っているものもあります。(Credit: USAID/flickr)

この章の概要

4.1 社会の種類
4.2 社会に関する理論的視点
4.3 現実の社会的構築

はじめに

その日は学校のある日でした。イナヤは午前5時15分に起きて、携帯電話をチェックし、いくつかの家事を始めました。彼女の叔母はすでに仕事に出かけていましたが、夕食用に切っておくべき野菜を山積みのまま残していました。イナヤはそれをすませた後、洗濯物をまとめて整理し、年下の従妹と妹を起こしました。彼女たちにお祈りをさせ、朝食を食べさせ、学校に行くために着替えさせました。イナヤは予定よりも遅れていたので、動画を撮影する時間がありませんでした。その代わり、彼女は数枚の写真を撮って「おはよう」のクリップを投稿し、別のプラットフォームで自分のステータスを更新して、妹たちの様子を見に行きました。

20分後、イナヤは妹の制服を直し、従妹に急ぐように声をかけていました。イナヤは二人に学用鞄を背負わせ、洗濯物を一袋ずつ持たせました。三人の少女はバス停まで2キロメートルの道のりを歩き、途中でクリーニング屋に洗濯物を預けました。学校までのバスに乗っている時間は約30分です。

イナヤは、60キロメートルほど離れたところに住む両親のもとで育ちました。たいていの週末は両親に会っています。以前は全寮制の学校に通っていましたが、そこは誘拐やその他のトラブルのため危険な状態になっていました。イナヤの新しい学校は、以前のような良い学校ではありませんでしたが、それでも彼女は学んでいました。特に数学と経済学はよくできました。

学校が終わり、帰りのバスで戻ってくると、イナヤは妹と従妹を家に送り、自分は友人たちと町に留まりました。少女たちはバスケットボールコートの近くにあるピクニックテーブルに座りました。そこでは他のティーンエイジャーの集団や数人の大人たちがいつも集まって遊んでいました。彼女はそこにいる男の子たちとは話しませんでしたが、叔父の店でそこにいた何人かの男の子に会ったことがありました。彼女たちは一緒に動画を数本録画し、宿題に取りかかり、約1時間後、夕食の手伝いをするために家に帰りました。

イナヤの一日は、あなたの一日と比べてどうでしょうか?あなたの知っているティーンエイジャーの日々と比べてどうですか?イナヤは家族や友人と、それぞれの関係や個性に基づいて交流していますが、社会的な規範や許容される行動によって、そのような交流が形成されています。彼女のコミュニティーの外から来た人は、彼女の社会の期待が厳しすぎると感じるかもしれないですし、逆に甘すぎると感じる人もいるかもしれないです。しかし、イナヤはどちらの視点にも賛成しないかもしれません。彼女は、その社会の期待を自分のものとして受け止めているのかもしれません。

4.1 社会の種類

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 前工業社会、工業社会、脱工業社会の違いを記述する
  • 前工業社会における環境の役割について説明する
  • テクノロジーが社会の発展に与える影響について解釈する
図4.2 | テクノロジーは社会にどのような影響を与えるでしょうか?NASAのエンジニアが、宇宙飛行で一般的に使用されるコーティング剤のサンプルを扱っています。このコーティング剤は、現在では、地球上の人工物や科学標本を保存する役割を担っていることもあります。宇宙開発プログラムには多額の費用がかかりますが、その歴史を通じて、米国は科学の革新において大きなアドバンテージを得ることができています。(Credit: NASA Goddard Space Flight Center/flickr)

図4.2 | テクノロジーは社会にどのような影響を与えるでしょうか?NASAのエンジニアが、宇宙飛行で一般的に使用されるコーティング剤のサンプルを扱っています。このコーティング剤は、現在では、地球上の人工物や科学標本を保存する役割を担っていることもあります。宇宙開発プログラムには多額の費用がかかりますが、その歴史を通じて、米国は科学の革新において大きなアドバンテージを得ることができています。(Credit: NASA Goddard Space Flight Center/flickr)

社会学の用語では、社会とは、定義可能な共同体に住み、同じ文化的要素を共有する人々の集団のことを指します。より広い規模では、社会は私たちを取り巻く人々や制度、私たちが共有する信念、そして文化的な考え方から構成されています。一般的に、多くの社会は政治的権威も共有しています。

中国と米国を考えてみましょう。どちらも技術的に進んでおり、交通と通信の緻密なネットワークを持ち、経済の大きな部分を外国の貿易相手に依存し、市民の進歩のための手段として教育に力を入れ、大規模で高価な軍備を有しています。両国とも、自国の政府や生活様式におおむね満足している一方で、指導者に対してある程度の不信感や不満を持っている国民がいます。また、どちらにも、人口の間の緊張や経済的不平等を引き起こすことのある農村部と都市部との格差があります。一方の国の個別の家族、あるいは人でいっぱいなオフィス全体が、もう一方の国の家族やオフィスと、見た目も行動も非常に似通っているかもしれません。

しかし、何が違うのでしょうか?中国では、アメリカよりもはるかに多くの割合の人々が製造業に携わっている可能性があります。中国の多くの都市は、何百年も前の港や交通の要所、川の合流点から発展したものではなく、他の地域から最近移住してきた人々が住む新しく作られた都市センターです。アメリカでは、市民が直接、あるいは特にオンラインで社会活動を通じて政府への不満を率直に表明することができますが、中国ではツイッター、フェイスブック、ユーチューブは禁止されており、報道は政府によって統制されています。外見はよく似ているのかもしれませんが、両国はまったく異なる社会なのです。

社会学者のゲルハルト・レンスキー・ジュニア(1924-2015)は、社会を技術的な洗練度という観点から定義しました。社会が進歩すればするにつれて、そこでの技術の使い方も進歩します。初歩的な技術を持つ社会は環境の変動に依存し、工業化された社会は周囲の影響をよりコントロールできるようになり、その結果、異なる文化的特徴を発展させます。この区別は非常に重要であるため、社会学者は一般に、工業化の度合いに応じたスペクトルに沿って、社会を前工業社会、工業社会、脱工業社会と分類しています。

前工業社会

産業革命が起こり、機械の使用が普及する以前の社会は、小規模で農村にあり、地域の資源に大きく依存していました。経済生産は人間が提供できる労働力の量によって制限され、専門的な職業はほとんどありませんでした。一番最初の職業は狩猟採集民のものでした。

狩猟採集民

狩猟採集社会は、さまざまな種類の前工業社会の中で、最も環境依存度の高い社会です。約1万~1万2千年前までの人類社会の基本構造であり、これらの集団は親族関係や部族を中心としたものでした。狩猟採集民は、食べ物のために野生動物を狩ったり、耕作されたものではない植物を採ったりして、周囲の環境に依存しながら生きていました。資源が乏しくなると、集団は新しい土地に移動して食料を調達しました。これは、彼らがノマド(移住性)であったことを意味します。このような社会は数百年前までは一般的でしたが、現在では「アボリジニー」と呼ばれることもあるオーストラリアの先住民族や、コンゴ民主共和国に住むピグミー狩猟採集民のバンブティ族など、数百程度しか現存していません。世界的な人口増加により、狩猟採集民の集団は急速に姿を消しつつあります。

牧畜

変わりゆく条件と適応のために、一部の社会は、状況が許す場合には動物の家畜化に頼りました。およそ7500年前、人間社会は動物を飼いならして繁殖させたり、植物を育てて栽培したりする能力を認識し始めました。マサイの村人のような牧畜社会は、生存のための資源として動物の家畜化に依拠しています。生きていくために既存の資源に全面的に依存していた以前の狩猟採集民とは異なり、牧畜集団は食料、衣服、輸送のために家畜を繁殖させることができ、余剰物資を生み出しました。放牧社会、あるいは牧畜社会がノマド(移住性)であり続けたのは、家畜を追って新鮮な餌場へ行くことを余儀なくされていたからです。牧畜社会が出現した頃、専門的な職業が発達し始め、社会は地域集団との交易を開始しました。

現実世界における社会学

社会が出会う場所 - 最悪と最高

文化が出会うとき、テクノロジーは助けとなり、妨げとなり、そして破壊することさえあります。アラスカで起きたエクソン・バルディーズ号の原油流出事故では、地元住民の生活様式全体がほぼ崩壊しました。ナイジェリアン・デルタでの原油流出により、オゴニ族の多くが土地を追われ、強制排除により10万人以上のオゴニ族が隣国のベナンに避難しました(University of Michigan, n.d.)。また、2010年に米国で発生した大規模なディープ・ウォーター・ホライズン原油流出事故は大きな注目を集めました。西洋のテクノロジーとエネルギーへの必要性が、世界の低開発地域(周縁地域)に拡大するにつれ、環境災害は続いています。

もちろん、すべてのテクノロジーが悪いわけではありません。アメリカやヨーロッパ、その他の先進世界では、私たちは当たり前のように電気の明かりを利用しています。この光によって、私たちは昼を延長し、夜でも仕事をしたり、本を読んだり、旅行したりすることができます。そのおかげで、私たちはより安全で、より生産的な生活を送ることができます。しかし、インド、アフリカ、その他の場所の地域では、それほど幸運ではありません。その課題を受けて、インドのラージャスターン州アジュメール県にあるベアフット・カレッジという注目すべき組織は、多くの開発途上国と協力し、太陽光発電、水問題の解決、教育に取り組んでいます。ソーラープロジェクトの中心は、村の年配者たちです。年配者たちは、ソーラーエンジニアとしての訓練を受ける二人の祖母を選び、ソーラープログラムの運営を支援する男女からなる村の委員会を選ぶことに同意します。

このプログラムによって、1015の村の45万人以上の人々に明かりがもたらされました。環境面での恩恵には、灯油の使用量と二酸化炭素の排出量を大幅に削減することが含まれます。また、村人が自分たちでプロジェクトを運営しているという事実は、村人たちの依存の感覚を最小限に抑えるのに役立っています。

図4.3 | 半信半疑で躊躇していた村人も、「ソーラーエンジニア」が地元のおばあちゃんたちであることを知れば、ソーラープロジェクトの価値を容易に納得します。(Credit: Abri le Roux/flickr)

図4.3 | 半信半疑で躊躇していた村人も、「ソーラーエンジニア」が地元のおばあちゃんたちであることを知れば、ソーラープロジェクトの価値を容易に納得します。(Credit: Abri le Roux/flickr)

園耕

牧畜社会が勃興したのと同じ頃、人々が植物を栽培・育成するという新たに発達させた能力に基づく、別の種類の社会が誕生しました。それまで牧畜社会は、地域の作物や水源が枯渇すると、家畜の食料源を求めて移住を余儀なくされていました。園耕社会は、降雨や他の条件によって安定した作物を栽培できる地域で形成されました。彼らはその生存をほとんど環境に依存しているという点では狩猟採集民と似ていましたが、資源を追い求めるためにその場所を放棄する必要がなかったため、恒久的な定住を開始することができました。これにより、より安定した生活と、より多くの物質的な財が生まれ、人類の生存における最初の革命の基礎となりました。

農業

牧畜・園耕社会では、掘り棒や鍬などの小型で一時的な道具を使用していましたが、農業社会では、生存のために恒久的な道具に頼っていました。紀元前3000年頃、農業革命として知られる爆発的な新技術が農業を可能に、そして利益になるようにしました。農民は、畑で栽培する作物の種類を順に交代させ、糞尿などの廃棄物を肥料として再利用することを学び、それはより良い収穫とより多くの余剰食料へとつながりました。掘削や収穫のための道具は金属製になり、より効果的で長持ちするようになりました。人間の居住地は町や都市に発展し、特に豊かな地域は貿易や商業の中心地となりました。

これはまた、人々が音楽、詩、哲学など、より観想的・思索的な活動をする時間とゆとりを得た時代でもあります。この時期は、余暇や人文学が発達したことから、「文明の夜明け」とも呼ばれるようになりました。職人たちは、創造的、装飾的、あるいは示唆に富む美的な品々や文章を作ることで、自活することができました。

資源が豊富になるにつれ、社会階層はより細分化されました。より多くの資源を持つ人々は、より良い生活をすることができ、貴族階級へと発展していきました。男女の社会的地位の差も大きくなりました。都市が拡大するにつれて、資源の所有と保存が急務となりました。

封建

9世紀には、封建社会が誕生しました。この社会は、土地の所有と保護を中心とした厳格な階層的権力体系を有していました。貴族は領主と呼ばれ、家臣に土地の一部を任せました。家臣は、土地から得られる資源と引き換えに、領主のために戦うことを約束しました。

封土として知られる個々の土地は、下層階級の人々によって耕作されました。農民は土地を維持する見返りとして、住む場所と外敵からの保護を保証されました。権力は家系を通じて受け継がれ、農民の家族は何世代にもわたって領主に仕えました。最終的に、封建制の社会・経済システムは破綻し、資本主義や工業時代の技術進歩に取って代わられました。

工業社会

18世紀、ヨーロッパでは技術革新が飛躍的に進み、産業革命として知られる時代が到来しました。この時代を注目すべきものとしているのは、人々の日常生活に影響を与える新しい発明の数です。それまで何か月もの労働が必要とされていた作業が、一世代でほんの数日程度でできるようになったのです。産業革命以前の労働は、概して人や動物が主体で、粉砕機を動かしポンプを駆動させるのに人間の労働者や馬に頼っていました。1782年、ジェームズ・ワットとマシュー・ボールトンが、12頭の馬の仕事を1台でこなせる蒸気機関を作り出しました。

蒸気の力はあらゆるところに出現するようになりました。人々は、職人にお金を払って丹念に羊毛を紡ぎ、布に織り上げる代わりに、より良い価格で、しばしばより良い品質の布を素早く生産する織物工場を利用するようになりました。農民は、手作業で植え付けや収穫をする代わりに、機械式の播種機や脱穀機を購入することができるようになり、農業の生産性を飛躍的に向上させました。紙やガラスなどの製品が一般庶民の手に入るようになり、教育や医療の質や利用のしやすさも向上しました。また、ガス灯によって暗闇での視認性が向上し、町や都市では夜の娯楽が展開されました。

生産性の向上と技術の進歩の帰結の1つは、都市中心部の勃興です。工場には職を求めて労働者が集まり、都市の人口はますます多様化していきました。新しい世代は、家族の土地や伝統を維持することにかかずらうよりも、富を獲得し、自分と家族のために上方移動を達成することに専心するようになりました。人々は、自分の子供やその子供たちが頂点に向けて登り続けることを望み、資本主義が高まるにつれて、社会的移動性も高まりました。

社会学が誕生したのは、産業革命が起こった18世紀から19世紀にかけてのことです。生活は急速に変化し、農耕時代に長く根付いた伝統は大都市での生活には当てはまらなくなりました。大衆は新しい環境に移り住み、しばしば不潔、過密、貧困といった恐ろしい状況に直面することになりました。社会科学者が登場し、社会の個々の構成員と社会全体との関係性を研究しました。

この時期、権力は貴族や「オールド・マネー[世襲資産家]」の手から、ビジネスに精通し、一代で富を築いた新参者へと移りました。ロックフェラー家やヴァンダービルト家といった一族が新たな権力者となり、ビジネスにおける影響力を利用して、政府のいくつかの側面も支配するようになりました。やがて、労働者の搾取を懸念して労働組合が結成され、従業員に対する義務的な条件を定めた法律が制定されました。19世紀末に新技術が導入され、工業化時代は終わりましたが、家族、子供、時間の標準化など、私たちの社会構造や社会思想の多くは、工業社会に基礎を置いています。

図4.4 | スタンダード・オイル社の共同設立者であるジョン・D・ロックフェラーは、行商人や下働きをしていた目立たない家の出身でした。98歳で亡くなるまでに、彼は14億ドルの資産を築きました。工業社会では、ロックフェラーのような事業主が権力の大半を握っています。(Credit: Wikimedia Commons)

図4.4 | スタンダード・オイル社の共同設立者であるジョン・D・ロックフェラーは、行商人や下働きをしていた目立たない家の出身でした。98歳で亡くなるまでに、彼は14億ドルの資産を築きました。工業社会では、ロックフェラーのような事業主が権力の大半を握っています。(Credit: Wikimedia Commons)

脱工業社会

脱工業社会やデジタル社会としても知られる情報社会は、最近の展開です。物質的な財の生産に根ざした工業社会とは異なり、情報社会は情報やサービスの生産に基づいています。

デジタル技術は情報社会の蒸気機関であり、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのようなコンピュータ界の大立者は、ジョン・D・ロックフェラーやコーネリアス・ヴァンダービルトに相当します。情報社会の経済は、物質的な財ではなく知識によって駆動されるため、情報の蓄積と流通に関わる人たちが力を持つことになります。脱工業社会の人々は、財の生産者ではなく、例えばソフトウェア・プログラマーやビジネス・コンサルタントなどのような、サービスの販売者として雇用される可能性が高いです。社会階層は教育へのアクセスによって分けられます。なぜなら、技術的なスキルがなければ、情報社会の人々は成功するための手段を持たないからです。

4.2 社会に関する理論的視点

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • デュルケームの機能主義的な社会観について記述する
  • 紛争理論家の社会観を要約する
  • マルクスの階級と疎外の概念について説明する
  • シンボリック相互作用論者が社会をどのように理解しているかを明らかにする
図4.5 | 超富裕層の税制と消費習慣についてのウォーレン・バフェットの考えは、特にアメリカの階級構造と社会権力の埋め込まれたシステムについての疑問を提起しているため、議論を呼ぶものです。3つの主要な社会学的パラダイムは、これらの問題に対する視点が異なっています。(Credit: Medill DC/flickr)

図4.5 | 超富裕層の税制と消費習慣についてのウォーレン・バフェットの考えは、特にアメリカの階級構造と社会権力の埋め込まれたシステムについての疑問を提起しているため、議論を呼ぶものです。3つの主要な社会学的パラダイムは、これらの問題に対する視点が異なっています。(Credit: Medill DC/flickr)

多くの社会学者が社会と社会的相互作用に関する研究に貢献してきましたが、現代の視点の基盤を形成したのは三人の思想家です。エミール・デュルケーム、カール・マルクス、マックス・ウェーバーの三人は、社会がどのように機能しているかを私たちが理解するのに役立つ、異なる理論的アプローチを開発しました。

エミール・デュルケームと機能主義

機能主義者であったエミール・デュルケーム(1858-1917)の社会に対する視点は、社会のすべての要素の必要な相互接続性を強調するものでした。デュルケームにとって、社会はその部分の総和よりも大きなものでした。彼は、個人の行動と集合的な行動は同じではなく、集合的な行動を研究することは個人の行動を研究することとはまったく異なると主張しました。デュルケームは、ある社会の共同体的な信念、道徳、態度のことを集合意識と呼びました。彼は、さまざまな個人がよく似た予測可能な方法で行動をする原因の理解を目指す中で、「もし私が社会の慣習に従わないなら、もし私の服装が私の国や階級で守られている習慣に従わないなら、私が引き起こす嘲笑や、私が閉じ込められる社会的孤立は、弱められた形ではあるが、罰と同じ効果をもたらす」(Durkheim, 1895)と書きました。デュルケームはまた、社会的統合、つまり人々が自分の社会集団と持つ絆の強さが社会生活における重要な因子であると考えました。

デュルケームは、コントやスペンサーの考え方にならって、社会を生物にたとえ、それぞれの器官がその生体を生かすために必要な役割を果たすとしました。デュルケームは、社会的に逸脱した構成員でさえも必要であると主張しました。なぜなら、逸脱行為に対する罰は、確立された文化的価値観や規範を認めるからです。つまり、犯罪を罰することで、私たちの道徳意識が再確認されるのです。「犯罪は、私たちがそれを非難するから犯罪なのである」とデュルケームは1893年に書きました。「ある行為が犯罪だから公共の意識を傷つけるのではなく、その意識を傷つけるからその行為は犯罪なのである」(Durkheim, 1893)。デュルケームは、こうした社会の要素を「社会的事実」と呼びました。これは、社会的な力が個人の外に存在する現実的なものであるとみなされるべきだということを意味していました。

自身の社会世界の観察者として、デュルケームは、当時の社会の方向性に完全に満足していたわけではありませんでした。彼の最大の関心事は、社会をまとめる文化的接着剤が機能しなくなり、人々がより分裂していくことでした。デュルケームは、著書『社会分業論』(Durkheim, 1893)の中で、社会がより複雑になるにつれ、社会秩序が機械的なものから有機的なものへと移行していくと主張しました。

デュルケームは、前工業社会が、文化の集合意識によって維持される社会秩序の一種である機械的連帯によってまとまっていたと説明しました。機械的連帯を持つ社会は機械的な方法で行動します。物事が行われるのは、たいていいつもそのように行われてきたからです。このような考え方は、狩猟採集民の集団のように、強い親族の絆と少ない分業によって人々の間に共通の道徳や価値観が生み出されていた前工業社会では一般的でした。デュルケームは、人々が同じ種類の仕事をする傾向があると、同じように考え、行動する傾向もあると主張しました。

工業社会では、機械的連帯が有機的連帯に取って代わられます。これは、経済的・社会的差異の受容に基づく社会秩序です。デュルケームは、資本主義社会では、分業があまりにも専門化して、誰もが異なることをするようになると書いています。有機的連帯は、共通の価値観に同化できなかった社会の構成員を罰する代わりに、異なる価値観を持つ人々が共存することを可能にします。法律は形式化された道徳として存在し、復讐ではなく補償に基づくものとなります。

機械的連帯から有機的連帯への移行は、長期的には社会にとって有利ですが、デュルケームは、それが混沌とした「規範のない」状態になる可能性があることを指摘しました。この移行の結果の1つに、彼が社会的アノミーと呼ぶものがあります。アノミーとは、文字通りには「法がない」ことを意味するものであり、社会が確固たる集合意識の支えをもはや持たなくなった状態のことです。集合的な規範は弱体化します。人々は、複雑な仕事をこなすために相互依存が強まる一方で、互いに疎外もされます。アノミーは、戦争や経済の大幅な好転・悪化など、社会の不確実性が高いときに経験されます。社会が有機的連帯の高度な段階に達すると、共有する一連の規範を再び発展させることによってアノミーが回避されます。デュルケームによれば、ひとたび社会が有機的連帯を達成すると、その社会は発展を終えたことになります。

カール・マルクスと紛争理論

カール・マルクス(1818-1883)は、近年の歴史上、最も重要な社会思想家の一人であることは間違いありません。彼の著作には多くの批判がありますが、今でもまだ広く尊重され、影響力があります。マルクスにとって、社会の構成は「土台と上部構造」という考え方に基礎を置いています。この言葉は、社会の経済的性格がその基盤を形成し、その上に文化や社会制度といった上部構造が乗っているという考えを指しています。マルクスにとって、社会のあり方を決定するのは土台(経済)です。

図4.6 | カール・マルクスは、社会の構造を構成するすべての要素は、その経済構造に依存すると主張しました。

図4.6 | カール・マルクスは、社会の構造を構成するすべての要素は、その経済構造に依存すると主張しました。

さらに、マルクスは、社会における紛争を変化の主要な手段であると考えました。経済的には、生産手段の所有者であるブルジョアジーと、プロレタリアートと呼ばれる労働者との間に対立が存在すると考えました。

マルクスは、このような紛争は、歴史上一貫して社会革命の時代に現れると主張しました。このような革命や彼の呼ぶところの「階級対立」は、ある階級が他の階級を支配した結果です。最近では、封建制の終焉とともに、彼がブルジョアジーと呼ぶ新しい革命的な階級が、プロレタリアートの労働者を支配するようになりました。ブルジョアジーは、社会の構造における根本的な変化を体現しているという意味で革命的でした。マルクスの言葉では、「社会は全体として、ますます2つの巨大な敵対する陣営、すなわち、ブルジョアジーとプロレタリアートという互いに直接対峙する2つの大きな階級に分裂しつつある」(Marx and Engels, 1848)。

19世紀半ば、工業化の進展に伴い、マルクスの言う「生産手段の所有者」である産業の雇用主たちは、労働者階級に対してますます搾取的になっていきました。特に鉄鋼の大手生産者は冷酷で、その工場はウィリアム・ブレイクの詩にちなんで「悪魔の工場」として悪名高いものとなりました。マルクスの同僚で友人のフリードリヒ・エンゲルスは、1844年に『イギリスにおける労働者階級の状態』を書き、その悲惨な状況を詳細に描写しました。

マンチェスターの旧市街はこのようなものであり、私の記述を読み直しても、それは誇張されているどころか、汚物、廃墟、居住不可能性、そして清潔さと換気と健康に対するあらゆる配慮を無視した、少なくとも2~3万人の住民を含むこの一地区の構成を特徴付ける真の印象を伝えるには、現実からほど遠いことを認めざるを得ない。そして、このような地区が、世界で最初の製造業都市であるイングランドの第二の都市の中心に存在しているのである。

さらに、長時間労働、児童労働の利用、暑さや寒さ、毒性化学物質などの極限状態にさらされることも加わりました。そのため、製品を作ったり運んだりするためのもの(土地、石油、工場、船など)が政府ではなく、個々の人々や企業に所有されるように経済を組織化する資本主義のことを、マルクスやエンゲルスが「ブルジョアジーの独裁制」と呼んだのも不思議なことではありませんでした。

図4.7 | カール・マルクス(左)とフリードリヒ・エンゲルス(右)は、「持つ」集団と「持たざる」集団の間の社会権力の差を分析しました。(Credit: (a) Wikimedia Commons; Photo (b) George Lester/Wikimedia Commons)

図4.7 | カール・マルクス(左)とフリードリヒ・エンゲルス(右)は、「持つ」集団と「持たざる」集団の間の社会権力の差を分析しました。(Credit: (a) Wikimedia Commons; Photo (b) George Lester/Wikimedia Commons)

マルクスにとって、私たちが何をするかは、私たちが何者であるかを規定します。歴史的に見れば、ある階級が他の階級を支配するという根強い性質にもかかわらず、何らかの人間性の要素が存在しました。農業社会で見て取れるように、労働者と生産物の間には少なくとも何らかのつながりがあり、季節や太陽の昇降といった自然条件によって増強されていました。しかし、ブルジョアジー革命が起こり、産業と資本主義が台頭すると、労働者は賃金を得るためだけに働くようになりました。努力との関係性は、もはや人間的な性質を持つものではなくなり、人工的な条件に基づくものとなりました。

マルクスは、現代社会を疎外という言葉で表現しました。疎外とは、個人が社会、仕事、自己の感覚から孤立し、切り離された状態のことを指します。マルクスは、疎外の具体的な種類を4つ定義しました。

自分の労働の成果からの疎外。工業労働者は、自分が労働をしている成果物に関係する機会を持ちません。時計職人として何年も修行する代わりに、非熟練労働者は時計工場でボタンを押し、部品をつなぎ合わせる仕事に就くことができます。この労働者は自分が時計を作っているか自動車を作っているかは気にせず、ただその仕事が存在することだけを気にします。同じように、労働者は、自分がどのような製品に貢献しているのかさえも知らないし、気にも留めないかもしれません。フォードの組立ラインで働く労働者は、一日中、車のドアに窓を取り付ける作業をしていても、車の他の部分を見ることすらないでしょう。缶詰工場で働く人は、魚がどのような製品に使われるのか知ることなく、魚をさばくことに一生をかけることがあり得ます。

自分の労働の過程からの疎外。労働者は、生産手段を所有していないため、自分の仕事の条件をコントロールすることができません。ファストフード店で働くために雇われた人は、教えられたとおりに料理を作ることを期待されます。すべての材料は特定の順序と量で組み合わせなければならず、創造性や変更の余地はありません。フォードの組立ラインで働く従業員が車のヘッドライトを異なる位置に取り付けるという判断をできないのと同じように、バーガーキングの従業員はフライドポテトに使うスパイスを変えるという判断ができません。すべてはブルジョアジーが決定し、労働者に命令を下すのです。

他者からの疎外。労働者は協力するよりも、むしろ競争します。従業員は、時間枠、ボーナス、雇用の安定を競い合います。労働者が夜間に退勤して家に帰っても、競争は終わりません。マルクスは『共産党宣言』(Marx and Engels, 1848)の中で、「製造業者による労働者の搾取がひとまず終わり、賃金を現金で受け取るやいなや、ブルジョアジーの他の部分、すなわち家主、店主、質屋に襲われる」と述べています。

自分自身からの疎外。工業化の最終的な帰結は、労働者と自分の職業との結びつきの喪失です。労働者と自分の労働を結びつけるものがないため、自己の感覚というものはもはや存在しません。時計職人や、自動車組立工や、料理人であるといったアイデンティティーに誇りを持つことができなくなり、代わりに人は単なる機械の歯車と化してしまいます。

つまり、全体としてみれば、現代社会における疎外とは、個人が自分の人生に対するコントロールを持たないことを意味します。封建社会であってさえ、人は自分の労働をいつ、どのように行うかは、自分でコントロールできました。それなのに、なぜ現代の労働者階級は立ち上がり、反乱を起こさないのでしょうか?(実際、マルクスはこれが究極の結果であり資本主義の崩壊となるであろうと予言していました。)

マルクスが展開したもう1つの考え方は、虚偽意識という概念です。虚偽意識とは、ある人の信念、理想、イデオロギーが、その人自身の最善の利益にならない状態のことです。実際には、プロレタリアートに押し付けられるのは、支配階級(ここではブルジョアジー資本家)のイデオロギーです。協力よりも競争を重視するとか、勤勉はそれ自体で報酬であるとかいうような考え方は、明らかに産業の所有者に利益をもたらします。したがって、労働者は、社会における自分の居場所に疑問を持つことも、既存の状況に対して個人的な責任を引き受けることも少なくなります。

マルクスは、社会が虚偽意識を克服するために、それを階級意識、つまり社会における自分の順位の認識に置き換えることを提案しました。「階級それ自体」として存在するのではなく、プロレタリアートは、社会変革をもたらすために「自分自身のための階級」にならなければなりません(Marx and Engels, 1848)。これはつまり、社会の不活性な層として存在するのではなく、この階級が社会の改善のための提唱者となることができることを意味します。社会がこのような政治的意識の状態になったときに初めて、社会革命の準備が整うでしょう。

図4.8 | 組立ラインの労働者が複雑な機械の助けを借りて自動車の部品を取り付けています。テクノロジーはこのような労働を多かれ少なかれ疎外的なものにしたでしょうか?(Credit: Carol Highsmith/Wikimedia Commons)

図4.8 | 組立ラインの労働者が複雑な機械の助けを借りて自動車の部品を取り付けています。テクノロジーはこのような労働を多かれ少なかれ疎外的なものにしたでしょうか?(Credit: Carol Highsmith/Wikimedia Commons)

マックス・ウェーバーとシンボリック相互作用論

カール・マルクスは19世紀の最も有名な思想家の一人かもしれませんが、マックス・ウェーバーは間違いなく社会学の分野で最も大きな影響を与えた一人です。ここで議論された他の社会思想家と同様に、彼は工業化の到来によって西洋社会で起こっている重要な変化に関心を抱いていました。そして、マルクスやデュルケームと同様に、工業化が個人に悪影響を及ぼすことを危惧しました。

ウェーバーは、社会の構造について、階級、地位、権力という要素に主眼を置いていました。マルクスと同様、ウェーバーは階級を経済的に決定されるものと見ていました。彼は、社会が所有者と労働者の間で分裂していると考えました。一方、地位は、教育、親族関係、宗教などの非経済的な要因に基づいていました。地位と階級はともに、個人の権力、すなわち考え方に対する影響力を決定するものでした。ウェーバーは、マルクスとは異なり、これらの考え方が社会の基盤を形成していると考えました。

ウェーバーの現代社会の分析は、合理化という概念を中心に行われました。合理的な社会とは、道徳や伝統ではなく、論理や効率性を中心に構築された社会です。ウェーバーにとって、資本主義は完全に合理的なものです。これは、効率や実力主義的な成功につながりますが、極端なところまで行けば否定的な効果もあります。いくつかの現代社会の中では、硬直的に定められた方法と厳格な設計が、機械化された労働環境と、どの場所でもそっくり同じ製品を生産することへの重視へとつながる場合に、これが見られます。

合理性の極限状態を示すもう1つの例は、チャーリー・チャップリンの名作映画『モダン・タイムス』(1936)に見ることができます。チャップリン演じる主人公は、決まりきった作業をあまりにもこなし続けたため、仕事を離れてもその動作を止めることができないほどです。実際、今日では、このような作業から生じる「反復性ストレス症候群」として知られる医学的疾患まで認められています。

また、ウェーバーは、社会の分断そのものよりも、個人がどのように社会の分断を経験するかに興味を持った点でも、先達とは異なっていました。シンボリック相互作用論は、社会学で最もよく認知されている3つの理論のうちの三番目で、個人の視点とその個人が社会とどう関わるかを強調するウェーバーの初期の考えに基づいています。ウェーバーに言わせると、工業化、合理化などの集大成として、個人が制度や官僚主義に囚われる鉄の檻と呼ばれる状態が生み出されました。これは、ウェーバーが人類の最終的な状態を表現するために使った言葉である「世界の呪術からの解放」の感覚につながります。確かに暗い予言ではありますが、少なくともある程度は実現されています(Gerth and Mills, 1918)。合理化された現代社会では、家族経営の商店の代わりにスーパーマーケットがあります。地元の飲食店ではなく、チェーン店のレストランがあります。金物、食料品、自動車修理、衣料品など、1つの商品群に特化する独立した会社に代わって、多数の商品を扱う巨大ストアが登場しました。ショッピングモールには、小売店、レストラン、フィットネスセンター、そしてコンドミニアムまでが揃っています。この変化は合理的かもしれませんが、普遍的に望ましいことなのでしょうか?

図4.9 | オフィスで個人の作業スペースを最大化するためにキュービクル[間仕切りで分けられた区画]が使用されます。このような構造は合理的かもしれませんが、同時に孤立を招きます。(Credit: Tim Patterson/flickr)

図4.9 | オフィスで個人の作業スペースを最大化するためにキュービクル[間仕切りで分けられた区画]が使用されます。このような構造は合理的かもしれませんが、同時に孤立を招きます。(Credit: Tim Patterson/flickr)

大局的な観点

プロテスタントの労働倫理

1904年、マックス・ウェーバーは一連のエッセイの中で、カルヴァン派の予定説の原理に基づく労働に対する新しい態度である「プロテスタントの労働倫理」の考え方を提示しました。16世紀、ヨーロッパはプロテスタント革命に揺れ動きました。マルティン・ルターやジャン・カルヴァンといった宗教指導者たちは、カトリック教会の服従を通じた救済という信仰に反論しました。カトリックの指導者たちは、宗教的な教義の重要性や善行を行うことが天国への入り口であると強調しましたが、プロテスタントは、内なる恩寵、すなわち神への信仰だけで救済を得るのに十分であると考えました。

特にジャン・カルヴァンは、キリスト教の予定説の概念(救済を含むすべての出来事は神によってあらかじめ決定されているという考え方)を広めました。信奉者たちは、自分が天国か地獄のどちらに入るよう選ばれたかを知ることができないため、日常生活の中にその徴候を探しました。もしある人が勤勉で成功したならば、その人は選ばれた人の一人である可能性が高いでしょう。もしある人が怠け者であったり、単に無関心であるならば、その人は地獄に堕ちる人の一人である可能性が高いでしょう。

ウェーバーは、このような気質が、個人的な利益のために懸命に働くことを奨励したと主張しました。結局のところ、すでに地獄に落ちることが決まっているのなら、なぜ不幸な人々を助けなければならないのでしょう?やがて、プロテスタントの労働倫理は広まり、資本主義の基礎となりました。

4.3 現実の社会的構築

学習目標

この節が終わるまでに、あなたは次のことができるようになります:

  • 社会的構築物としての現実という社会学的概念を解釈する
  • 役割を定義し、人々の日常的な相互作用におけるその立場を記述する
  • 社会的文脈の中で、個人がどのように自分を呈示し、どのように認識しているかを説明する
図4.10 | 私たちは何者なのでしょうか?私たちは社会でどのような役割を担っているのでしょうか?社会学者によると、私たちは他者との相互作用を通じて現実を構築しています。いわば、私たちの日々のやりとりは、舞台上の俳優によるやりとりのようなものです。(Credit: Jan Lewandowski/flickr)

図4.10 | 私たちは何者なのでしょうか?私たちは社会でどのような役割を担っているのでしょうか?社会学者によると、私たちは他者との相互作用を通じて現実を構築しています。いわば、私たちの日々のやりとりは、舞台上の俳優によるやりとりのようなものです。(Credit: Jan Lewandowski/flickr)

これまで、私たちは主に社会の違いについて論じてきました。ここでは、社会の問題点や構成について論じるのではなく、社会がどのようにして生まれたのか、社会学者がどのように社会的相互作用を捉えているのかについて探っていきます。

1966年、社会学者のピーター・バーガーとトーマス・ルックマンは、『現実の社会的構成』という本を書きました。その中で彼らは、社会は人間および人間の相互作用によって作られると主張し、それを習慣化と呼んでいます。習慣化とは、「頻繁に繰り返される行動はすべてパターンとして固定され、将来、同じ方法で、同じ経済的努力で再び行われ得る」(Berger and Luckmann, 1966)ことを記述しています。私たちは自分たちの社会を構築するだけでなく、他人が先に構築したという理由からその社会をそのまま受け入れてもいます。社会とは、実は「習慣」なのです。

例えば、あなたの学校が単なる建物としてではなく、学校として存在しているのは、あなたと他の人がそれが学校であることに同意しているからです。もし、あなたの学校があなたの年齢よりも古いものであれば、それはあなたより前にいた人たちの合意によって作られたものです。ある意味、過去におけるものであれ現在におけるものであれ、それは合意によって存在しているのです。これは、制度化のプロセスの一例です。これは慣習や規範を社会に植え付ける行為です。制度は、社会的に構築されたものではあるものの、依然として極めて現実的なものであることを心に留めておいてください。

この概念を見るもう1つの方法は、W・I・トマスによる注目すべきトマスの公理を通してみることです。この公理は、「もし人が状況を現実と定義するなら、その結果において現実となる」(Thomas and Thomas, 1928)と述べています。つまり、人の行動は、客観的な現実によってではなく、主観的な現実の構築によって決定されることがあるということです。例えば、「成績優秀者」「遊び人」「怠け者」といったラベルを繰り返し貼られたティーンエイジャーは、当初はそのラベルが自分の性格の一部でなかったとしても、その通りに生きてしまうかもしれません。

トマスは、バーガーとルックマンが習慣化について述べたように、私たちの道徳律や社会規範は「状況の連続的な定義」によって作られると述べています。この概念は、社会学者ロバート・K・マートンによって、自己成就的予言と定義されています。マートンは、自己成就的予言とは、誤った考えであっても、それに基づいて行為が行われれば真実になるものと説明しています。彼が提示した一例が、「銀行の取り付け騒ぎ」です。何らかの理由で、多くの人が「自分の銀行がもうすぐ倒産する」と誤って恐れているとします。この誤った考えのため、人々は銀行へ駆け込み、一度にすべての現金を要求します。銀行がそれだけの資金を手元に置くことはほとんどないので、銀行は本当に資金不足に陥り、顧客の予言が実現します。このように、現実はある考え方によって構築されているのです。

シンボリック相互作用論者は、現実の社会的構築を分析するための別のレンズを提供します。人々が相互作用するために使用するシンボル(言語、ジェスチャー、人工物など)に焦点を当てた理論的視点を持つこのアプローチは、人々が日々の相互作用の中でこれらのシンボルをどのように解釈しているかに関心を持っています。例えば、私たちは銃を持った人を見ると恐怖を感じるかもしれませんが、もちろんそれが警察官であることが判明した場合は別です。また、相互作用論者は、言語やボディランゲージが私たちの価値観を反映していることを認識しています。外国語を学べば、すべての英単語が簡単に他の言語に翻訳できるわけではないことがわかるでしょう。ジェスチャーにも同じことがあてはまります。アメリカ人が「サムズアップ」のことを「素晴らしい」を意味するものとして認識する一方で、ドイツではそれは「1」を意味するでしょうし、日本では「5」を意味するでしょう。このように、私たちの現実の構築は、私たちのシンボルによる相互作用によって影響を受けます。

図4.11 | 自己成就的予言の筋書きは多くの文学作品に登場しますが、おそらく最も有名なのはオイディプスの物語でしょう。オイディプスは、神託によって、自分が父を殺し、母と結婚することを告げられます。彼は自分の運命を避けようとするなかで、気づかずに運命を成就させてしまいます。オイディプスの物語は、社会の構成員が現実の社会的構築に貢献する1つの方法を示しています。(Credit: Jean-Antoine-Theodore Giroust/Wikimedia Commons)

図4.11 | 自己成就的予言の筋書きは多くの文学作品に登場しますが、おそらく最も有名なのはオイディプスの物語でしょう。オイディプスは、神託によって、自分が父を殺し、母と結婚することを告げられます。彼は自分の運命を避けようとするなかで、気づかずに運命を成就させてしまいます。オイディプスの物語は、社会の構成員が現実の社会的構築に貢献する1つの方法を示しています。(Credit: Jean-Antoine-Theodore Giroust/Wikimedia Commons)

役割と地位

あなたが想像できるように、人々は日常生活の中で、人はさまざまな種類の行動をとっています。役割とは、その人の社会的地位を表す、互いに認め合う行動のパターンのことです。現在、この文章を読んでいるあなたは、学生という役割を担っています。しかしながら、あなたの人生の中では、あなたは「娘」、「隣人」、あるいは「従業員」などといった他の役割を果たすこともあります。これらのさまざまな役割は、それぞれ異なる地位と関連しています。

社会学者は、社会における立場や役割に応じて、その人が経験する責任や利益を地位という言葉で表現しています。地位の中には、息子、老人、女性など、自分で選ぶことのできない生得的なものがあります。また、他のものは獲得的地位と呼ばれ、高校中退、一代で身を立てた大金持ち、看護師など、自分の選択によって手に入れたものです。あなたは、娘や息子としての場合には、隣人や従業員としての場合とは、異なる地位を占めます。一人の人間は、複数の役割と地位と関連付けられることがあります。「学生」といったような1つの地位でさえ、それに付随する複雑な役割群、つまり役割の配列を持っています(Merton, 1957)。ここで大切なのは、地位とは社会階層における位置のことを指し、役割とはある地位を持つ人に期待される行動のことだと留意しておくことです。

1つの役割に多くのことが要求される場合、個人は役割緊張を経験することになります。親としての務めについて考えてみましょう。料理、掃除、運転、問題解決、道徳的指針のもととして行動することなど、リストは続いていきます。同様に、1つまたは複数の役割が矛盾している場合、人は役割葛藤を経験することがあります。フルタイムの仕事を持つ親は、日常的に役割葛藤を経験することになります。職場では締め切りがあるのに、病気の子供を学校まで迎えに行かなければならないとき、どちらが優先されるのでしょうか?昇進を目指して取り組んでいるとき、子供から学芸会に来てほしいと言われたら、あなたはどちらを選びますか?大学生であることは、従業員であること、スポーツ選手であること、あるいは友人であることとすら対立することがあります。人生における私たちの役割は、私たちの決断や私たちの将来の姿に大きな影響を与えます。

図4.12 | 親は、さまざまな、そしてしばしば緊急に競合する責任のバランスを取ろうとするため、しばしば役割緊張や役割葛藤を経験します。(Credit: Ran Zwigenberg/flickr)

図4.12 | 親は、さまざまな、そしてしばしば緊急に競合する責任のバランスを取ろうとするため、しばしば役割緊張や役割葛藤を経験します。(Credit: Ran Zwigenberg/flickr)

自己の呈示

もちろん、人の頭の中を覗いて、彼らがどんな役割を演じているのかを研究することは不可能です。私たちが観察できるのは、行動、つまり役割遂行だけです。役割遂行とは、人が自分の役割をどのように表現しているかということです。社会学者のアーヴィング・ゴフマンは、「人は舞台上の俳優のようなものだ」という考え方を提出しました。ゴフマンは自らの理論をドラマツルギーと名付け、私たちは「印象管理」を用いて、自分が受け止められたいと望むように他者に自分を呈示するのだと考えました。それぞれの状況は新しい場面であり、その場にいる人に応じて個人は異なる役割を遂行します(Goffman, 1959)。あなたの同僚の前での振る舞い、祖父母の前での振る舞い、そしてブラインドデートの相手の前での振る舞いを考えてみてください。あなたが意識して自分の性格を変えようとしていなくても、祖父母、同僚、そしてデート相手は、おそらくあなたの異なる面を見ているはずです。

演劇と同様に、舞台も重要です。もしあなたが友人たちを家に招いて夕食をとる場合、あなたはホストの役割を演じていることになります。あなたは食事と席を提供し、おそらく夜が明けたら大量の後片付けをすることに同意しているのです。同じように、あなたの友人たちはゲストの役割を演じ、あなたの所有物やあなたが定めることのあるルール(「猫が外に出ちゃうからドアを開けっ放しにしないで」)を尊重することが期待されています。どんな場面でも、演者の間で現実を共有する必要があります。この場合、もしあなたが自分自身のことをゲストとして捉え、他の人があなたのことをホストとして見ていると、問題が発生する可能性が高いです。

印象管理は、シンボリック相互作用論の重要な構成要素です。例えば、法廷の裁判官は、法服や小槌のような、公正さ、重厚さ、支配力を印象づけるための多くの「小道具」を持っています。法廷に入る人は、設定された場面を着実に実行することが期待されます。ある人の服装が与える「印象」を想像してみてください。弁護士が法廷手続きの際の証人や被告人の髪型や服装を決めることが多いのは、このためです。

図4.13 | 裁判官の小槌は、審理に重厚さと格式を与えるために設計された小道具として知られています。(Credit: Brian Turner/flickr)

図4.13 | 裁判官の小槌は、審理に重厚さと格式を与えるために設計された小道具として知られています。(Credit: Brian Turner/flickr)

ゴフマンのドラマツルギーの考え方は、チャールズ・クーリーと鏡に映った自我の考えを拡張したものです。クーリーによれば、私たちは、他の人が見ていると思うものを基礎にして自分のイメージを作ります(Cooley, 1902)。私たちは、自分が他人からどう見えるかを想像し、その推測に反応します。私たちは、特定の服を着たり、特定の方法で髪を整えたり、化粧をしたり、コロンを使用したりします。これらはすべて、私たちの自己の呈示が、他人が私たちをどう感じるかに影響を与えるという考えから来ています。私たちは、ある種の反応を期待し、運がよければ、自分が望む反応を得て、それについて良い気分になります。しかし、それ以上にクーリーは、私たちの自己の感覚が、この考え方に基づいていると考えました。私たちは、他者から見た自分の姿を想像し、彼らの反応に基づいて結論を導き出し、そして個人的な自己の感覚を育んでいきます。言い換えれば、私たちに対する人々の反応は、私たちを映し出す鏡のようなものなのです。

重要用語

獲得的地位:学歴や収入など、その人が選択した地位

農業社会:生活方法として農耕に依拠する社会

疎外:個人が社会、仕事、自己の感覚から孤立すること

アノミー:社会が確固たる集合意識の支えをもはや持たなくなった状態

生得的地位:性別や人種など、個人のコントロールの及ばない地位

ブルジョアジー:社会における生産手段の所有者

資本主義:製品を作ったり運んだりするためのもの(土地、石油、工場、船など)が政府ではなく、個々の人々や企業に所有されるように経済を組織化する方法

階級意識:社会における自分の順位の認識

集合意識:ある社会の共同体的な信念、道徳、態度

虚偽意識:ある人の信念、理想、イデオロギーが、その人自身の最善の利益にならない状態

封建社会:土地の所有と保護を中心とした厳格な階層的権力体系で運営されている社会

習慣化:社会は私たちや私たち以前の人々によって構築され、習慣のように従うものだという考え方

園耕社会:植物の栽培を中心とした社会

狩猟採集社会:生存のために野生動物を狩猟し、耕作されたものではない植物を採集することに依拠する社会

工業社会:機械化された労働に依存して物資的な財を生産することを特徴とする社会

情報社会:非物質的な財やサービスの生産に基づく社会

制度化:慣習や規範を社会に植え付ける行為

鉄の檻:個人が社会制度に囚われている状態

鏡に映った自我:自分が他人からどう見えるかについての私たちの考え

機械的連帯:文化の集合意識によって維持される社会秩序の一種

有機的連帯:経済的・社会的な差異の受容に基づく社会秩序の一種

牧畜社会:動物の家畜化を中心とした社会

プロレタリアート:社会における労働者

合理化:現代社会は道徳や伝統よりも論理や効率性を中心に構築されるべきという信念

役割葛藤:個人の1つまたは複数の役割が衝突する状況

役割遂行:役割の表現

役割緊張:1つの役割に多くのことが要求されるときに生じるストレス

役割群:特定の地位に付随する役割の配列

役割:その人の社会的地位を表す行動パターン

自己成就的予言:それに基づいて行為が行われれば真実になる考え

社会的統合:人が自分の社会集団とどれだけ強く結びついているか

社会:定義可能な共同体に住み、同じ文化的要素を共有する人々の集団

地位:社会における立場や役割に応じて、その人が経験する責任や利益

トマスの公理:本来は客観的な現実の裏付けがないにもかかわらず、主観的な現実が、その現実に従って出来事を展開させること

各節のまとめ

4.1 社会の種類

社会は、技術の発達と利用によって分類されます。人類史の大半において、人々は、限られた技術と少ない商品の生産量によって特徴付けられる前工業社会で暮らしていました。産業革命後、多くの社会は機械化された労働力を中心に経済を発展させ、より大きな利益とより大きな社会的移動性への傾向をもたらしました。2000年代に入る頃に、新しい種類の社会が出現しました。この脱工業社会、あるいは情報社会は、デジタル技術と非物質的な財を基盤として構築されています。

4.2 社会に関する理論的視点

エミール・デュルケームは、社会が進歩するにつれて、機械的連帯から有機的連帯へと移行していくと考えました。カール・マルクスにとっては、社会は階級闘争という観点で存在します。資本主義の台頭により、労働者は自分自身や社会の他の人々から疎外されるようになります。社会学者のマックス・ウェーバーは、社会の合理化が不健全なまでに極端化する可能性があると指摘しました。

4.3 現実の社会的構築

社会は、現実の社会的構築に基づいています。私たちが社会をどのように定義するかによって、社会が実際にどうなっているかが影響されます。同様に、私たちが他人をどのように見ているかが、他人の行動や他人に対する私たちの行動に影響します。私たちは生涯を通じてさまざまな役割を担っており、どのような役割を担うか、誰と担うか、そして相互作用が起こる場面によって、社会的相互作用が変わってきます。

各節についての質問

4.1 社会の種類

  1. 以下の架空の社会のうち、牧畜社会の例はどれですか?
  1. 小さな部族に分かれて生活し、織物の生産と貿易を経済の基盤としているデスワン人
  2. 何世紀にもわたって一族の土地で暮らしてきた農民の小さな共同体であるロシツァン族
  3. 馬の飼育と調教に特化した遊牧民の放浪集団であるフンティ族
  4. 単一の貴族の家に仕える戦士の拡大家族であるアマガンダ族
  1. 情報社会において、権力を持つ人が就いている可能性の最も高い職業は以下のうちどれですか?
  1. ソフトウェア技術者
  2. 炭鉱労働者
  3. 児童書作家
  4. 分益小作人
  1. 以下のうち、最初に恒久的な居住地を持つようになった社会はどれですか?
  1. 工業社会
  2. 狩猟採集社会
  3. 園耕社会
  4. 封建社会

4.2 社会に関する理論的視点

  1. 有機的連帯は、以下のどの種類の社会で最も存在しやすいですか?
  1. 狩猟採集社会
  2. 工業社会
  3. 農業社会
  4. 封建社会
  1. マルクスによると、__________は社会における生産手段を所有しています。
  1. プロレタリアート
  2. 家臣
  3. ブルジョアジー
  4. アノミー
  1. 自分の労働の過程からの疎外というマルクスの概念を最もよく表しているのは以下のうちどれですか?
  1. あるスーパーのレジ係は、常に会社のクーポンより店のクーポンを優先してスキャンする。なぜなら、彼女はそうするように教えられたからだ。
  2. あるビジネスマンは、自分は昇給に値すると感じているが、上司に昇給を要求するのは気が引けている。その代わりに、彼は「勤勉はそれ自体で報酬だ」という考えで、自分を慰めている。
  3. ある准教授は、自分が終身在職権を得られないことを恐れている。そこで彼女は、自分を良く見せるために同僚の一人についての噂を流し始めた。
  4. ある建設作業員が解雇され、一時的にファストフード店で働くことになったが、彼はこれまで食べ物を作ることに興味を持ったことがなかった。
  1. プロテスタントの労働倫理は、__________とする予定説の概念に基づいています。
  1. 人生で良い行いをすることが、天国での地位を確保する唯一の方法である
  2. 救済は、神への服従によってのみ達成される
  3. イエス・キリストを救い主として受け入れる前には、何人たりとも救われることはない
  4. 神はすでに救われる人と地獄に堕ちる人を選んでいる
  1. 鉄の檻の概念は、以下の社会学思想家のうちの誰によって広められましたか?
  1. マックス・ウェーバー
  2. カール・マルクス
  3. エミール・デュルケーム
  4. フリードリヒ・エンゲルス
  1. 社会についてのエミール・デュルケームの考え方は、__________と表現するのが最も適切です。
  1. 機能主義者
  2. 紛争理論家
  3. シンボリック相互作用論者
  4. 合理主義者

4.3 現実の社会的構築

  1. メアリーはダウンタウンのオフィスでフルタイムで働いており、幼い子供たちは近所の家に預けています。彼女は、子供の世話をしてくれていた人が国を離れることになったと知りました。メアリーは教会でボランティアをするようにという圧力にも屈服しており、さらに来月からは病弱な義母が同居することになっています。メアリーが既存の責任と新しい責任のバランスを取ろうとするとき、以下のうちどれが起こりそうですか?
  1. 役割葛藤
  2. 自己成就的予言
  3. 地位葛藤
  4. 地位緊張
  1. ピーター・バーガーとトーマス・ルックマンによれば、社会は__________に基づいています。
  1. 習慣的な行動
  2. 地位
  3. 制度化
  4. 役割遂行
  1. パコは、女性が自分に魅力を感じていることを知っており、デート相手を見つけるのが難しいとは思ったことがありません。しかし、年齢を重ねるにつれ、彼は白髪を隠すために髪を染め、増えた体重をカモフラージュするような服を着ています。パコの行動は、__________の概念で最もよく説明できるでしょう。
  1. 役割緊張
  2. 鏡に映った自我
  3. 役割遂行
  4. 習慣化

簡潔に答えてください

4.1 社会の種類

  1. どのような種類の社会で、利益がコストを上回ると思われますか?社会的、経済的な理由を挙げて説明してください。

  2. ゲルハルト・レンスキーが技術的進歩に基づいて社会を分類したことは正しいですか?あなたが読んだことに基づくと、他のどのような基準が適切でしょうか?

4.2 社会に関する理論的視点

  1. ここで議論した三人の社会学者(デュルケーム、マルクス、ウェーバー)のうち二人を選び、彼らの議論を用いて、「占拠せよ」運動のような現在の社会事象を説明してください。彼らの理論は、現代の精査の下でも通用するでしょうか?

  2. 労働者が自分の仕事の成果物や過程からどのように疎外されているか考えてみてください。これらの概念は、学生や彼らの教育にどのように適用できますか?

4.3 現実の社会的構築

  1. 大きな円を描き、その円をパイのようにいくつかのピースに「スライス」して、それぞれのピースに自分が占める役割や地位をラベル付けしてください。生得的なものと獲得的なものを合わせて、あなたが持っているのと同じ数だけの地位を追加してください。犬の飼い主、園芸愛好家、旅行者、学生、ランナー、従業員などを忘れないでください。あなたはいくつの地位をもっていますか?どの地位に役割葛藤がありますか?

  2. あなたが経験した自己成就的な予言を思い浮かべてください。この経験に基づいて、あなたはトマスの公理に同意しますか?現在の出来事からの例も使って、あなたの答えを擁護してください。

さらなる研究

4.1 社会の種類

マサイ族は現代の牧畜社会であり、その経済は牛の群れを中心に大体が構築されています。こちらでマサイ族の人々についてさらに読み、日常生活の写真を見てください(http://openstax.org/l/The-Maasai)。

4.2 社会に関する理論的視点

近代史の中で最も影響力のある文章の1つが、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』です。このサイトでは、世界中の革命を巻き起こした原書を読むことができます。(http://openstax.org/l/Communist-Party)

4.3 現実の社会的構築

TV Tropes(http://openstax.org/l/tv-tropes)は、文学、映画、その他のメディアでよく使われる概念を利用者が確認するためのウェブサイトです。そのトーンはたいていユーモラスなものですが、このサイトは研究の出発点としては最適です。「自己成就的予言」という項目の下にある例のリストを閲覧してください。実際にあった事例を注意深く見てください。驚いたこと、納得できないことはありますか?

参考文献

はじめに

Maasai Association. “Facing the Lion.” Retrieved January 4, 2012 (http://www.maasai-association.org/lion.html).

4.1 社会の種類

Immigration and Refugee Board of Canada. 2005. “Israel: Treatment of Bedouin, Including Incidents of Harassment, Discrimination or Attacks; State Protection (January 2003–July 2005)”, Refworld, July 29. Retrieved February 10, 2012 (http://www.unhcr.org/refworld/docid/440ed71325.html).

Kjeilen, Tore. “Bedouin.” Looklex.com. Retrieved February 17, 2012 (http://looklex.com/index.htm).

University of Michigan. n.d. “The Curse of Oil in Ogoniland”. Retrieved January 2, 2015 (http://www.umich.edu/~snre492/cases_03-04/Ogoni/Ogoni_case_study.htm).

4.2 社会に関する理論的視点

Durkheim, Émile. 1960 [1893]. The Division of Labor in Society. Translated by George Simpson. New York: Free Press.

Durkheim, Émile. 1982 [1895]. The Rules of the Sociological Method. Translated by W. D. Halls. New York: Free Press.

Engels, Friedrich. 1892. The Condition of the Working-Class in England in 1844. London: Swan Sonnenschein & Co.

Geographia. 1998. “The Bedouin Way.” Geograpia.com. Retrieved January 4, 2012 (http://www.geographia.com/egypt/sinai/bedouin02.htm).

Gerth, H. H., and C. Wright Mills. 1946. From Max Weber: Essays in Sociology. New York: Oxford University Press.

Marx, Karl and Friedrich Engels. 1998 [1848]. The Communist Manifesto. New York: Penguin Group.

4.3 現実の社会的構築

Berger, P. L., and T. Luckmann. 1966. The Social Construction of Reality: A Treatise in the Sociology of Knowledge. Garden City, NY: Anchor Books.

Cooley, Charles H. 1902. Human Nature and the Social Order. New York: Scribner’s.

Goffman, Erving. 1959. The Presentation of Self In Everyday Life. New York: Doubleday.

Merton, Robert K. 1957. “The Role-Set: Problems in Sociological Theory.” British Journal of Sociology 8(2):110–113.

Thomas, W.I., and D.S. Thomas. 1928. The Child in America: Behavior Problems and Programs. New York: Knopf.


この訳文は元の本のCreative Commons BY 4.0ライセンスに従って同ライセンスにて公開します。問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。この本は、https://openstax.org/details/books/introduction-sociology-3eで無料でダウンロードできます。